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3F/長期滞在者&more

藝術草子 France⇆Japon/épisode 11「果物」

長期滞在者

Fruit. 「フリュイ」と読む.果物を意味する男性名詞.

初夏は果物の本領発揮.情熱的にフルーツを愛する者としては、とにかく嬉しい.最良の食べごろを逃すまいという気概を持って、私はすっかりフルーツハンターと化す.

5月のレモンは爽やかで甘みがあって、手に取らずにはいられない.今年は勢いあまって50個ほど瀬戸内の無農薬レモンを仕入れた.

ウィークエンドシトロンを作ったり、蜂蜜や塩に漬けたり、レモンピールを量産したり、生姜と煮てジンジャーエールにしたりと心ゆくまで楽しんだ.ぎゅっと絞って炭酸水で割り、風通しのよいベランダでゴクゴク飲むのも気持ちがいいし、ラム肉などにジュワッと汁を絞って、軽く蜂蜜とミントを添えて食べても、くさみが抜けて美味しい.たった一滴で、景色を変えてしまうレモンは偉大だ.

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6月にはさくらんぼやプラムが出回り始め、7月になれば桃やメロンにブルーベリー、そして西瓜と勢揃いだ.オレンジやグレープフルーツは一年中見かけるけれども、本当の旬は夏で、マティスの切り絵を思わせるような鮮烈さでゴロゴロと加わる.

フランスのマルシェでは、売り場に立つ目利きのムッシューやマダムに「このメロンは今夜のお客様用」「こちらの梨は明後日の家族ランチ用」などと食べる日時とシチュエーションを伝える.彼らはこちらの注文を聞くと、うずたかいフルーツの山から適切なメロンや梨を造作もなく選びとっていき、ぽんぽんぽんと茶色い果物袋に詰めてくれるのだった.記憶の中ではまだ子供だったからか、いつも少し高いところから果物の紙袋が手渡されていたように思う.

待ちわびているのは桃の到来だ.あの夢のような優しい姿とは裏腹に、ほとんど野蛮なくらいのみずみずしさと甘さが口に広がる.怒られそうだけれども、したたる蜜に手をベタベタにしながら食べるのもドキドキする.

桃は、そのままで食べても、パンナコッタに乗せても、サラダに入れても、常に幸せにしてくれる.熟れすぎた場合はハンドミキサーでバジルとすりつぶして、よく冷やしてからモッツァレラチーズにかけるのが美味しい.(これはよく行くイタリアンレストランで知ったレシピ)    

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小倉遊亀の描く果実はいい.目で触れる作品だ.

滋賀県立近代美術館が所蔵する「花と果物」(昭和61年)シリーズは絵画3点で構成される.中央には壺に生けた紫陽花、右には器の桃が、左側にはマンゴーが、三尊仏に見立てられている.

マンゴーの鮮やかな赤と黄色のグラデーションも美しいのだけれども、桃好きとしては、「桃!」と嬉しくなって、ついついそちらにばかり目を奪われる.

青白いうぶ毛や柔らかそうな皮は、みずみずしい果肉を包んで、しっとりとしている.あるがままの桃の様子を眺めていると、心の熱が引いていく. 

 

小倉遊亀は長く北鎌倉に暮らし、彼女が描く果物は師の安田靫彦から「北鎌倉の特産品」と呼ばれていたそうだ.果物が、まぎれもない美しさで鎮座している.

果物と古陶磁を一緒に描いた晩年の作品群は、静かなのに華やかだ.果実の軽やかさと陶磁の深みが画面をきりりと引き締めていて、差し引きと遊びの妙がニクいのだ.器と果物の、語らうような親密な空気に引き込まれる.

静物画ではないのだけれども、間違いなく果物が焦点となるのは「家族達」(昭和33年)だ.200 x 151cmの比較的大きな絵で、ブラインドから漏れる光が、室内の涼しげな仄暗さをうかがわせる.

画面いっぱいに養子夫婦が描かれており、手前には妻がお盆を持って立っていて、奥の椅子では頬杖をついた夫が読書している.女性はスッキリとした薄いモーヴ色のワンピースに、紫の小花を散らした腰エプロンを巻いており、後ろにまとめられた赤茶の髪や知的な目元、上向きの顔が、堂々としていてかっこいい.

