入居者名・記事名・タグで
検索できます。

2F/当番ノート

大人になれば

当番ノート 第31期

33251C6E-14E2-4C9F-A758-D8C9CEAF05A3
オザケンが19年ぶりにCDシングルをリリースした。もちろん購入した。
「c/w」の表記が何とも言えず懐かしかった。
(カップリングウィズの略で、90年代はシングルCDのB面のことをこう呼んでいた)
最近は、amazonやiTunesで購入することが多くなり、CDショップというものに足を運ぶのもめっきり減った。
昔は気になったCDを視聴して時間を潰すことも多く、何時間でもいれる気がしていたのが、
今では目に入る情報量の多さにちょっと酔ってしまうくらいだ。
鹿児島のCDショップを2軒ハシゴしたにも関わらず僕には見つけられなくて、結局amazonで注文した。
小・中学生のときに熱心に聞いていたアーティストが新譜を出すなんて、何だか感慨深いし純粋に嬉しい。

僕は小さい頃から音楽が好きで、邦楽・洋楽・ジャンルを問わず気になったものは何でも聞いていた。
親の話によると、光GENJIがパラダイス銀河を歌い踊るのを見て、一緒に踊っていたそうな。
僕がまだ3歳のときだから、ダイヤルを回してチャンネルを変えていたころ。
祖母の家でミュージックステーションにチャンネルを合わせていた記憶が、なんとなくだけどある。

物心付いてからは、レンタルCDショップでCDを借りて、好きな曲を集めてミックステープを作ったりしていた。
今ではTSUTAYAとかがあるけど、その頃は個人経営のそれしかなかった気がする。
家から一番近くのレンタルCDショップは、確かAVステーションとかいう名前だった。

カセットテープのインデックスカードに、どれだけ上手く曲名を書くことができるかに情熱を注いだり、
鉛筆を回してテープを送って録音位置を合わせたり、永久保存版のものは爪を折ったり。
カセットデッキを枕元に持って来て、寝る前に好きな歌手の曲を聞いたりもして、それは大人になった今も変わってないな。
小学生のときは放送委員で、前日の歌番組で誰かが歌った新曲をテープに録音して給食の時間に流してたっけ。
テレビの前にかじりついて録音して、母親や姉の声が入ってよく文句を言っていたものだ。
分かる人には分かる懐かしさがあるはず。

話は戻るが、オザケンのLIFEが発売されたのが1994年だから当時僕は9歳。
何でこんなにも知ってる曲が多いのだろうと思ったらそれもそのはず、
当時、長くても4ヶ月、早いときは1ヶ月感覚で新曲をリリースしていたよう。
それは多いはずだ。

「愛し愛されて生きるのさ」や「僕らが旅に出る理由」とか、
「ラブリー」や「今夜はブギー・バック」とか、有名な曲はもちろん多いし、
「指さえも」や「大人になれば」とか「夢が夢なら」とか
「それはちょっと」や「強い気持ち・強い愛」とかも、もちろん好き。
一番好きな曲はどれかと言われると、メジャーな曲よりもマイナーな曲を選びたくなるがファンの心理。
それでもメジャーな曲を選ぶときは、「一周回っていいよね、やっぱ」なんて言ったりして、
同じようにオザケンが好きなはずなのに、僕の方が私の方が、なんて思いたくなるんでしょ、きっと。

その中でも「痛快ウキウキ通り」が、僕は好きでよく聞いていた。
「プラダの靴が欲しいの」、このフレーズから始まるあの曲だ。
NHKで歌うときは「プラダの」を「きれいな」に変えていたのは有名な話。
3分半の中にあれだけの歌詞を早口で3番まで詰め込んだのと、大サビの転調する感じが好きで、
オザケンが歩く後ろで、歌詞の通りに映像が進行していくPVも好きだった。
リアルタイムで聞いていた世代ではあるけど、当時の僕は小学4年生。
大人になった今やっと歌詞の意味を理解して、これを青春時代に聞いていたらなと、なんか悔しくなったりして。

