いなくてもいい存在をかわいがること

第16期(2014年8月-10月)

8月を振り返ってみると、カクテルのことばかり書いていたなぁ、ということに気付いておろおろ。それ以外にも書きたいことはたくさんある。プロフィールに「くらしとカクテル、たまに妖怪。」と入れてるので、そろそろ妖怪について触れてみようかと思う。妖怪、けっこー好きなんですよね。

ぼくは小さな頃から、水木しげる大先生の妖怪図巻を眺めながら育ってきた。ぼくは伊平屋島(沖縄)の出身なんだけど、自然がゆたかな場所で育ったこともあってか、妖怪はいてもおかしくないよな?という感覚をあたり前のように持っていた。

そういえば、小学生のときに地域交流プログラムみたいなもので、境港(鳥取)に行く機会があった。あのときは興奮したなぁ。100体以上の妖怪像が立ち並ぶ「水木しげるロード」はご存知のかたも多いだろう。水木しげるの故郷である境港と、彼が現在くらしている調布(東京)は“妖怪のメッカ”だと勝手に決めこんでいる。この二拠点で、毎年「境港市妖怪検定」も行なわれる。恥ずかしながら、ぼくは妖怪検定は初級してもっていない。まだまだ妖怪に関しては、青二才なのである。

そもそも妖怪とはなにか。妖怪というと、「ゲゲゲの鬼太郎」を思い浮かべる人がほとんどだ。最近だと「妖怪ウォッチ」もあるから、妖怪のイメージはつかみやすいかもしれない。調べるといろんな定義があるんだけど、ざっくり言うと“へんなもの”はたいてい妖怪と言っていいだろう。

霊やオバケ、神様も、長生きしてる生き物も、未確認生物(UMA)もぜんぶ妖怪になる。妖怪は「へんなものの総称」なわけだ。自然現象や病気、人間の恐怖心や教訓がそのまま妖怪として名付けられることも。秋田の「なまはげ」なんてのは、なまけちゃいけないよ という教訓を教える妖怪だし、似たような妖怪が名を変えて全国に散らばっていたりする。掘り下げると、民俗学に行き着く。柳田國男は有名。

2014-06-30 12.01.56-1
と、妖怪についてつらつらと書いてしまったけど、書きながら思ったことがある。「バー」と「妖怪」の存在って似ているなぁと。結局カクテルがらみの話になってしまうけど、もう少しだけお付き合いいただきたい。なにが似てるかという前に、ぼくが妖怪が好きな理由をあげておく。ちゃんと関連することなので、ご勘弁を。温度差をあまり感じないでください。。

まず、妖怪を深めていくと「昔の日本のくらしを知る」ことができる。例えば「あかなめ」という妖怪がいるけど、名の通り、風呂場に現れて垢をなめるだけの妖怪。かわいいもんでしょ。あかなめが説明される文章で“風呂桶”の単語が出てくるんだけど、昔はそうやってお風呂に入っていたんだとか、風呂桶を汚く放置しているとあかなめが現れるのかとか、昔あったくらしの断片を想像することができる。妖怪の一体一体がくらしを探るヒントをくれる。

2014-06-30 11.59.37-1
次に、妖怪の存在を感じようとすると、「五感をひらく」。ちょっとだけ想像してみてほしい。例えば、夜の山道に迷いこんだとする。電灯もないから真っ暗、道も整備されていない獣道をとぼとぼと歩く。えらく静かだ。恐いくらいに。視界が悪いぶん、それ以外の感覚が急に研ぎすまされる。草木が揺れたり、山の動物がちょっと動くだけでも、びくっとしてしまう。急に蜘蛛の巣や木の枝が体にからみつこうもんなら、ゾッとする。

こういうときに、何かいるかも……`と思いはじめる。第六感というものが働くとしたらこの瞬間かもしれない。かの有名な南方熊楠は、妖怪を感じるには「脳力」が必要だと言ったけど、それに近い力も五感がひらくことで発揮するんじゃないだろうか。あくまで私見だけども。ちなみに、妖怪は灯りが多いところを避けるらしい。だから都会には現れにくく、田舎でよく見かけるそうだ。一応は、まじめな話をしてるつもり。さらに続く。

2014-06-30 11.42.57-1
これが最後。妖怪という存在は「いないと言ってしまえばそれでおしまい」ということだ。科学的に根拠があるわけでもないし、昔の人のただの妄想だろうと言ってしまえば、それはそうだと言わざるをえない。ぼくはその曖昧な存在が好きだ。いると思うか、いないと思うかは、本人次第というところが。

現実逃避をするんじゃなくて、もうひとつ見ようとしないと見えないものがある、という感覚は、くらしをゆたかにすると思う。雨が降ったときに、さっきそう天気予報が出ててからね、と科学の力で片付けちゃうことはできるんだけど、きっと「雨降り小僧が……」と言えるとすこし気持ちがなごむ。天気雨も「狐の嫁入りかぁ」と思えばなんだか、力が抜けていいかんじになれる。自分がせかせかしてて、追いこまれてるときほど、こういう「いないと言ってしまえばそれでおしまい」の存在は大切な気がしてしまう。

2014-06-29 18.21.33-1
さてさて、バーと妖怪の共通点についての話がやっとできる。(ひとり相撲だったと思うけど、これは河童のせい)

まず、バーという空間は、ただお酒を飲んだりする場所じゃなく、自分のくらしについてだれかに話したり、だれかのくらしを共有してもらえたり、明日のくらしを見直す場所になりうること。次に、バーではカクテルを愉しむのに舌と鼻が鋭くなるし、不思議とBGMがよく聴こえたり、五感がひらくことがある。最後に、バーはあってもなくても実はよくて、行かなくてもなんら人生に支障はないと言ってしまえばそれでおしまい。どうだろう、妖怪に似通ったものはないだろうか。

そうやって考えてくと、個人的に妖怪もバーも好きな理由がはっきりしてくる。共通するキーワードは「くらし」「五感」「クリエイティブ」だろうか。なくてもいいものを「あるといいよね」まで押あげてきたのは、クリエイティブな技だと思う。妖怪って、それを考えてきた日本人ってすごいクリエイティブ。もちろんバーもね。

妖怪もバーも好きなもの。そのふたつを通じて、「人間って、日本人って、なんだろな」と深く掘り下げていけるならいいなぁ、と思っているわけです。おぼろげな存在をかわいがっていきたいなぁ。ちなみに「いそがし」という妖怪がいるので、憑かれないようにお気を付けて。大都会にいる人ほど。ぼくは、残念ながら「天邪鬼」に憑かれてしまった。

(ぼんやりとした話に最後まで付き合ってくれて、ありがとうございます)