剥き出しの音

第31期(2017年2月-3月)

IMG_4072
Toypianorgan(2013)
 
 
音楽というもの以前に、音に触れたり、音が生えて来る事物に惹かれる。
 
 
 
普段の音楽制作の範疇では、フィールドレコーディングの類いは制作上で必要になった場合以外は行っていないけれど、録音等を伴わないスタンスで、世の中の音達に耳を拡げて聴き入る「音景探し」の様な事は、散歩や外出先で時間が出来た時、旅先など馴染みの無い土地に居る時等、気軽な状況の時にはやっていて、これまでに、音が生まれていたり、不思議な響き方だったりする、お気に入りの場所を幾つか見つけて、「リスニング・ポイント」とか「ソニック・ポイント」と自作の造語で呼んでいる。関西在住だった頃には、そんな場所を幾つか見つけて時々訪れていた。
 
・台風が近づく兵庫・芦屋浜のヨットハーバーのたくさん停泊しているヨットのマストにロープ金具が当たる音
→強風に吹かれて、けたたましく、せわしなく金属同士が接触する音が、多数、めいめい勝手に鳴っているだけなのだが、不思議といつまでも聴いていたい音のフィールドを形成している。台風接近の予報が出て、わざわざ車でこの場所までこの音を聴きに行った事が何度かある。
 
・大阪 箕面山の石積みのダム
→ここで塞き止められたダム池側に向けてサキソフォンを演奏すると、水面と周囲の山が音を反射して、見事なこだまが響く。時間帯は景色が暗転して、音の響きにより敏感になれる夜が良い。
 
・大阪 伊丹空港(旧大阪国際空港)の滑走路南端
→頭の真上数メートルを着陸直前のジェット旅客機が通過する。耳だけでなく皮膚の毛穴からも轟音が入って来る様な体験が出来る、爆音を浴びるベストフィールド。離陸の時も、遠方の山々から、長めの時間差で地を這う様な低音のこだまが跳ね返って来て、ノイズの交響が聴ける。雲の多い日はその響き方も変わって興味深かった。
 
・京都 東山辺りの鴨川東岸の低い護岸
→水際で寝転ぶと、頭の下20cmくらいを細く流れるせせらぎの音が聞こえてくるポイントがある。雫と流れが混ざった様な水音が生まれ続けている。
 
・・・等々。
仔細に書きはじめると切りがなく割愛せざるを得ない程、その場所その場所に、音の生態系のようなものや様々なスケール感(望遠鏡的だったり顕微鏡的だったり)、そして聴き込めば聴きこむだけ溢れ出て来る、音の源としての微細かつ無尽蔵な情報量がそこにはあって、僕にとっては音の初源に浸れるという楽しみとしてやめられない。そのほとんどは成り行きに従って偶発的に見つけたりたどり着いた場所ばかりで、とどのつまり、自らの性質として、音の存り処を知りたいという欲求には抗えないという事なのだとも思っている。
 

 
 
 
IMG_4077
IMG_4075
IMG_4076
音を生み出す物として、演奏という使い道以前の、音を取り扱う道具としての楽器の初源的な在り方も好きで、やや回りくどい言い方になるけれど、楽器という物を、音を生やし、音に触れる事の出来る道具だと捉えてもいる。出来る事ならば楽器製作や修理、調整、調律等のノウハウを身につけて触れる事が出来ればとも思うのだけど、なかなかに難しい所なのが現実。(実際、上記のあれこれを出来る人々は、僕にとって錬金術師のごとき存在であり、尊敬の対象。)
 
サウンドオブジェ的な諸々の作品作りをする様になって、ある作品作りの為に必要があって古いトイピアノを分解した事があって、本格的ではないにしても楽器の構造を読み解く世界に触れた。玩具とはいえ、コスト与件が絡む、いわゆる「製品」でもあるので、音を発するための様々な機構を可能な限りシンプルに過不足無く組み上げなければならない。音という「現象」を取り扱う物であり、本格的な楽器も玩具の楽器も相違なく、発音の為の構造的な側面での無駄は音に悪く影響するので、実にシビアなものがある。(それ故に、多くのアコースティックな楽器達の姿は、究極の機能美だとも思える。)幾つかのトイピアノを分解していく中、各メーカーや製品それぞれに設計者の意図が注ぎ込まれているのが手に取るように解った。鍵盤を押すと、幾つかの組み合わさった部品が連動して、音を発するスチールバー(僕はこのような音を発生させる要素を「発音体」と呼んでいる)をハンマー状の部品がヒットして「ポーン」という、あのトイピアノ特有の音が出るというシンプルな構造なのだけど、それぞれの部品の素材の選択や留め付け方、機構の工夫で部品の数を如何に少なくするか等、どれも限られた条件設定の中で最良の音を生み出すべく、ちっぽけながらも楽器としての世界を構築していた。それらの機構を保持しつつ新造した筐体に納めるべく、設計を引き継いで自分の作品として組み直す過程は、設計者の密やかな意図を作り手として読み解きつつ辿る様でもあり、興味深いところでもあった。
 
分解の過程で取り出したスチールバーの発音体は、玩具として使う事を鑑みると、その澄んだ音色のイメージと比較すると、黒錆に覆われていて、おそらく子供の目や手に目に触れさせたくない存在なのだろう。外からは見えない様にピアノを模した形状の筐体に納まっていた。僕は、この音を発する存在自体をオープンにして「何が音を出しているのかを見せる」「音の発生源に触れられる」様にしたいと考え、新たな筐体を設え、スチールバーの発音体を剥き出しにする状態にして納め直した。そこには、玩具という存在から、音を発する装置としての存在感を際立たせたものに変容させたいという想いもあった。
 
この、発音体が剥き出しになったトイピアノを「Toypianorgan(トイピアノルガン)」と名付けた。これは「Toypiano(トイピアノ)」と「organ(オルガン)」をつなげた造語で、剥き出しになったスチールバーの発音体の姿が、パイプオルガンの発音体であるパイプの並んだ姿と似た様に見える事と、「オルガン」は「内臓・臓腑」という意味もある事に由来する。発音体という内臓を剥き出しにしたトイピアノ、という事になる。
それまでにも、砂時計の砂の落ちる音をスピーカーやヘッドフォンを通して聴き取る作品だったり、楽譜のごとく穴が配列されたパンチカードを差し込んで、曲という音の連なりをアナログな視点で認識させる手回しオルゴールユニットを使った作品など、様々な音を発するサウンドオブジェの作品達を作っていたが、このトイピアノの作品を作る過程を経て、僕の作る音に関する作品の「音を剥き出しにする」「音への距離感を縮める、感覚を直接的に繋げる」という狙いが見定まったのだと思い返している。
 
鑑賞者に対して、「音を発しているものや、音そのものに触れている」という様な感覚を供したいというのが、これらの作品の主たる軸となっていて、見えない「音」という存在の発信源を示す。可能であれば触れたり、音を手繰っている様な感覚を伴わせるというのが、自分の作るサウンドオブジェ作品達の肝なのだという事に気付き、それまでに作っていた幾つかの作品についてもすっと筋が通った様な在り方、捉え方を得て、自分の中でもやっと腑に落ちたのだった。
 
 
 

White Noise(2012)
 
 
 

Circlogue(2009)
 
 
 

  
姿が無いからだろうか?
音は実に正直だ。

音と、その正直さを剥き出しにしていきたい。