明日飽きないインテリアに必要なこと

第30期(2016年12月-2017年1月)

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戻りたい時間って、きっとどの人もあるんだろう。

私がよく思い出すのは、幼稚園生の時、帰宅後の昼下がり。
木洩れ日の漏れるマンションの一室で「げんきなマドレーヌ」を読み聞かせてもらっている時間。
なによりも大好きな絵本のそば、白いビニールの壁紙を戯れる午後の陽が好きだった。

もう少し傾くと夕方に違いなく、でもその手前の昼下がりの緩やかなひかり。
ひかりの傍、籐の電話台に落ちる影をお母さんのことよりもよく覚えているのは不思議だなと思う。

今でもその時間が深夜よりも今日と明日のはっきりとした境目に思える。
今日を生きている喜びが一番膨らむ時間なのかもしれない。
まだ手のひらに「今日」がたっぷりと残っている感じがして、ゆったり満たされた気持ちになるから。

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だけど、そこに戻ることはもうできないことも知っている。

あの時のあの時間、に戻ることはできない。
そこにいるあの人を取り戻すこともできない。
もう会えないものほど、未練の残るものもきっとないのでしょう。
私もそういう人のひとり。
放っておくとただの懐古趣味になってしまうような未練を幼少期にたいして持っている。

「その時間」をインテリアで表現することは可能だと思い浮かんだとき、
私は世にも美しい無国籍な音楽を浜松のコンサートホールでひとり聴いていた。

音楽もまた、時間を操ることのできるもの。
音楽を聴いている時に夜の砂漠の気配のするものやひんやり暗い午前中のモスクの唐草模様、
午後の原っぱみたいな匂いのするものを「感じる」ことがあって
言ってしまえば感覚のタイムトリップなのだけど
インテリアを作りあげていく時も、実現したい時代や様式をイメージするところに始まって
どう在りたいか、どう過ごしたいかを具体的に色づけしていくことで空間ごとタイムトリップできる。

だから、インテリアは「時間」のクリエーションなのかもしれない。
なにもしなくても前に進むしかない時間の概念のなかで、
過去を背景に、今日と明日のじぶんを組み込んでいく
舞台装置としてのインテリア。

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それはほとんど無意識のなかで、かたち作られていく。
部屋に置くものを選び取るとき、それは実のところ選んでいるのではなく
選択として「残っていく」感じが近いと、いつも感じている。

洗練されたセンスやトレンドは後から身に着けることのできるものだけど
インテリアを決定的に印象付けるのは、暮らす人の紛れようのない記憶と経験。

良し悪しの判断の下しようのない、そのひと個人の歴史だと思っている。
だけどインテリアは単なる過去の集積に止まらない。

記憶も感情も、移ろいやすいもの。
だから今直面している出来事に影響されて、ひとは一度そのものが「今のじぶんにも」必要か考え直したくなる。
それが一大ブームを引き起こした「断捨離」。
年末、きっと断捨離をする人も多いのでしょう。だけど捨てすぎにはご注意を。
一時の気の迷い、かもしれません。

誰かと出会ったとき、そして別れたとき。引っ越すとき。招き入れるとき。
記憶の整理のタイミングを何度か迎えていくうちに、インテリアは更新される。
残っていくものはますます自分を表現するものとして真実味を帯びてくる。
過去は今に意味をもち、脈打ちだす。

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例えば私が選びつづけてしまうものについて。

部屋のあちこちに散りばめられている刺繍のクッションや中央アジアのラグ。
鳥のモチーフに、スウェーデンの幸福の馬であるところのダーラヘスト。

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ひっそりと置きっぱなしになっているけれど手放せないピアノ。
中学生のころからコレクションしているポストカード。
そして、陶器たち。

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そういうものの色や手触りや光の具合に囲まてソファのうえで体重を解放していると
知らないうちにできていた心の内側のかすり傷や切り傷の存在に気付いて、すこし泣く。
そして次の瞬間にはもう、癒えている兆しを感じとったりもする。
絵本や午後のひかりの気配は刺繍や織物、間接照明にすがたを変えて
私の部屋に今日も生き、私を何者でもなかった時と同じように覆ってくれる。

愛着のある時間の気配を帯びたインテリアには、その人の心の手当てをする力がある。
家の外でできたかすり傷や切り傷を、「外モード」になっている時には自分でも気づいてあげられないもの。
「大人だから」我慢できると信じて気にしないようにしているし、人はだんだんと訓練されるものだから。
でも無防備にしてくれる部屋のなかでは気付かずにいられない。
だけどそうして気付いてあげると、癒えるのは存外速い。
そうしてまた外で活躍することができる。元気に振舞うのではなく、本当に。

「インテリア」で自己表現をしようとすると、どうしてもお客様向けの見栄えと説得力を気にしてしまいがち。
どのように設えたら洗練されて見えるか、あるいは散らかって見えないかというHOWTOに溢れてる。

せっかく外側の世界から隔たれたあなただけの空間を、どうしてよそ行きに装うんでしょう。

インテリアを考える時、そのイメージをもっと自分の内側の記憶から引っ張り出してもいい。
なぜその記憶に愛着を感じているのか思い返すことは
じぶんの人生に必要不可欠な光と影の居心地のいい加減を知ることに繋がっていく。
それはきっと明日を家の外で生きるための正しい休息になる。

じぶんに合った休符の打ち方を教えてくれる、ということ。

誰かに見せるためのインテリアではなくて、
自分のためのインテリアを大切に思う人が増えるきっかけになったら、うれしい。