そしてパッと目に飛び込んでくるのは、彼女が持つお盆の上の透き通るようなグリーンのメロンだ.一切れずつ、白いお皿に乗っている.上品にフォークも添えられていて、ちょっと背筋が伸びる装いだ.

家で食べる果物の中でも、手で食べるバナナや葡萄とは違う、特別感が漂っている.いただきものだろうか.それとも奮発して買ってきたもの?

「さぁ、食べるわよ。本なんか読んでないで。とっておきのメロンですよ」と声が聞こえてきそう. 

二人で食べる情景が浮かぶ.

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無花果はその出で立ちが好きだ.他の果物に比べて、断然大人びていると思う.

そもそも実として食される部分が、植物学上、実は花であるというのも神秘的だ.外に向けて見せびらかすのではなく皮の内でみっちりと育った花は、深窓の令嬢のようだし、切るたびにのぞくピンクの艶めきはたいそう蠱惑的だ.

夜の帳色の薄皮の下に広がるのは、ゆるやかな緑.紫陽花のかたい蕾のような、あっさりとした静かな緑だ.さらに潜ると、もったりとした乳白色の果肉が顔をのぞかせる.いよいよ花(らしい部分)に到達すると、歯と歯の間で小さくつぶつぶと主張するゴマのような食感も心愉しい.

オレンジなどの弾ける爽やかさや酸味とは真逆の、しずしずとした奥ゆかしい青みと甘さが、大人っぽさを感じる理由のひとつかもしれない.

その水のような薫りを嗅ぐと、ルドンの描く神殿のイメージが浮かぶ.アーティゾン美術館が所蔵している「神秘の語らい」は、水の底にいるような絵だ.

フランス人にとって、無花果は馴染みのある果物だと思う.ローマ時代には、すでにハムと一緒に賞味されていたそう.みんな、フルーツとして、サラダに入れて、タルトにして、ドライにして肉と合わせて.たくさん食べる.

私も6月になると、無花果に対して俄然張り切ってしまう.いろんな食べ方で、その魅力を引き出したくなる.皮ごとくし切りにして、リコッタチーズと生ハム、とろりとした少量のバルサミコ酢に合わせる.あるいは半分に切って、少しブラウンシュガーを振って軽くオーブンで焼いて熱々のうちに食べる.あるいは、練った白胡麻と白和えにして食べるのも美味しい.

しかし結局のところ、そのまま丸っとかじるのは簡単だし贅沢だし、手を出してしまうと「もう一つ、もう一つ」と止まらなくなるので、料理用にはなかなか残らなかったりする.まったく、抗いがたい.

 

我が家のキッチンで決して欠かすことがないのが、無花果のジャム(コンフィチュール )だ.無花果のジャムは、それだけで食べてもぷちぷちとした食感が素晴らしいし、バターと一緒にフランスパンに乗せるとくらくらするほど美味しい.

アルザス地方の名産であるフォアグラとも相性抜群で、フォアグラを食べる上では白ワインのジュレと同じくらいの名脇役だと思う.

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世の中、美味しいジャムがいくらでも出回っているけれども、私が忘れられないのは Christine Ferberのもの.人の良さそうな笑顔のクリスティーヌは、今や「コンフィチュールの妖精」なんて呼ばれている.

彼女が作るジャムは、素材の薫り果肉感をそのままに閉じ込め、お互いを引き立たせる素晴らしい組み合わせが有名で、フランス中の三つ星シェフたちにも求められる品だ.

提案されるジャムは無限にある.

クラシックなブルーベリーやリュバーブはフランス人の定番だし、カリンは私と母のお気に入りだった.他にも洋梨とバニラ、林檎とキャラメル、アルザス産黒ニワトコ、ミラベル、ピノ・ノワール…

名前に惹かれる「マダムのコンフィチュール」は、グリヨット(酸味の強いさくらんぼ)と薔薇の花びらをメインにしたもの.

