そもそも私はなぜ、文章を売る仕事に就いたのか

第20期(2015年4月-5月)

数年前のこと。新宿ゴールデン街で親しくなったある男友達が、偶然にも私の幼馴染と出会った話を聞かせてくれた。彼は私の小学生時代がどんなふうだったか尋ね、こう返されたそうだ。「幼い頃から憧れていた職業に就いて、夢を叶えたのはすごいと思う」……ちなみに私が小学生のときなりたかったものは考古学者と宇宙飛行士と灯台守である。遠足の班が一度同じになったかならないか程度のクラスメイトの話なんて本当にアテにならない。
編集者を志望したのは20歳を過ぎてからだ。「紙とペンと名刺と電話さえあれば、誰にでも、明日からでもできる仕事だ。僕はそこが気に入っている」と、あるフリーランスに言われたのがきっかけだった。名刺と電話は社会とつながる手段。紙とペンはアイディアをかたちにする道具。よくよく考えてみると、どんな仕事だって突き詰めれば全部そうなのだが……この素敵な言葉を発したのが宇宙飛行士でなく編集者だったため、刷り込みを受けた雛鳥のように私もまた編集者となり、出版社に8年勤めた。
その後、副業自由の小さな会社に転職した私は、ネットで安い印刷業者を見つけてペンネーム名義の名刺を発注し、個人事業主の領収書を切った。前に勤めていた会社では総務部が機械的に作成する名刺をダサくて嫌だなと思っていたくせに、いざ自分で凝ったデザインを作ると、それはそれで気恥ずかしかった。
参考にしたのは、前職でお世話になったフリーライターやカメラマンたちの名刺だ。編集者は毎日のように名刺フォルダをめくり、どの仕事を誰に頼むか頭を悩ませている。無茶な依頼でもニコニコ受けてくれそうな名刺と、下手な仕事を回すと怒られそうな名刺があって、自分のはどちらに見えるだろうかと気を揉んだ。軽やかに。けれど、軽んじられないように。安っぽくなく。けれど、お高くとまっても見えないように。
プロならば瑣末なことを気にしないでただ文章のクオリティだけで勝負したらどうなんだ、と、嗤ってくるのは大抵アマチュアである。名刺の配り方、メールへの返信、取材先での振る舞い、今も試行錯誤を繰り返している。私ではない誰かに、なにがしかの価値を、できれば高値をつけてもらえるように。
誰にも読まれるあてのない、カネになるかもわからない原稿を、ひたすら書き続けられる人たちを、私はたくさん知っている。ただ己の内からほとばしる、とめどないものを紙とペンにぶつける人たちを。たとえばある小説家は、人里離れた山奥へ籠もって処女作を書き上げた。名刺も配らず、電話も取らず、たった一人で一つの世界を完成させ、そして山を下りて世に出た。それから数十年、一心不乱に書いている。文芸編集者とは、そういう人々と身近に接する職業だった。
自分はどうやらそんなタイプではないようだ、ということが、だから私には非常によくわかる。とめどないものなんて、あってもせいぜいTwitterに書き散らす程度だ。こないだつぶやいていた話をうちでも書いてくださいよ、と頼まれたら、電話を置いて、そこで初めて机に向かう。受け取る原稿料は微々たるものだから、どっちにせよ遊んでるようにしか見えない、とまた嗤われるだろうか。
これが夢にまで見た職業かどうかはわからないが、「書く」ことが私の仕事で、「仕事」だからこそ書く以外のところも頑張りたいし、報酬が多いとわかれば余計に頑張れる。私はどうやら、そういうタイプなのだ。

(つづく)