ポーランド、私の風景

第30期(2016年12月-2017年1月)

新年あけましておめでとうございます。HALです。皆様いかがお過ごしでしょうか。私にとっては、ポーランドのポズナンという街で過ごすお正月も今年で2回目となりました。日本にいたときは、正月三日目ぐらいに近所の神社に散歩も兼ねて初詣に行ったりしていたのですが、ここには神社もお寺もありませんので、教会に初詣してみるのもありなんじゃないかと考えているところです。皆様にとって2017年が素晴らしい年になることを願っております。

今日は、ポーランドで撮った写真をいくつか紹介してみようと思いますので是非ご覧になってください。ところで、本来なら、この写真はこの場所でいついつに撮影しましたといった感じでお見せするのがいいのかもしれませんが、あえて今回はそのようなキャプションはつけず、自分の心のイメージと写真をオーバーラップさせながら、雰囲気重視で紹介してみようと思います。

初めてポーランドを訪れたのは、4年前でした。2週間ほどの間に観光で4つほどの都市を訪れました。初めて見る旧市街地、美しい教会やヨーロッパスタイルのお城の数々にウキウキが止まりませんでした。なんかこう、ずっと見て見たいなぁと自分の中でイメージしていたものがいざ目の前にバァァーン!「おおおおおおぉぉ」。特に私のようにヨーロッパに初めて来た人にとってはそれはとてもエキサイティングな経験でした。

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日本から友達が遊びに来た時も、旧市街地や歴史的な建物などを案内すると、「来てよかったなぁあ」という感想をもらえます(笑)。

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私もポーランドに来る前に、何度も写真や映像で街の様子を目にしていましたが、やはり実際に見たときの空間力というか物の実在の力というか、それは私の心の広角レンズをもってしても、とてもカバーしきれるものではありませんでした。

少しミクロな視点に切り替えて見ると、街のいたるところで建築物に施された細かい装飾や彫刻作品のオブジェなどが溢れています。それも、単にそれらは美的に強調されているだけではなく、そこには遊び心が見え隠れするなかなか憎い演出が見て取れます。

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このように、実際に何回か観光できてみて、その結果、この街で留学しようと決めたのですが、いざ実際に住みはじめ、ある程度の時間を過ごしてみると、観光の時に心惹かれた対象とはまた別のものとのダイアローグに誘われます。

例えば、共産主義の時代に建てられた集合住宅。その時代には都市部における一つの理想的な居住空間として国内外にアピールされていたようです。

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このような集合住宅は時には共産主義時代のプロパガンダとして機能していましたが、また同時に人々の間でそのようなイデオロギーに対する皮肉の象徴的存在としても見なされていたようです。日本の団地をどこかイメージさせたりもするのですが、やはり何かが違います。団地の持つ単なる機能主義的側面を超えた何かもう少し別の「何か」が見え隠れします、、、はい。観光的なイメージを持つ旧市街地を抜けると、突然、このような集合住宅が巨大ドミノ群のように現れるので、「お、お、おぉ」っとなります。

こちらはビエドロンカというスーパーマーケット。とにかく安いものを大量に売っているというイメージが先行するスーパーです。

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このスーパーを日本のどこかのスーパーで例えて語ることはできません。すごい特殊なんです。個人的な感想で恐縮ですが。私は週三、四で通っているので、もはや生活必需店と言えます。実はなかなかユニークなものも売っており、たまに日本の食材フェアなんかを開催していて、蕎麦や餃子なんかもGETできます。ビエドロンカとはポーランド語で「てんとう虫」の事なんですが、このスーパーマーケットのブランドは、街のいたるところにあります。スーパーですが日本のコンビニ並みにあります。一つの通りに、「あっ、ビエドロンカ、そんでこっちにもういっちょビエドロンカ」といった具合です。さらにカエルのマークが特徴的なジャプカというコンビニエンスストアもあるのですが、これは名前の通り畑のカエル並みに街にあふれています。漫才なんかでよくやる、「今日もたくさんの方がいらっしゃっていますね!こちらから、ジャプカさん、ジャプカさん一つ飛ばしてビエドロンカさん!」といった具合です。すごく始めやすいビジネスモデルなのかもしれませんが、夜の暗がりで道に沿ってビエドロンカやジャプカの店の明かりだけが点々としている光景を目にする時、「お、お、おぉ」っとなります。

街を歩いていて目にするものの中で、個人的にすごく好きなのが教会建築やそれに関係するオブジェです。

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街の中心にはすごく大きな歴史的に重要な教会建築がいくつもありますが、郊外の少し小さめの教会もなんとも味わい深い姿を見せてくれます。特に夜の教会は建物がライトアップによって装飾されています。効果的に下から建物の側面が照らし出され、その姿はなんとも荘厳な雰囲気を漂わせます。