新しい気持ちになる「新年のコンフィチュール」はウィリアム(洋梨)とオレンジやレモン、ドライフルーツ、カルダモンなどが入っている.

こうしためくるめく素材と調味料の組み合わせの秘密はお店の裏の書庫にある.そこには様々なタペストリーの図案やサンプルが収められており、クリスティーヌは新しいジャムを考案する際、その色彩や模様を頼りに、イマジネーションを膨らませていくのだそう.日本のお着物が参考にされたら、一体どんなジャムが出来上がるのだろう(柚子はさもありなん).

クリスティーヌのお店は、アルザスの葡萄畑に囲まれた小さな村 Niedermorschwihrにある.小さい頃に両親の車で行った店は、どこにでもあるような村のエピスリー(食料品店)で、こじんまりと、ひっそりと薄暗かったのを覚えている.ひとめ見れば彼女のものと分かる、赤い水玉模様の布がかぶせられた瓶が、壁にずらりと並んでいるものの、「ジャムが主役のお店」というわけではなく、あくまでも「色々売っています」という「てい」が印象的だった.遠い遠い、子供の頃の記憶だけれども.

日常の風景にあるジャムがいい.それは絵本に出てくるさりげなさで、朝食のバゲットに、おやつのスコーンに、デザートのチーズと共に、日々の食事に輝きを与えてくれる.

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4月のコラムでその手紙を紹介した小説家のジョルジュ・サンドは、料理上手としても知られており、「ジャム作りは執筆と同じで真剣勝負。自分の手で作ること。ひとときも目を離してはダメ。」という言葉を残している.(« La confiture, il faut la faire soi-même et ne pas la quitter des yeux un instant, c’est aussi sérieux que de faire un livre »).

眠れぬ夜や休日の朝、コトコトコトと一心にジャムを煮れば、昂ぶった感情や雑念は砂糖に溶けて、甘い優しさだけが私の中に残される.

Leiko Dairokuno

Leiko Dairokuno

フランス育ちの、和装好き.通訳・翻訳・字幕監修、美術展づくり.好きな色はパープルと翡翠色、パリのブルーグレーの空と、オスマン調のアイボリー.Aichi Triennale 2019/ Tokyo Art Beat/ Dries Van Noten/ Sciences Po. Paris/ Ecole du Louvre.
ご依頼はleiko.dairokuno(@)gmail.comへどうぞ.

Reviewed by
寺井 暁子

五感を満たすエッセイ。読んでいるうちに、柔らかな桃の産毛を撫で、果汁したたる無花果にかぶりついている気になります。以前、東ヨーロッパに旅をした時に、あるレストランで鶏肉のグリルを頼んだら、上につやつやとみずみずしい桃がごろんと乗っていて驚いたことがあるのですが、礼子さんのエッセイには、果物の見方、楽しみ方を広げてくれる上品なヒントがたっぷり。

絵画のお話もさることながら、ジャムづくりにまつわる哲学が面白い。「ジャム作りは執筆と同じで真剣勝負。自分の手で作ること。ひとときも目を離してはダメ」と残したある作家と、「ジャム作りは、心穏やかになる魔法のひとつだ.眠れぬ夜に、休日の始まりに.一心不乱にコトコトコトと煮ている間に、昂ぶった感情や雑念は砂糖に溶けて、甘い優しさだけが残る」と書く礼子さん。私にとっては、眠る前に、いちごのジャムを煮る時間は、じゅわじゅわと小さな気泡が生まれては消えるのを見守るときの、鍋の中を覗き込んでいるようで、じつはもっと大きなものに包まれているような、不思議な感覚。タペストリーの図柄という視覚的な宇宙空間からアイディアを得るというクリスティーヌのジャムも、一度でいいから食べてみたい。

ところで、こんなに蠱惑的で、色気に満ちているのに、なんでフリュイは男性詞なのだろう?(ちなみに、スペイン語だと、フルーツは “la fruta”で女性詞)気になって、思わず調べてしまいました。果物ごとに、男性詞か、女性詞かが変わるのですね、面白い。ちなみに、イチジクは、フランス語だと女性詞だけど、スペイン語だと男性詞。色気は女性のみならず。

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