火がついた日。

長期滞在者

ぼくは珍しく、
とても怒っている。
おそらく、
51年半の人生の中で一番怒っている。
何人かその怒りの対象になっている
具体的な人物はいるのだけど、
その一番の対象はぼく自身だ。

二ヶ月前に母が亡くなった。
突然の死。
だった。

少し体調が悪いとか、
親父が残した借金のためにあまり生活に余裕がないとか、
最近はあまり人付き合いもなく引きこもっているとか、
両足の血管にたくさんの血栓が見つかったとか、
いろいろ聞くたびに、
「あぁ、そうだな。
もうそろそろちゃんと稼いで、
少しお小遣いを送金するなり、
孫を連れて会いに行ってあげるなり、
そういうことをしてあげなければなぁ。」
とか考えていた。
ただ、考えていた。

そんな余裕をかましている間に、
母は死んでしまった。

そんなことは、
ただ、考えていた、
などということは、
クソみたいに、
役に立たない、
いや、
クソならばまだ、
植物を育てもしよう。
が、
ただ、考えていた、
などということは、
全く、
完全に、
なんにも、
なぁんにも、
本当になぁぁんにも、
育てはしない。
それは、
クソ以下。
大腸菌以下。
塵以下。
芥以下。

自己満足を生む以外の
それ以外の
なにものにもなり得ない、
ただひたすらに
脳内自慰
以外のなにものでもない。

Bloody hell
Such a wanker
Bloody hell
Such a wanker
Bloody hell
Such a wanker
Bloody hell
Such a wanker
Bloody hell
Such a wanker
…………………

母の死を
誰よりも悼んでいたのは、
ヘルシンキに住む
ぼくの娘だった。

物心着いてからは、
2回しか会っていないのに、
そして、
言葉のやり取りもままならないのに、
二人の間には、
いつも笑いが絶えず、
本当にどこか深いところで
つながりあっているようだった。

だから、その数週間後に
予定されていた
息子の高校の卒業式に
母が来ることが決まった時に、
誰よりも喜んだのは
ぼくの娘だった。

なので、
母の死を伝えることが
最も辛かったのは
娘に対してだった。

葬式を終えて、
ヘルシンキに向かい、
卒業式の前の日に、
息子と娘とその母親に、
葬式の様子を伝えた。

その時、
そこの皆に形見分けをして、
娘には、
彼女のために特に用意した、
少量の遺骨を納めたネックレスを渡した。

彼女が箱を開けた途端に、
その手が震え出し、
涙が止まらなくなった。
震える指で持とうとしても
その細くて小さなネックレスが
まるで何キロもあるかのように、
持ちあげられなくなり、
それを彼女の母親が助けて
首にかけてあげた。
そして、
抱き合って泣いていた。

ぼくはこの時初めて、
Grief
という英語の感情を理解した。
痛哭に近い。
が、それよりも重い。
ずっと重みが、
重い。

そして、それまで感じていた以上に、
怒りの感情が増し、
ぼくに取り憑いた。

ぼくは大事な人たちを
守ることができなかった。

全くもって、

Yo soy perdedor.
I’m loser, baby
So why don’t you kill me?

の気分だ。
マジで。

もう
ただ、考えていた、
など、無理。

ぼくにはもう
ほとんど
Just do it!
みたいなことでしか
対処のしようがなくなってしまっている。
冗談ではなく、
実際、
それ以外に
どうしようもない。
わかってる。
わかってた。
のに…

ただやる。
ただ為す。
ただ成す。
ただ行う。

事上練磨の火がついた。