風の帰る場所

第23期(2015年10月-11月)

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いま、僕たち家族は、引っ越しの準備をしている。いろんな事情から、この家を離れて、あたらしい家に引っ越すことになった。昨日も一日その準備をしていた。僕がいま暮らしている部屋は、僕にとってはまだあたらしい。僕はこの部屋に、何年住んでいただろう。東京で生まれて、父親と別れて、岐阜に来てから、僕たち家族は、何度か引っ越しをした。この家はいまの父親がちいさい頃から家族と住んでいた場所で、家自体はとても古い。いまの父親は、数年前に僕の母親と結婚した。母親は、そうして再婚というものをした。

僕はあの日母親の結婚式に出席した。生まれてはじめての結婚式は僕の母親のもので、僕がはじめて見たウェディングドレス姿の花嫁は、僕の母親だった。普通、というものがあるなら、それは普通とはすこし違っていて、僕は僕の母親が僕のあたらしい父親と教会で愛を誓う場面を眺めながら、不思議で、それでいて、心から、よかったなあと思った。

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いま暮らすこの家にもうすぐお別れというものをする。すこしだけさみしい気もするけど、そんなにさみしくもない。ここはいまでは僕の家だけど、僕たち家族の家だけど、この家が、なくなるわけではないから、僕はそんなにさみしくはないのだと思う。

いつのことだったか、もうあまり覚えてはいないけど、僕ははじめて僕のうただと思えたうたをつくった。それは「風の帰る場所」といううただった。僕はそのうたに、そう名前をつけた。その名前は、宮崎駿さんの本の名前を借りてつけた。その名前がふさわしいと思ったから僕はその名前を宮崎駿さんからもらうことにした。今朝起きたらある人からメールが来ていて、それを読みながら珈琲を淹れていたら、ふと、そのうたのことを思い出した。いまではうたわなくなったうただけど、それはたしか、こんなうただった。

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さよならを すませたら
住みなれた部屋を
出てゆこう
鞄には 入りきらぬ
思い出たちを
置いてゆくのさ

明日から
知らない街で
知らない日々を
過ごしてゆく
どこへゆく
わからないが
それでいいのさ
それでいいのさ

さみしいと 泣いたなら
いつかまた この場所で
あなたと 笑いあおう

よろこびも 忘れたなら
いつかまた この場所で
あなたと ねむろう

何もないやけのはら 歩いて
夢みたいな 日々をゆく
歩いてゆく 歩いてゆく
それでいいから

さみしいと 泣いたなら
いつかまた この場所で
あなたと わらおう

よろこびも 忘れたなら
いつかまた この場所で
あなたと ねむろう

いつかまた この場所で
やさしく ねむろう
しずかに ねむろう
いつかまた この場所で
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あの日、それはいつでもあるいつか。その、あの日。僕にとってや、誰かにとっての、あの日のこと。僕たちはふと思い出す。そこには誰かがいる。それは誰かにとっての誰かで、それは僕にとっての誰かでもあって、僕たちは、あの日のことを思い出すときに、その、誰かのことを思い出す。

その、誰かは、もうどこにもいない人かもしれない。まだ、どこかにいる人かもしれない。どこかにはいるけれど、もう、会うことのできない人かもしれない。まだ、いまでも、会うことのできる人かもしれない。いろんな誰かがいる。僕にも、あなたにも、きっと、そう。

会えなくなることは、さみしいことかもしれない。人だから、そうだろう。さみしいこともある。かなしいこともある。それはあたりまえだから、それはそれでいいんだと思う。そういうあたりまえをあたりまえに感じていたらいい。目をつむって、見えないふりをしても、それはやってくる。あなたのかなしみ、わたしのかなしみ。かなしみはいつもそっとそこにやってくる。ここに入りこむ。それは時間を選ばない。僕たちが、それから逃れる術はない。かなしみは、僕だけど僕でないもの。そして、僕だけのかなしみは、あなたのかなしみではないから、それは僕だけのかなしみ。それはあなたにとっても、そう。あなただけのかなしみ。それは、僕のかなしみでないから、それは、あなただけのかなしみ。誰かにそっと、はなしをしたいときもある。誰にも、なんにも、はなしをしたくないときもある。

