長期滞在者

十年くらい前の話、例のUFO研究家の某Y氏が『カラスの死体を見ないのはなぜ?』とかいう本を書いていて、それが間違って紀伊国屋の生物学の棚にあったもんだから、大まじめな生態学の本だと思って立ち読みした。そしたらカラスの体は死んだ瞬間に一瞬で消えるのだとか何だとか、トンデモなことが描いてある。なんじゃこりゃ、と思って背表紙を見て著者名に気づく。あーあ、もう。紀伊國屋の店員も何を間違えてるんだか。
あほらし、と思いながら、しかし頭のスミに「カラスの死体は見つからない」という刷り込みが残ってしまい、以来カラスの死体を見つけたら(数度しかないが)「ほら、見つかるやんか!」とついツッコミをいれてしまう。さらりとは忘れさせてくれない、某Y氏の影響おそるべしである。
死骸は数度しか見たことがないが、怪我をしたカラスはよく見る。カラスを襲うような強い鳥はなかなかいなさそうだから、仲間内での抗争に敗れた個体なのだろうか。背中をやられて白い皮膚(怪我カラスを見てカラスの皮膚が白いことを初めて知った)を露出していたり、脚をくじいてよたよたしていたり。
カラスは共食いをすると聞くので、怪我カラスを見るたびに、こいつもそのうち仲間にやられるか、逃げおおせたとしても餌をとれずにやがて死ぬんだろうな、と感傷的な気分になるが、だからといってそのカラスに何をしてやれるわけでもない。カラスはカラスの世界で生きている。僕は「頑張れよ」といいながら、ただ自分都合で写真を撮るだけである。

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つい先日、同僚のベニちゃんが手招きして呼ぶので連れられて駐車場まで行ったら、死にたてホヤホヤのカラスの死骸があった。なぜホヤホヤかわかるかというと、かなり体温が残っていて、持ち上げたらまだ首が硬直せずだらんとしていたからである。僕もベニちゃんも動物好きである上に、こういうの(死骸とか)も(語弊はあるが)好きなのである。
持ち上げて初めて知ったのは、カラスというのは、あの黒っぽい色から勝手に密度があるような錯覚をしているが、拍子抜けするくらい軽い、ということだった。よく考えれば鳥なのだから体が軽くてナンボである。そういえば風の強い日にカラスが空中で風と戯れるようにホバリングしている姿をみたことがあるが、軽い体だからこそできる「遊び」だろう。
以前、別のところにも書いたことがあるけど、僕はカラスに見事に「からかわれた」ことがある。カラスが僕の背後に急降下してきて地面すれすれで旋回し、僕の後頭部を羽根の先でちょん、と触って上空へ飛んで行ったのだ。それを三回(!)繰り返された。本当の話である。カラスが攻撃的になる春(子育て時期)でもなかったし、「攻撃」というような敵意も感じなかったし、あれは純然と「遊ばれた」んだと思う。「遊ぶ」「からかう」なんていうのは相当知能が高くないとできない芸当だ。カラスが賢いというのは嘘ではない。
それから、カラスといえば、数年前に見た光景。カラスが何か自分の体長の数倍ある細く長い何かをぶらさげて飛んで行くので、何かと思って地べたを見れば、腹を食い破られた猫が横たわっていた。ぶら下げていたのは猫の腸だったのである。こいつらなんちゅう丁々発止な世界を生きとるんや、と軟弱な生物(僕)はたじたじになってしまったが、そういう賢さや残忍さ(残忍だというのは人間側からの勝手な価値付けであって、やつらは普通に生体維持のための摂食行動をしているだけである)から、なんとなく勝手に「ヘヴィなやつ」という印象を被せていたけれど、そんなことと体の軽重は当然ながら関係がない。鳥は軽くないと飛べない。そうなのだ、カラスは鳥だから軽いのだ。
・・・なんてことに妙に感動しながら、カラスの死骸を撮った。
脚がプラスチックみたいな光沢で「機能」を感じさせる。羽根も単なる黒ではない、いろんな青系統の色を反射の中に纏った多層的な「濡れ羽色」で美しい。

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「このカラス、鳥インフルエンザだったら、わたしら死にますね」
とベニちゃんに言われて、一応手は洗ったが、まぁ大丈夫だろう、と根拠もなく安心している。とかく嫌われがちなカラスだが、写真を撮る人間にはカラスが好きな人も多い(統計をとったわけではないが)。もちろん深瀬昌久という写真家が残した『鴉』という超名作写真集のせいだと思う。僕もあの写真集が大好きで、猫の腸をぶら下げるカラスを見ても、どうしても嫌いになれない。
どうせなら土に帰してあげたいですねー、でも社長が市役所に電話しちゃったので、あした引き取りにくるそうです、と、しかたなくビニール袋にくるんでダンボール箱に入れ、ベニちゃんが「カラス」と箱にマジックで書いた。