パフォーマンスとオペレーション

第31期(2017年2月-3月)

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舞台上で、どの様な在り方で音を発するのか。
 
 
 
舞台作品への音楽家としての関わりの中では、舞台への楽曲提供以外にも劇場公演に生演奏で参加する事が少なからずあって、当然、作品によって扱いも変わる。演者と並んで舞台に居たり、作品の伴奏者の様に舞台の脇に居たり、舞台には演者のみで演奏者はピットの中に納まっていたり、等々。観客の目に触れる立場という点では、音源を編み演出家に渡す「スタッフ」というよりも「キャスト」という立場に含まれるようになり、ダンサーや出演者に並んで、演奏している姿を舞台上で観られるという状況は、音楽のみの場としてのライブ等とは在り方や勝手が異なる。そんな状況に、どう折り合いをつけて臨もうか?という事にもなる。
 
 
 
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自分にとっての演奏というものは、車の運転はじめ、乗り物の操縦や機器の制御に近いものだと考えていて、その在り方に忠実でありたいと思っている。だからという訳ではないのだけど、演奏前は絶対に飲酒をしない。事故を起こさない云々というよりも、ルーズな表現をしたくないという理由で。
 
以前、ある演出・振付の人物から「人形浄瑠璃の黒子」みたいな在り方という例え話をされて、色々と納得出来たのだった。「人形」という表現の主体のための「黒子(オペレーター)」の在り方は、客が注視する対象は人形であって、黒子を観ている訳ではない。「音」という表現の主体のための手段としての「楽器の演奏(オペレート)」もまた然り、というもので、大いに合点が行ったのだった。パフォーマンスをパフォーマンスとして見せるのが演者達の在り方で、対して、演奏者達は「音」という主体のために楽器をオペレートしている姿がパフォーマンスとして見られているという在り方なのだと。
 
他方、興味を引かれるのが、演者と楽人や楽隊がセットになっている、いわゆる「芸能」と呼ばれる諸々(国内だと前出の浄瑠璃や歌舞伎、雅楽、身近なものだと正月の獅子舞や夏や秋の祭り囃子など。海外のものだとフラメンコやタンゴ、ケチャやバロンダンスなど、民俗芸能や民俗舞踊、伝統芸能など、それほど星の数程存在する様々)についてで、演奏者の在り方は当然「オペレーション」として演奏してはいるが、もともと祭りや捧げもの、パレードなどからの発祥のものだからだろうか、演奏者についても楽器の構え方や所作、装束、フォーメーション等々が決まっていたりする等、演者と並んで見られる対象として、長い年月の中で伝統や型を育みながら「見られるもの」として「オペレーション」から「パフォーマンス」へと進化、もしくは昇華されている様に思える。安直な真似や引用はすべきでないけれど、これらはこれらで要素要因として参考にすべき様々が詰まっているものだと思っている。
 
 
 
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演出者や演者など、舞台人側にも、舞台上の演奏家の扱いや在り方について想いがあるみたいで、関わる作品や企画内容によって、演者と演奏者の身体性に関する距離感や位置関係も変化するのだと思う。自身の身体を楽器として繰る演者達による、いわゆるパフォーマンスとの在り方の違いや、音と身体性の距離感を意識して演奏者として舞台に居ようと思う。
 
 
 
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今でも、様々な演奏や舞台作品を観る時には、演奏者や演者の在り方については「パフォーマンス」と「オペレート」という軸になぞらえて観て、判断、分析する様にしていて、常々の関心事でもある。
 
そして、僕がよく記す「音を紡ぐ」という言葉は、即ち、「オペレート」しているという在り方を示しているのだと、今更ながらながら気付いたのだった。