飲みきれない夜

第31期(2017年2月-3月)

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僕は父親とお酒を酌み交わしたことがほとんどない。

別段、僕も父もお酒に弱いわけでもないし、嫌いな訳でもない。
でも、僕が実家でお酒を飲む事は、ほとんどというか一切無い。
況して、父と差しでどこかに飲みに行く、なんてこともしたことがない。
もうとっくに30歳を過ぎたけれど、小っ恥ずかしさが拭えなくて、飲みに誘ったこともない。
たまに実家に帰ったときに「いつかそういうことができるのだろうか」と頭の片隅で思いながら、
父がお酒を飲む姿をただ眺めていたりする。

僕がまだ中学生くらいのとき、夜中に自分の部屋で勉強していたら(当時父の仕事場と勉強部屋が一緒だった)、
お酒を飲んで酔っぱらって帰って来た父に、理不尽に怒られたことがあった。
エアコン付けてるのに、窓を開けっ放しにするな、とかそんな理由だったと思う。(実際、窓は開いてなかった)
他にも父のお酒の失敗はちょくちょくあったけれど、人様に迷惑をかける事も無かったので、今思えばかわいいものなのだと思う。道端で朝を迎えた話は聞いたことはないし、どれだけ遅くてもちゃんと家まで帰ってきていた。
どれだけ酔っぱらっても道端では力つきず家まで辿り着ける能力は、父から受け継いだらしい。

そんな父を見て以来「酔っぱらって帰って来た父には、話しかけないようにしよう」と心に誓ったし、お酒を飲める歳になってからも、人様に迷惑はかけたくないし、嫌な気持ちにさせたくないという意識がどんなお酒の席でもある。
そんな意識が働くものだから、記憶がなくなるほどお酒を飲んだ事はないし、正気を保とうと理性が勝ってしまうのだ。
でもいつか、記憶を無くすほどべろんべろんに酔っぱらいたい気持ちは、常にある。

父が家で飲むお酒は、今でこそヱビスビールの小瓶の後にすだち酎を1杯とかで、昔はキリンラガービールの中瓶の後は、専らウイスキーやブランデーだった。黄金色に輝く液体の入ったグラスを氷と一緒にカランカランと揺らす様は、なんだか格好が良くて憧れた。「お前も飲んでみるか」なんて言われて、ちょびっと口に含んだだけで「うげっ」となったのを覚えている。

友達が飲んでるお酒よりも、父親や祖父、親戚の集まりなどで誰かが飲んでいたお酒に引っ張られるような感覚が僕にはあって、母方の祖父はバドワイザーと日本酒、父はキリンラガーとウイスキーやブランデー、最近はヱビスビールとすだち酎。
お酒を飲む姿を見ていたときは自分が飲める年齢ではなかったのに、お酒の種類や銘柄だけはなぜか覚えていて、いざ自分が大人になるとその記憶が物差しになっていることが多い。
だからなのか、僕もどこかでお酒を飲むときは、ビールで乾杯したあと、なんだかウイスキーやブランデーを飲みたくなるし、バドワイザーがメニューにあると、やっぱり選びたくなる。巷では、バドワイザーは味が薄いだの水みたいだのと言われているけれど、それ以上に祖父の好きだったお酒という記憶が、それを美味しくさせている。

27歳くらいを過ぎた頃から、思い出話ばかりを話すような所謂「飲み会」ではなく、仲の良い友人と会ってただお酒を飲む席(飲み会ではない)によく行くようになった。
今回の東京滞在でも、どれだけの人とお酒を飲んだか分からないほど。人見知りで内弁慶ではあるけども、友人が紹介してくれる友人は、無条件に良い人だと確信が持てるので、偏見を持たずに穿った目を持たずに接することができる。長い付き合いの友達と飲むのも楽しいけれど、新しい人と初めてお酒を酌み交わすのは、一度しかないということもあってお互いに楽しい席にしようと努めるきらいがある。
「そうか、だから楽しいのか」ということが、最近分かってきた。

誰かが、「どれだけ友達が多くても、友達と楽しくお酒を飲んだりしても、結局帰る家は1人なんですよ。」なんて言っていたけれど、楽しい夜を過ごした日ほど、1人で帰る道中はなぜか孤独をすごく感じるのも確か。
そして楽しくて飲み過ぎた夜ほど、胸がいっぱいで飲みきれないことが分かっているのに、コンビニで缶ビールを一本だけ買って飲みながら帰ったりする。

そんなときに選ぶお酒は、決まって父や祖父が好きだったお酒で、
昔をぼんやりと思い出して「やっぱり買うんじゃなかったな」なんて少し後悔しながら、家までの道のりを歩くのだ。