ドロドロした闇の中にさす一筋のどこか懐かしく温かい光

第28期(2016年8月-9月)

お疲れ様です。
僧侶の鈴木秀彰(すずきひであき)です
今回で最終回。
これまでお付き合いいただきありがとうございました。

前回は、今後どのような活動をしていきたいのか、お話させていただきました。

まず、僕は「仏教を伝えながら、その人自身の良さを引き出し、自信をつけられるようなお手伝いをする人」でありたいと思っています。

僕自身、過去自信をなくし、結果的に現実から逃げていました。そのとき、誰か、アドバイスをしてくれる人がいたら、どんなに心強かったかと今なら思います。

次に、僕は「自分に嘘なくアウトプットする場」を作っていきたいと思っています。

今はインプットの時代。でも入れてばかりでアウトプットする機会はないと思います。
そのアウトプットがさらに、失敗できない、まずいことを言ってはならないという恐れから、本音から出すとなると難しいと思います。

だからこそ、僕が開くイベントでは、そうした、自分自身と向き合いながら、感じたことを遠慮せずにアウトプットできるような場を提供したいと思っています。

今回は、この担当期間中、感じたことについて、話を進めていきます。

今回のご縁、普段対話を通して伝えている僕にとって、伝えていく発信力という部分に対しての自信があり、また文章を書くこと自体もブログを書いている関係もあり、非常に楽しみな気持ちからスタートしました。

仏教を身近に感じてほしい、通常の僕が話している感じでどこか気負わず伝わってほしいという願いで、僕の現在に至る原風景を伝えていくことが狙いでした。しかし、文章能力といってしまえばそこですが現実は難しかったです。

一つの表現にしても、それこそ一つの言葉にしてもなぜ引用しているのか、なぜ使っているのか、細部まで気をつけていけていく必要性を学びました。人は、それぞれがどんなことを感じ、考えて、行動しているのかに興味を持っている方が多いと思います。でも、それを理解して、決して人と比べるのではなく、またその人を知り、自分がどうするのか。今後も開催するイベントでは、ぜひ人それぞれの深いところに着目していき、自分とつながって行動できる仲間を増やしていきたいです。

最近になってようやく、僧侶に求めている姿であったり、それぞれが持つ宗教観などを通して、身近な仏教ってどういうことなのか理解してきました。
自分の視野では気づくことができなかったのは、昔から仏教というものが身近である僕の感覚と、仏教が異質なものである他者との感覚の間の違いは、想像以上に大きかったです。

そもそもどうなれば仏教は身近になるのでしょうか。
僕の考える「身近」とは、日常会話の中で出てくる、また悩んでいるときに調べたくなる、そこになにか光があるという存在であると思っています。

その期待に応えられる力を仏教は備えていますが、その力を伝えられていないのが現実です。それは伝える役割でもある僧侶の怠慢、力不足。さまざまな原因があります。
これを急激に変えることは難しいですが、地道に目の前の人から伝えていくことがその一歩になると信じています。

法話も以前に比べれば、周りを見られるようにもなり、楽しさを感じています。
伝える発信という面では、今回の経験で自分を深く掘り起こして表現するという課題を突き付けられたと思っています。僕がなぜこれを伝えたいのか、なぜ今日言葉を引用しているのかを明確に伝え、それを感じた参加者から感想をいただくことで、僕とともに参加者それぞれが自分につながっていけるのではないでしょうか。

正直今回、今まで試行錯誤しながら文章を書く楽しさにようやく気づき始めたところ、最終回なので非常に残念ですが、これからも自分のブログや法話などで伝えていきます。

最後に、この度ご縁をいただきました猫田耳子さんをはじめ、レビューを毎回書いていただきました唐木みゆさん、記事に対してご協力、アドバイスをいただきました鈴木悠平さんにはこの場を借りて深くお礼申しあげます。

またどこかでこのような機会があれば、そのときの気持ちを正直に書かせていただきたいと思っております。

今回の文章を読んで、僕に会ってみたい、話してみたいという方はぜひ気軽にお声をかけていただけると嬉しいです。ぜひお話しましょう。ぜひ感じたこと、考えたことを正直に伝えてください。そうすることで、僕へのギフトにもなりますが、きっとあなたへのギフトにもなります。

今後も僕は僧侶という仕事を軸に、自分という存在価値を感じながら活動をして参ります。
2ヶ月間、お付き合いいただきありがとうございました。

合掌

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