あたらしい星座を結ぶみたいに

第30期(2016年12月-2017年1月)

部屋に流れる音楽、テレビをつける習慣がない私にとってそれがなくては落ち着かない。
インテリアがキャンバスに描かれた静物画だとしたらそこに流れる音楽は額縁のようだと思う。

好きな音楽があると部屋は一層私のものらしくなるので、ふっと心ほどけるのがわかる。
ただいま。帰ってきたな、灯りの点いた部屋に緩んだ気持ちと疲労が同じ分だけ広がっていく。

随分長く、それで十分に楽しんでいたし満足していたはずだった。
音楽はずっと前から私にとって豊かなものだったけど、フレームアウトするほど揺さぶられることもまた、なかった。

「音楽」がこんなにも私のなかで切羽詰まった存在に膨れ上がったのはいつからだろう。

音楽はもう「聴く」ものじゃない。
聴く、というのは椅子に座り向かい側から音楽が流れてくるのを手のひらで掬いあげていく感じ。
そういうんじゃなく、いつの間にかそれは「生きる」ものになってしまっていた。
音楽のなかに広がる景色を、生きる。
生きたい音楽に胸を焦がし、そのなかを泳ぐことを思って心はひりひりする。
高校生の時はキャロル・キングに牧歌的な原っぱを
ノラ・ジョーンズに沈んだブルーアワーを、音楽のなかに見つけては夢中だった。
好きな音楽は私の身体が細胞でできていることを思い出させるようにひとつひとつを震わせて
音を耳以外で感じる感動を伝えてくれる。
同時に、わたしの目の前にはっきりと音楽の景色が広がっていく。
湖の朝霧、赤い部屋、絵本のなかで見たような月夜などが意志をもって立ちあがる、そんな具合に。