藝術草子 France⇆Japon/épisode 5「フランス詩が歌になるとき」

長期滞在者

1月末.フランス語と音楽について、じっくり考える機会があった.詩が歌になるとき.

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クラヴィコード:フーベルトが1784年に製作した楽器を元に製作.音域C-g3 double fretted(共有弦)
(2016年 山野辺暁彦)

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小型パイプオルガン:一段鍵盤ポジティフオルガン 3ストップ 音域C-f3 (2004年ヴァン・デア・プッテンオルガン工房製作 石井賢所蔵)

 

去年から福島県いわき市で、半年に一度ほど行われるワークショップにてフランス語の講師をしている.

「けんばん楽器の講座」という、音楽とダンスとフランス語のコラボレーションワークショップで、鍵盤楽器&声楽、ダンス、そしてフランス語の専門家による講義がある.なんとチェンバロ、クラヴィコード、オルガンが触り放題で、生徒さんたちは好きなだけ遊んだり練習できる贅沢な企画だ.

会期は3日間で、生徒さんは3歳から50代まで!講師陣とフランス語やラテン語の曲を歌ったり、舞曲を踊ったり、好きな曲を演奏したりする.

そこでは、みんなが楽器や言葉を肌で感じている.クラヴィコードの鍵盤をそっと押すと指先に伝わってくるかすかな振動が、子供達の心をダイレクトに打つのだ.鮮烈に.

こういう場所は、講師としても学びがたくさんあって、毎回思いがけない発見がある.

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通訳中やレッスン中は別として、私にとってフランス語とは自分独りの世界だ.私がフランス語を”使う”とき、翻訳なら原文の著者が、通訳なら発言者と聴衆が私の当面のお相手だ.でも、フランス語そのものに”相対する”時、私はいつも独りだ.

サッカーやバスケットボールのようにチームで頑張るものではないし、企業の仕事のように会社全体で、部署で、課で、それぞれ目標を掲げて社員全員で進めるものでもない.語学の道は基本的に、一人で書物と対峙して、一人で勉強して、一人で研究して、一人で考える.本質として孤独なものだ.

研究対象としての文学や絵画も同じだと思う.なにかと対峙するとき、その先にいる作家やアーティストに想いを馳せるとしても、その想い、思考は、作品と自分という1対1の関係の中で突き進めていく.ときとして心細かったりもするけれど、だからといってチームを組むわけにもいかないのだ.こうした孤独には、寂しさや悲しみは含まれていない.ただひたすらに、さっぱりと独りなのだ.静かに燃える青い炎のように、熱く、ひやりとしている.

 

だからこそ「けんばん楽器の講座」のような機会は、私にとってとても貴重だった.本当に本当に楽しかった.

声楽家の人達にフランス語の詩を歌ってもらうのは、どうしようもなくわくわくする.ソプラノ、アルト、テノール、バス.美しい四声に運ばれるフランス語.普段は紙に住み着いている言葉たちが、ふわりと立ち上がって立体的な広がりを持つ.

歌を豊かに歌うには、やはりその歌詞の言語が元々持つメロディー(息継ぎの瞬間や強弱、ため息のように消えゆく音や、潔い破裂音が作り出すリズム)、言葉の質感(それは文章全体のメロディーとは別に、言葉そのものが持つ音の柔らかさや硬さだ)、詩の内容(喜怒哀楽、物語)を知っておく必要がある.そうした理解のお手伝いとして、私は詩の歴史と解釈、発音指導などを担当させていただいたのだ.

私のレッスンを受けて、プロの歌手の方々が実際にフランス語を「音楽」にしてくださる.それはフランス語において孤独な道を常としていた私にとって、新鮮な「共同作業」だった.その高揚感!

フランス語の詩に旋律が与えられ、言葉がメロディーに乗った瞬間、心の底から驚いた.音が豊かで綺麗で、嬉しくてわくわくして仕方がない.うわぁうわぁ!もう20年以上携わっているフランス語なのに、新たな一面を垣間見れたよ!わぁぁすごいすごいすごい!わぁあぁ...そんな感じ.

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昔から信じて疑わないことだけれども、フランス語の響きは美しい.

フランス語の文章を音読すると、音が耳を優しく撫でながら小川のようにさらさらと流れていく.囁くように、歌うように.文豪フロベールの無駄のない文章を音読した日には「ああもう敵わない!完璧!」と震えるし、マラルメの詩に触れば得体のしれない余白と波に、静かにぞくぞくしてしまう.まるで恋をしているときのように心が忙しい.