これは、わたしのかなしみ。
これは、わたしだけのかなしみ。

それを、そのままに、まるごとに。

目をつむってしまいたいときもある。
涙で目が見えないときもある。
そんなときも、あってもかまわない。
だって、
だから、人だろう。
だから、人は、人でいられるんだろう。
そう、思う。

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この写真を撮ったあの日。朝から晩までこの窓を眺めていた。ほんとうに一日中眺めていた。そうしたらふと、あの世というものがあるとしたら、それはここにあると思った。あの世というのは、どこか遠くにあると思っていたけどそれは違っていた。みんながあの世と呼ぶ場所は、僕にはここにあった。ここといってもここはこの世だからそれとはちがう。ここはこの世で、ここは僕の部屋。ここに映るのは僕の窓。だけど、ここに、この場所に、この世に、同時に、あの世があるのだということを、あの日、知った。

遠いということにも、いろいろな遠いがある。近いということにも、いろいろな近いがある。遠いということと近いということはいつもゆれている。遠かったり近かったりする。この世とあの世も、そうなんだということ。ありかたがすこし違うけど、それらは、近くにもある。遠くにあるときもある。死んでしまったものたちも、たぶんそうだ。コロも遠いし近い、そんなところにいる。いつでもいるし、いつでもいない。死んだものたち。生きているものたちはどうか。もうすこし複雑でむつかしいけど、そんなには変わらない。遠いことも近いこともあると思う。会わなくても、死んでも、身体が死んで焼かれて骨になっても、そばにいたりもする。

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コロが死んだとき、僕と母親と弟は、コロの葬式をした。岐阜に唯一の動物供養の寺でそれをお願いした。コロが死んだとき、僕はまだ泣けなかった。というか泣かなかった。まだよくわからなかった。

コロの葬式がはじまって、コロの姿を見ることができるのはこれで最期です、よおく見てあげてくださいとお寺の人が言って、僕たち家族はコロをじぃっと見つめて、これで最期かあと思って、目の玉が零れ落ちてしまいそうなくらいに目をあけて生きているコロだったものを見つめていたら、僕の目の玉から、大粒の涙が零れ落ちて止まらなくなった。ぼろんぼろんと音が聞こえそうなほど大きな涙の粒たちだった。畳にぼたぼたとそれが落ちた。それができるだけおわるまでそうしていた。そして、生きていたコロだったものを見ることをやめて、よろしくお願いしますとお寺の人に言って、コロにさよならをすませた。コロだったものは、あの日、引っ越しをした。僕たち家族もコロがいたところからそうして引っ越しをした。僕たちのあの家はもうない。けど覚えている。だからそれはあるとも言えるのかもしれない。覚えているうちは、あるのかもしれない。引っ越しをしても。いなくなっても。そこから、離れてしまっても。でも、そこに、ある。別のしかたで。

火に身体を焼かれて、コロは灰になって空になった。白い骨が残った。それを寺におさめた。白い骨になったコロはそこにもいる。いまのコロのかたちはそれだ。白い骨としてのコロ。でも、コロは昔のかたちのままでもいる。それは僕のなかにいる。白と黒の毛の模様をした猫だったコロはそこにいる。生きてもいる。死んでもいる。だから、だいじょうぶ。だから、だいじょうぶだと、いまでも思っている。