僕らが学生の頃は、音楽の聞き方そのものが偶然にも過渡期で、年を追うごとに変わっていった。
きっと今の高校生や大学生は、音楽を聞き始める頃にはもうすでにiPodやMP3プレーヤーがあっただろう。
大人になって「昔のあの曲もう一度聞きたいな」と思ったら、今手にしてる音楽機器で検索するだけでいい。
ところが僕らはそうではなく、3年周期くらいで聞く音楽がどんどん変わっていった。
小・中学生のときはカセットテープ、高校生のときはMD、大学生からはiPodやMP3プレーヤー、という具合に。

変わっていった、というか、物理的に「聞けなく」なっていった。(コピーコントロールCDなんていうものもあった)
学生時代に聞いていたものは、購入よりもレンタルすることが多かったから特にだ。
定期的に物理的な音楽のストックが無くなって、その度に新しい音楽を補充して聞かざるを得なかった。
そんな時代だったからこそ様々な音楽に出会えた気もするし、
たくさんの音楽を聞く事で本当に好きなものがちょっとずつ分かってきた。

そんなことを繰り返して大人になれば、
何でか知らないが、昔好きだった音楽がどうしても聞きたくなることがある。
結局大人になってから、ブックオフで買ったり、もう一度レンタルをしたりもした。
自分の中でだけかもしれないけれど、好きだった音楽はどれだけ時が経っても色褪せないから。

僕にとって、オザケンがその一人だった。

多分そんなアーティストがきっと、
僕らの世代のみんなは、
一人くらいいるだろうなんて、
考えてみたりするけど。

荻野 瞬

荻野 瞬

旅するデザイナー/旅する観光案内人

会社員時代から日本全国を車で旅し、様々な土地で出会った人々や物に魅力を感じるようになる。
退職後はフリーランスのデザイナーとして、ロゴマークや印刷物などのグラフィックデザインを中心に活動。

2014年には、鹿児島に移住する際に東京からの3週間の車の旅を「オギーソニック」と称し、キャラバンを敢行。
それ以降様々な場所を訪れながら活動し、各地で出会った人や見つけた物などの情報を発信している。

ただいま東京での拠点となる物件を探し中。

Reviewed by
熊野 英信

ぼくも音楽は好きな方だった。
荻野さんとは同じ世代なので、TVから流れて来たポップスはほとんど同じ、
メディアもカセットテープ、MD、それからはPCに落としてmp3への流れ、年齢も同じ。
レコードなんかはmp3のあとに興味を持って聞き出した。
どんどんデジタルな音になっていった挙げ句に「やっぱアナログはいいよね」なんて、
アナログな耳じゃなかったはずなのに言ってみたり。

オザケンの新譜の衝撃は、オーバー30のぼくらはもちろん、多分、上の世代の方々も、
わくわくどきどきしたはずだ。
オザケンに対するわくわくどきどきは、ぼくは懐かしさじゃないなあと思った。
あのとき、ぼくなんかはまだ小学生だったころ、
大人の楽しさや寂しさや強がりや憧れや甘酸っぱさや恥ずかしさなんか知らなかったはずの
ぼくらも、オザケンの音楽に何故かこころがそわそわした。
大人に憧れた、もしかしたら最初の出来事かもしれない。
あのころの大人はみんな素朴で楽しそうだった。
そんな大人が嘘くさくて思春期はやたらと刺々しい音楽を聴いてたりしたけど、
大人になってふとまたオザケンや、あのころ憧れた大人たちの音楽を聴くと、
気がつけば涙が出ていたりした。
楽しそうに歌い上げる恋人とのお話がとても寂しいあとのことだったり、
夢中の最中の切なさとか、知ってから聞いたそれらの音楽は、もうずっと今も好きだなあと思う。
そんなオザケンが、今、また歌っている。新しい歌を歌っている。
オザケンもいろいろあったろうなとか余計なお世話をやきながらぼくらはまたオザケンに夢中になっている。
そんなオザケンがかっこよくて、わくわく、どきどき、そわそわしてしまう。

あのころの憧れじゃなくて、なんか、今生きている同じ人間が、
あのころからずっと歌っている姿に、元気づけられた気がした。

荻野さんも、嬉しそうで、やっぱりオザケンはポップスターだなと。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る