私の値段を決めるのは、あなたの仕事でもあるのではないか

第20期(2015年4月-5月)

 出版業界では口約束で仕事が決まり、書き上げるまで原稿料がわからず、終わってみるまでそれが支払われるかどうかもわからない、という愚痴をよく耳にする。そんないいかげんな依頼人とは働きたくない、と思う人が大半だろう。まったく同感である。

 何か物事を動かす際には必ず、どうにも動かせない「予算」がつきもので、その金額はいくら言葉を濁して隠しても、簡単には変わりようがない。どうせ変わらないものなら、先に開示すればいいのに。まるで無償で依頼するようなフリをして、無償でそれを請けるフリをして、そうして無償で作られたものに、事後たまたま値段がついたかのようなフリで報酬を提示し、想定より多く貰えたようなフリで請求書を書き起こす。我々はなぜそんなゴッコ遊びをする必要があるのだろう?

 ギャラが不明瞭な仕事は受けたくない。学生時代からあちこちでそう聞いていたので、自分が出版社に就職した後も、その点には気を遣っていた。右も左もわからぬ新人とて、企画書を送る前にほんの一言「謝礼はいくらでお願いしましょうか?」と訊くことはできる。デスクや編集長と話して値段を決め、「些少な額で恐縮ですが」と書き添えて送る。それだけのことである。みんな同じ思いでいるのだろう、近年、年若い編集者から届く依頼文には明朗な箇条書き形式が多くなった。

 しかし、たまに異世界から舞い込んでくる話には、まだまだ不思議なものがある。まずは会って意見を聞きたいとか、会議を終えたら金額が変わるとか、お金の代わりに別のものをあげようとか。呼び出されて出向くコストだってバカにならないし、お金と似て非なる有形無形のあれこれは大半が要らないもの。報酬が途中で上方修正される分には嬉しいが、同じ気軽さで下げられることもあるのかと考えると、喜んでばかりもいられない。総じて「お金を、なめんなよ」と思う。

 「よそではいくらでやってるんですか?」と訊かれることも多い。3000字の原稿、2時間のテレビ番組、1日がかりの講演、その他もろもろ私の「相場」を教えてほしいというわけだ。でも、誰にどれだけ払うかは「予算」を握る側がまず見当をつけてほしい。私が5万円と言えば彼らは5万円を支払うだろう。10万円と言えば10万円を。しかし、もし20万円とふっかけたら、さすがにもっと安く請ける他の人にあたるだろう。そこを判断する「定規」をお持ちなら、交渉前に提示してくださいよ、と思う。

 原稿用紙1枚何円、400で割って1文字何円、半日以上の拘束と交通費のかかる取材は上乗せ、1ヶ月に何本書くかも自分ではっきり決めている、という同業者もいる。安く買い叩かれないよう、後続の若手が苦労しないよう、バリューが下がらぬように気をつけているのだという。彼らはいつも変わらぬ品質とペースを保って仕事をこなす。私はいつまでもそんなふうには「相場」を定められずにいるが、あれこれちぐはぐな仕事の量と質とを、それぞれに楽しんでもいる。なめた依頼には別の理由をつけてやんわり断るというスキルも、徐々に身についてきた。

 私は「私の価格」の設定に、他者も積極的に関与してほしいという気持ちが強いのだろう。何かの価値を定める作業は、責任重大で、とても煩わしく、揉め事の種にもなりやすく、できれば避けたいものである。しかし最も厄介なことだからこそ、共同作業者には何よりも先にその話題を、価値観を共有してほしいと思うのだ。

(つづく)