やがて僕らは太陽のような炎にこの身を焼いて灰になって、この空にかえる。白い骨は土にかえる。茶色の大地にはいくつの骨が埋まっているだろう。数え切れないほどの白い骨。そこから、あたらしい木や草や花が生えてくるのかもしれない。骸は、なにかの生まれるところでもあるのかもしれない。白い骨のコロ。僕はもう彼を抱きしめることはできないけど、彼はまたちがうかたちをしてどこかにいるのかもしれない。ちいさなちいさな粒になって、この空を舞って、鮮やかな光に照らされて、黄金の草原を駆け抜けて、目には見えないひかりになって、誰かの腹のなか、あたらしいいのちになって、また、この大地に、生きているのかもしれない。コロだけどコロじゃないものとして。でも、コロはコロとして。いまも。ここにいる。この世とあの世の境目にいる。境目は、ほんとうは、ないのかもしれない。この世のこの部屋に、あの世もあるのだと僕は知ったから、そこには、境目はないのだ。

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岐阜の大地に、これから白い冬がやってくる。雪ん子がもう空を飛んでいる。冬はちかい。彼らがいつもそれを教えてくれる。岐阜の冬は寒い。ストーブをつけてあたたまろう。ロウソクの火を灯すのもいいかもしれない。白い冬はコロの白い骨に似ている。白い骨は雪の色でもある。コロもまた、白い冬の雪になって、風になって、どこか、もしかするとここへ、時々、帰ってくるのかもしれない。この場所に。夜の黒色と雪の白色が彼の色。彼の生きていた色。いつでも窓はあけておくよ。家が変わっても、ここはおまえの家。僕が暮らしている場所が僕の家。だから、僕の家族であるおまえは、いつでも、ここに帰ってきていいんだよ。家族なんだから、そうなんだ。家族ってそういうものだろう。

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僕たちのからだは魂とよばれるものの乗り物かもしれない。このからだ、このかたちに乗って、僕たちはどこへゆく。この車に乗って走ってゆく。いつかこのからだが空に還るまで。いろいろな色をした夕暮れを眺めて車を走らせながら、僕はあたらしい家へと家具を運ぶ。引っ越しの作業は大変だけど、あたらしい生活はたのしみだ。そこにはあたらしいものがあるから。まだ知らないもの、まだわからないものがそこにはあるから。それを知りたくて、わかりたくて、僕たちはおのおのの車を走らせる。おのおのの夕暮れにむけて。明日はどんな日になるだろう。どんな太陽がやってきて、どんな火を燃やすだろう。燃えるように生きる日々もある。燃え尽きてしまわないようにと誰かのことを想う。火のようにして生きるあなたへ。その火を絶やすことなくゆらめいていてほしい。時々はその火を休めて。安らかに過ごしてほしい。燃える火の惑星のあとには白銀の月がやってくる。そうしたら、そっと火を鎮めて、そうごんにもえる、静かな青い焔に、そのひかりに、あなたのからだやかたちを映して、いろいろなものたちとひとつにつながる影を見つめてほしい。深い、息を、してほしい。そう、祈っている。

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人はすこし、窓に似ている。誰かにとっての誰かは、誰かにとっての窓なのかもしれない。そんなふうに今朝思った。誰かにとっての誰かは、それを覗き込むことで、自分の部屋にいるだけでは見えなかった景色を見せてくれる。だから、人は、窓でもあるのだと思う。人が人間にいるときは。人が人をやめてしまわぬうちは。

その窓は、橋でもある。虹色の橋。誰かにとっての誰かは、誰かにとってのまだ知らない場所へと向かうための橋でもある。知らないものたちをつないでいく、それは見えないかたちのない橋なのだと思う。

窓はいつでも、あけておくよ。気づかない程度にそっとあけておくよ。いつでもそこに来てもいいよ。窓はあいている。生きているものも死んでいるものもそこへ、いつでも。おのおのの窓へ。そこに、いつも、誰かがいる。

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さみしいと泣いたなら
いつでもそこへ
よろこびも忘れたなら
いつでもそこへ
帰ってきていいんだよ
生きていても
死んでいても
それは関係のないことだから
どこにいても
忘れずにいてほしい
かたちが
すがたが
変わっても
関係が変わっても
忘れずにいてほしい
窓はいつでもあいている
風に乗って
風になって
帰っておいで
あなたの場所へ
風の帰る場所へ
そこはいつも
ここにある
窓はいつでもあいているから