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夜街を散歩しているとわかることなのですが、教会のような特別な建物だけがそのようにライトアップされているのではなく、様々な建築物やオブジェがライトアップされているのです。それも、表通り沿いの建物だけではなく、裏通りに面した静かな場所でさえもそのような光景を目にすることができます。建物とそれが佇んでいる境界線は闇の空間に溶け込み見えなくなりますが、建物の正面や側面を下からあるいはサイドから照らすことによって、その姿は何かもっと大きなものとしてその存在が増幅されるみたいに感じます。まるで、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の発想がここで体現されているのではなかろうかといった思いに浸らせてくれます。

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使っている明かりの色もLEDなどではなく、もっとオレンジのぼんやりとしたものです。中には、街灯の明かりにガスを使用しているという話も聞きました。ヨーロッパで、あるいはポーランドにおいて明かりや照明に対するどのような発想や思想があるのかについてはまだ知りませんが、私自身の感想としては、そしてイメージとしてはこのように思っています。

それは、「機能」から、「それ自体」になる瞬間だと。建物は、本来人々が居住する、あるいはそこで仕事などの活動が行われるために開かれた場所である、あるいは仕切られた場所であると言えます。そのような場合において、建物は私たちの活動をできるだけ円滑に行うために最適化される必要があります。しかし、いざ人々が活動を終えその場からいなくなると、建物は建物それ自体になります。人々が一日の仕事を終え、家に帰ってプライベートな生活に戻るように。そのような時、建物それ自体の美しさが、眠りから覚めて起き上がってくるみたいな、そんな風に見えるのです。ライトアップは建築の持つ機能的な美しさからイメージとしての美しさへのトランスフォームを促すためのものなのかもしれません。

そんなライトアップに彩られた建物に囲まれていると、何か夢の世界を散歩しているような気持ちになります。そんな時は映画館に行きたくなります。映画を見たくなるということもありますが、とにかく映画館に行きたくなるのです、どうしてでしょう。このポズナンにはたくさんのオールドシネマがありそれぞれがとても味わい深い雰囲気を持っているのです。中には100年近くやっている映画館もあります。

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オールドシネマの中で映画を見ると、それはまさに映画館で映画を見ているという感じですね。映画館で映画を見る感じ?当たり前じゃん!と思われると思いますが、オールドシネマと巨大なスクリーンに大迫力の音で楽しむコンサートのような映画上映とは違います。そこには映画が始まる前から雰囲気があるのです。なかなか説明するのは難しいですが、例えば、昔からある情緒あるカフェのような。その空間を漂う雰囲気、匂い。もちろんコーヒーが飲みたいのですがそのカフェ独特の雰囲気と一緒に味わうというような。これ以上説明するのは野暮ですね(笑)。雰囲気とは説明の外にありますから。ただ今まで私はこのような映画館に一度も入ったことがなかったので、本当に気に入っています。

最後は田舎や、あるいは森や湖などの自然の風景を少しご紹介します。大きな街と街を結ぶ電車に乗ると、出発から10分後にはこのような風景が目の前に広がります。どこまでいっても、平らな、平らな、平らな感じ。地面と空を二分する地平線が、電車のスピードに合わせてどこまでも追いかけて来ます。

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でも日本と少し違うところがあって、どこまでいっても、その水平線の向こう側に山の連なりがシルエットとなって現れてこないんです。私はこの風景を2時間でも3時間でもただ眺めているのが好きです。

ポズナンから3、40分程ローカル線に乗って田舎の小さな町へ。少し歩くとそこには森の入り口が広がっています。季節外れのピクニック。辺りはしんと静まり返っています。自分の一歩一歩が、ミシッ、ミシッ、と森の土に優しく受け止められるなんとも心地の良い音に、まるで自分が周囲に溶け込んでいくような淡いまどろみを覚えながらも、鼻の奥まで一気にスゥッと入り込んでくる冷えた空気が意識の覚醒を促します。

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木々を分け入って、分入って、どこまでもどこまでも深く入って行きます。するとそこには、まるで、何年も前からずっと私のことを待っていたような佇まいで、深く静かに澄み渡った湖が広がっていました。

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ただそれは綺麗でした。

どのくらい時間が経ったでしょうか。気がつくと自分も周囲のシルエットの一部と化して、その世界の中にゆっくりと吸い込まれていくようでした。

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目の前に広がるのはシルエットと空気、ただそれだけです。シルエットと空気の境界線を感じながら、ただそれだけを感じながら私はまたどこまでも歩いて行きました。軽やかに、しなやかに。そしてその時ふと思ったのです。もうしかしたら魚はこんな風に泳ぐのかもしれないと。

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