暁の人類学(7): ノン・プレイス

長期滞在者

空港やホテル、ショッピングモールといった場所にどうしようもなく惹かれることがあります。共通点は清潔で広く、誰の居場所でもないところ。国内線よりも国際線、旅館よりもホテル、商店街よりもモール。不特定多数の人々が出入りし、様々な商品と最新の設備が揃い、デザインは常に現代的にアップデートされ、夏でも冬でも体感温度は一定に保たれている。お金がなければ何もできませんが、お金さえあれば様々な商品を買い、様々なサービスを受けることができます。その空間において私は誰でもないし、誰にでもなれる。

空港やホテル、ショッピングモールといった場所にどうしようもなく苛まれることがあります。区画を移動する度に身分証明が必要になり、窓を開けることもできず、お気に入りのショップはいつのまにか消滅している。不特定多数の人々と顔を合わせながら誰とも言葉を交わさず、大騒ぎする子供たちや乱暴な声をあげるグループに注意しようにも、距離が遠い。猫なで顔で商品を売りつけてくる店員もいなければ、蘊蓄を語る面倒な店主もいません。嫌な汗をかき、嫌な汗について語れる人もいない。その空間において誰にでもなれる私は、しかし誰にもなれません。

幼少の頃、私はよくデパートにいる夢をみました。最上階にあるレストラン街のさらに一つ上、あるいは地下にある食料品フロアのさらに一つ下の階。そのいずれかに迷い込んだ私はもはや人間の姿をしていない何ものかに出会い、身体が彼らに溶けあうなかで目を醒ましていました。なかば空中に浮かんだ最上階はいつもぶるぶると揺れていたし、地中に沈み込んだ最下階はいつもどろどろと粘着している。天井と床が抜けているデパートは、私にとって身近な世界の果てにある、どこか懐かしくどこか恐ろしい場所であったように思います。

空港やホテル、ショッピングモールといった場所は、あらゆるユートピアがそうであるようにディストピアを孕んでいます。誰の居場所でもないその空間で、私たちは誰にでもなれる。スマートフォンを開き、お気に入りの商品をカメラで切り取り、フェイスブックに投稿することだってできます。洗練された料理を楽しみ、穏やかな笑顔に満ちたサービスを受け、これぞというお土産を選びだして自らの居場所へと帰っていく。どこでもない場所というのはいずれ疲れてしまう、私たちにはいつだって帰る場所が必要だ。そう、うそぶきながら、私たちは今日もいそいそとノン・プレイスに赴きます。空港やホテル、ショッピングモール。いつだってテロリストの標的となりうるその場所へ。

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