みみこちゃんの恋人たち(7)

第12期(2013年12月-2014年1月)

すっかり陽の落ちた室内にて、ランプを灯しては街を沈め、
窓ガラスに映り込む部屋を隠すように、ねこたくんはカーテンを閉めました。
その拍子に、カーテンの外側に付けられていた鳥を模したオーナメントは
まるで鳴いているかのように身体を揺らします。

バン
バン

と、お腹の深くに響く音をあげ、ゆっくりと扉が開きます。
「こんにちは…いえ、もうこんばんはですね。
 どうぞ、こちらへ来てお名前を」
最後の訪問者だといって気合でも入れ直したのでしょうか
今まで以上に礼儀正しく、ねこたくんは訪問者を迎え入れます。
「あ…はじめです。こんばんは」
男性は目深に被った帽子をとり、軽く一礼すると促されるままに正面の椅子へ腰掛けました。
顎には軽く皺を寄せ、少しばかり緊張している様子が見えます。
心のコリを解すために、何か声をかけても良かったのですが、みみこちゃんにはそれは出来ませんでした。
随分と久しぶりに合う彼に、何と声をかけて良いのか分からなかったのです。

「ではまずは、はじめさんとみみこちゃんが出会ったきっかけについて教えて頂いてもいいでしょうか?」
これまでの人たちに聞いたことのない質問を切り出す辺り、
どうやらねこたくんにも緊張の色がうつっていたのかもしれません。
「…」
「…?どうしました?話し辛かったら別の質問に致しますが?」
「…」
部屋の中を染めるランプの灯りは、空気の重さにつられ沈み、部屋の隅へと溜まっていきます。
口を真一文字に結び俯く男性は、余程身体に力が入っているのか、肩が少しだけ震えてみえます。
彼は何も言い出しませんでした、みみこちゃんは何も言い出せませんでした。
「困りましたね」
このままでは面談にならないので、何も言いたくなければそのまま帰ってもいいと
ねこたくんが言おうとしたときようやく
「どうしてここに呼ばれたんだろう」
と男性がボソリと呟きました。
「君の顔なんて、もう二度と見たくなかった」

端的にお伝えしましょう。
みみこちゃんにとって彼との恋は、大きな失恋をした後、少し時間を空けて手慰みのように始めたものでした。
破れた恋の傷を埋めるための恋なんて、この世には飽きてしまうほど沢山あります。
この二人のものも、そのうちの一つに過ぎませんでした。
始まりはどうであれ、二人で温めているうちにいずれ卵は孵るだろうとみみこちゃんは信じていたのです。
「俺は、人を好きになるのなんてもう懲り懲りだって、君と別れて思ったんだ」
「…」
みみこちゃんは彼に何も言い返すことが出来ませんでした。
自分が当時彼に何をしたのか、自分が一番分かっていたからです。

彼は、けして意地の悪い男性ではありませんでした。
むしろ、丁寧に、真摯に、みみこちゃんを好きでいてくれたことを
みみこちゃんは十分に分かっていました。
でも、ただ分かっていただけなのです。
彼の気持ちが真っ直ぐであればある分だけ、自分の持っている物の汚れが目立つ気がして
段々と彼の顔を直視出来なくなっていったのでした。
「ごめんなさい…」
ようやく一つ、放り出した言葉は彼への贖罪です。
罪を滅ぼそうとする訳ではなく、許されようとする行いでなく、
とにかく何でもいいから今この空気を埋めたいという気持ちだけで出た一言は、
これ以上の無いほどに居心地の悪いものでした。
「ごめん…」

クッキーを焼く際に使用する型抜きのように、彼の思う恋は美しいカーブを描くような形をして、
そして、みみこちゃんはその成形に加担できなかった、ただそれだけの話なのです。
「はじめは何も悪くなかったの…だからお願い、人を好きにならないなんて言わないで」
「ごめん…ごめんなさい」
「自分が思っていた以上に、はじめが思う程に、私は貴方のことを好きになれなかった」
傷口に塩とはこういうことを言うのだろう、
横で黙って聞きながら、ねこたくんはそんなことを思っていました。
傷口に塩なんて塗らないに越したことはありません。
それでも、この広い世界で二人が繋がっているためには、塗らなければならない塩があったのです。

「そうか…
 君のことなんて大嫌いだ」

光が影を落とすように、
重量を持った言葉を置いて、男性は去って行きました。
部屋中を飽和する空気に圧倒されて、本日最後の訪問者だというのに
すべき質問を何も出来ていないことにねこたくんは気付きましたが、
もうそんなことどうでもよかったように思います。
「はじめはね、私が二十三歳の時に付き合ってた人なの。
 別れた時、こんなに身勝手な私はもう二度と人と付き合う資格なんて無いって思ってた。
 それなのに、何度も同じこと繰り返しちゃうんだよね」
ふしぎだね、そう言いながらみみこちゃんは薄く笑います。
「不思議だなんて、全然思ってない癖に」
ねこたくんはみみこちゃんに笑い返しました。

ねこたくんは黙っていると、電話中にボールペンで落書きしたようなつまらない顔をしているのに、
笑うと途端に可愛げを出すところが、みみこちゃんの好きなところでした。
その頭一つ分高い位置でよくうねるくせ毛も、一つ一つの単語が重石を背負っているように響く声も、
もう全てすっかり、みみこちゃんがよく知っているものです。
「…ねえ、ねこたくん。どうしてこんなことするの?」
姿形を欺けば、名前を偽れば、気付かれないとでも思っていたのでしょうか。
「どうしてここにいるの?」
「ここで何をしているの?」
いえ、そうではありません。
欺くとか偽るとかじゃなく、そもそもどうして彼が存在しているのか。
みみこちゃんの前で、みみこちゃんの大好きだった笑顔を向けられるのか。
「あなたは、死んだのに」