愛のかたち−05「オアシス」真っさらで真っすぐ

第26期(2016年4月-5月)

キム ギドク監督の映画が絵画として目に楽しく、突拍子もない設定や登場人物の不可解な言動がどこか寓話的な印象を与える、といえる一方で、イ チャンドン監督の世界は自然主義的だ。一般社会の、とりわけ華やかではない風景や人々に焦点を当てる。
人々は、つらい過去を抱えていたり、犯罪にかかわっていたり、経済的に難儀していたり、大きな喪失の中にあったりする。彼らの人間的な営みは、ときに苦しみを増幅させる。なぜなのか、どうすれば良いのか、明確な答えは提示されない。そして、彼らの人間的な営みは、ときに奇跡となって他者を生かす。清濁を超越してあらわれる光の一片が観る者の心を震わせる。

「オアシス」(原題: 《오아시스》、監督:イ チャンドン、2002年)。韓国のMBC映画賞で最優秀作品賞ほか多数、ヴェネツィア国際映画祭で監督賞や新人演技賞など受賞。
木綿豆腐を食べるときと、恋した相手と小躍りしたくなったとき、私はこの映画を思い出す。この上なくロマンチックな恋愛映画だ、と思う。

ただし、主人公の青年のほうはなかなか挙動不審で、そもそも社会適応力のない人物だ。冒頭は孤独な出所の日、帰宅すると家族は引っ越してしまっていて、彼は灰色に凍てつく冬の街をシャツ1枚で彷徨う。豆腐を食べるが、これは韓国では浄めの意味がある。
彼、ジョンドゥがお姫様を見初めたのは、自分と同じように家族にとり残されたところだったからだろう。彼女の名前はコンジュといって、漢字は不明だが本当に「姫」と同じ発音だ。
コンジュ役のムン ソリは、事前に脳性麻痺のある人と知り合い、友人たちの様子をどうすれば上手く演じられるか、と考えながら役にとり組んだのだという。その演技は、予備知識なしに観た私は暫くの間、女優さんにも障害があるのかと思うほどだった。
満足に抵抗できない彼女の身体に、ジョンドゥは無理矢理触る。このシーンは彼の素行の悪さをはっきりと示していて、どんなふうに前科がついたのかも推察できるようになっている。

しかし、彼は姫を再訪し、歪な出会いにかかわらず彼らは両思いになる。「どうして私に花を贈ってくれたの?」
洗濯をしてあげたり、ご飯を食べさせたり。社会のルールは守れないけれど、ジョンドゥは、1対1で相手の喜ぶことはわかるし実行できる。背景が変われば彼はヒーローだ。コンジュが病気のために知らなかった世界を、彼は見せる。彼女は車椅子から立ち上がって、ジョンドゥに甘えてみたり、歌を歌ったりする。

彼らの家族は訳ありだ。コンジュの兄夫婦は彼女を利用して、障害者と同居でなければならないはずのマンションに住んでいる。そしてジョンドゥをまともにしようと懸命に指導する兄は、ジョンドゥの服役にかかわっている。
家族は、大抵、基本的には愛し合っているのだとしても、後ろ暗さを抱えてなかなか爽やかにいかない場合もある。
それに、両家は過失運転致死事件の被害者側と加害者側である。

【以下ネタバレ】

そんなしがらみの中、主人公2人の恋心はぶれない。彼はいつでも彼女を最優先にし、彼女は優しく彼を許し、ひたむきに求め合う。純粋であることがしばしば、精神的危険に身を曝すことになる、という意味でいかに難しいか、勇気と奮闘を必要とするか、現実世界に思いを馳せるほど、彼らの姿はそれだけで街じゅうを彩るようだ。
もう間もなく娑婆とお別れですが最後にあなたは何をしますか?という状況で、ジョンドゥがまたもや軽犯罪を重ねながら選んだのは、街灯を受けて壁に映る影をコンジュが怖がった、家の前の木を切りにいくことだった。他愛もないと聞き流すこともできる悩みを解消してあげることだった。
2人のいるその場所にだけは暖かい光が満ち、愉快な音楽が流れ、夢が溢れる。
そう、それが恋愛だ。眩暈のするほど真っすぐな。
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