文学作品じゃなくてもいい.ただの契約書の文面ですら聞き惚れてしまうし(動詞が少なく名詞が多い文章は、きりっと引き締まっていてカッコイイのだ)、恋人たちの喧嘩ひとつでも大げさな仕草を伴う語気の荒さはミュージカルみたい.そう感じるのは私が完全なるフランス語フェチだからなのかしら.

フランス語の美しさの秘密のひとつに、音の強弱があると思う.

まず、会話をするときフランス人にとって大事なのは音節の数.音節というは、音の塊のこと.例えば、Bonjour(ボンジュー)は Bon-jour(ボン-ジュー)で2音節だ.Merci(メルシ)だとMer-ci(メル-シ)で2音節.Bonjourを日本語風に一音一音くっきり、ボ・ン・ジュー・ルなどと4音節で発音しても、聞き取ってはもらえない.

さらに、フランス語は単語の最初にアクセントがつくことが多い.Bon-jourだったらBonが強くて、jourはおまけくらいの大きさ.すぅっと消えていく.Mer-ciもMerが強くて、ciはおまけ.要所要所で力を抜いて話す.全ての音が出しゃばらないというのは、フランス語の持つ流れるようなメロディーを作る大切なポイントだと思う.

いわきで発見したのは、詩と歌における言葉の強弱の違いだった.朗読するときのフランス語と、歌うときのフランス語は少し違う.

基本的にフランス歌曲では、1音節が1音符に対応している.だから、Bon-jourだったらjourを消え入るように歌うのではなく、多少意識して発音してやる.気持ちを軽くしながらも詩を朗読するときより少し強めの発声を心がける.言葉の持つもともとの強弱を踏まえつつ、歌曲としての性格も尊重してやることが大事だ.

もともと言葉の中にある息の流れや、文章の息継ぎのタイミングを知ってから歌うと、単純に小節ごとにブツブツとぶつ切りにしたものではなく、きちんとひとかたまりのメロディーとして音楽が立ち上がってくるから不思議.仕上がりが全然違って、完成したときの美しさに震える.

言葉の美しさはそのままに、音楽の力を持って、フランス語がパワーアップしていく感覚!感動してしまう.

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(左)大型ヒノキイタリアンチェンバロ:イタリアのチェンバロ製作家グリマルディが1699年に製作した楽器を元に、弦の材質を真鍮から鉄へ変更し製作されたもの.側板、底板、響板に奈良県のヒノキ材を使用.(2014年 山野辺暁彦)

 

この「けんばん楽器の講座」は「いわきフレンズ未来夢プロジェクト」運営のイベントだ.いわきフレンズは、いわき市出身あるいはこの土地にゆかりのある音楽家や舞踊家、クリエイターが中心となり、東日本大震災を機に結成されたもので、様々な「体験工房」を通して地元の人と触れ合い、人々の中のエネルギーを育んでいくことを目指して活動している.

主宰者の一人である熊谷乃理子先生は「楽器の源をたどっていく旅が、どれだけ、現代人の内奥の感覚を呼び起こし、豊かな想像の世界を抱かせてくれるか」と語られていた.アートでも音楽でも語学でも、「原体験」がなによりも大事だ.世界を開くきっかけだ.こうした藝術文化の旅を通して、一人でも多くの人の世界を豊かに楽しいものにできたらいいなぁと思いながら生きています.

いわきフレンズ未来夢プロジェクトFBページ:https://www.facebook.com/iwaki.friends/?fref=ts

 

★お知らせ:次回はうたの講座!私は参加しませんが、三月にオペレッタを歌います.

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★ちなみに:いわき市立美術館コレクション展が毎回素晴らしいので、いわきにいらしたときは是非寄ってほしい.20世紀後半の近現代アートが中心で、私の大のお気に入りは難波田龍起の《狂詩曲》(油彩・キャンバス/130.3×162.1cm1962).音楽的で詩的で、厳しさと開放感が共存している.メランコリックなのにさっぱりとしていて軽やかなのだ.

ほかにも若松光一郎、今井俊満、斎藤義重、白髪一雄、高松次郎、吉原治良、池田満寿夫、長谷川潔、浜口陽三、アレシンスキーやカステッラーニ、クリスト、フォンタナ、イヴクライン、マティスなどがあって、いわきに行く度に必ず訪れたくなる上質なコレクション.