僧侶が改めて自分に向き合った結果見えてきたもの

第28期(2016年8月-9月)

お疲れ様です。
僧侶の鈴木秀彰(すずきひであき)です
今回で第5回目。

前回は、僕がなぜお寺のみならずカフェ、図書館や公民館などいろいろな場所で活動をするようになったのかについてお話させていただきました。

その理由は、僕自身を知ってもらうことで、お寺にいる僧侶の魅力を感じてもらい、それが参拝、お寺でのイベント参加につながるのではないかという気持ちからでした。
それがいつしかお寺の敷居を低くすることにもつながっていけばいいと考えたのでした。

今回は、僧侶としての個人の活動を増やしていった僕が、今一度自分を見つめなおした結果、気づいた思考について、話を進めていきます。

では、そもそもなぜ今一度自分を見つめなおそうと思ったのかについて書かなくてはなりません。

簡単に言ってしまえば、多くのイベントを通して僕のことについて無知な自分に気づいたからです。

多くのイベントを開催していく中で、あまり自分について語っていないことに気づきました。つまり他者のことはときにはアドバイスしたりなどいろいろ言えても、自分のことになるとよく分かっていないという現実。そもそも自分と向き合っていない、どこか逃げている自分に出会ったのです。

そこで、客観的に自分について考える時間を少しずつ増えていき、今一度自分について真剣に向き合ってみました。

まず今まで自分の人生を振り返ってみました。
小、中、高校の期間では、「できること、できないこと」の狭間で、いつしか僕はある行動パターンを取っていたことに気づきました。

それは
「できない自分に嘘をつくこと」
「一人でいること(だってラクじゃん)」
「現実から逃げる」
つまり「できない自分から逃げる」という行動パターンに気づいたのです。

例えば、僕はカナヅチです。水泳の授業時間が嫌で嫌で、さぼったりしていました。
また一人っ子という環境でしたので、家に戻れば1人の天下。
当時はあまり人の興味がなかったので、当時面倒と思っていた、「人との関わり」はあまりせず、基本家にいることが多かったのです。

その後、以前お話した感じで仏教大学に入学し、否が応でも人との関わりを持たなくてはならなくなり、少しずつ人への関心は増えていきました。

今も意識しないと、先程の逃げる傾向は顔を出します。
基本的に「人の前で恥をかきたくない」という思考が強いようです。
きっと昔は人と関わることで、知らないことがあったりして恥をかく部分もあり、現実から逃げていたのだと思います。

そんな僕でしたから、イベント中、自分のことについてあまり語らなかったり、基本は参加者から出てくる話題にて展開していくことが当時は主流でした。

さらに、どこか僧侶は人を導かなくてはならない、まるで教師のように、しっかりしなくてはならないという気持ちがそれまで強かった気がします。

それこそ、今思えば自分の中にあった「僧侶、お寺の敷居の高さ」だったのかもしれません。

前回お話したように、イベント開催のねらいは僕を知ってもらうことです。
そのためには自分をさらけ出し、ときには失敗したこと、ダメな自分を披露することも必要ではないでしょうか。

それに気づいたのは、勉強のためにいろいろな人の講演に参加するようになり、印象に残っている人、参加して良かったと思える会は、自分の成功話ばかりでなく、ときには失敗話を出し、そのときの心境などを正直に披露する人の話でした。

そのように意識すると日々のイベントがさらに楽しくなりました。自分の心境、考えなどを披露することで聞いた人からの想像できない感想や体験話などもありました。

せっかく同じ時間を使い、そしていろいろな方が集まってくれる場になってきている機会を「何のために開催しているのか」について改めて考え直すきっかけにもなりました。

次回は今一度自分を見つけなおした僕が次にとった行動について、話を進めていきます。

合掌

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