暁の人類学(10): Thinking in between

長期滞在者

この連載のタイトルは「暁」と「人類学」という、二つの名詞からできています。どちらも何かと何かの「あいだ」に生じます。夜と朝のあいだに暁が現れるように、フィールドと母国のあいだ、生活経験と学問的概念のあいだ、他者と自己のあいだに人類学が発生する。

「あいだ」にあり続けることは、時に淋しく辛いことでもあります。不眠症者が朝の到来に怯えるように、フィールドで経験を積んだ人類学者ほど母国への適応に怯みます。再会した親しい人々の何気ない動作に違和感を覚え、笑顔は引きつり、動作は緩慢になる。現地で習得したふるまいを無意識に披露して親しい人を驚かし、釈明は要領を得ないまま上滑りしていく。

生と死のあいだに病があるように、どちらにもいけるからこそ、どちらでもない場が現れる。そんな中間地点で、いつも私はぷるぷるしています。

例えば先日のこと、国際学会での発表を終えた私は現地の国内線に乗り込みました。母国にたどり着くには、小さな飛行機を二つ乗り継いで国際空港まで行かなければなりません。さほど大きくない私のアタッシュケースは棚に入らず、足下に置いていると一人しかいないCAさんがやってきます。タランティーノの映画に出てきそうな巨体を躍らせて、彼女は巻き舌で言います、ヘイ!テイクユアバゲッジアボブ!

いや棚が狭くて入らないんだよと言う私を疑わしげに彼女は見て、アタッシュケースを担ぎ、棚に押し込みます。ガツン!ガツン!乱暴に打ちつけられるアタッシュケース。あ、歪む、あ、壊れると思った瞬間、ぐにゃりとケースが棚に滑りこむ。振り返って彼女は言います、「自分を疑っちゃいけないよ!」みたいに。拍手が起こり、それに応えながら彼女は機体前方に戻り、マイクを握って淡々と言います。「スマホやタブレットは電源を切るか機内モードにして。いつまでもイジってたら取りあげてヤフオクで売るわよ!」。周りの乗客は少し楽しそうに、少しつまらなそうに笑っている。ここではいつもそうなんだ、誰だってどんな仕事をしてたって個人は個人のまま、少なくともそのように振るまえるし、そのように振るまえなければ認識されない。その自由とその厳しさとその倦怠を垣間見たような気がして、私は少しぶるっと震えます。

彼女が働く航空会社も彼女と似て、乱暴なんだか頼りになるんだか。私の予約した乗り継ぎ便は次々と遅れ、これでは帰国便に間にあわないと焦ってカスタマーサービスに行くと、強面の職員が「そりゃ大変だ。ちょっと待ってな」と言ってチケットを取り直してくれます。「お前の国の飛行機がとれた。ラッキーだね、さぁ早くタクシー乗ってあっちの空港いきな!」。凄く頼りになる!でも、もともとはあなたの会社のせいだと思うのですが?

言われた通りにタクシーで国際空港に向かい、「お前の国の飛行機」に私は乗ります。なぜかビジネスクラスにランクアップしたその席で、いたれりつくせりのサービスが始まる。一時間毎に「何かお飲み物は?」と訊かれ、間違ってファーストクラスのお手洗いに行くとCAさん達が笑顔で私をとり囲み「御案内します〜」とビジネスクラスのトイレに連行される。

あー、これ知ってる、と私は思います。「おもてなし」ってやつだ。人間関係をサービスする側とされる側に分割し、入力と出力を限定して、機械のように和やかに全てのやり取りを自動化する大変すぐれたシステムだ。そこでは誰も「ヤフオクで売るわよ!」とは言ってくれない。チケットを取り直すのに担当者と電話で延々ジョークを言いあうこともない。仕事をこなすことは定まったプログラムを実装することで、その限りにおいて、勤務時間外の自由が保障される。気持ち悪い、ギョっとする、寂しい。

もちろん私は知っています。気持ち悪さは帰国して数日で薄れることを。そのシステムにすっかり復帰し、それがシステムだなんて少しも感じなくなることを。でも身体の芯みたいなところに瞬間の感触が残る。馴染みつつあった現地と奇妙に思えてきた母国のどちらからも遠い地点で、どちらともうまく接触できずにぷるぷるしている感触。それを思い出すと私の身体は少し熱くなります。

異郷の現実に触れることは人を自由にはしません。少なくとも単にできることが増えるわけではない。異国では可能で母国では不可能なこと、母国では可能で異国では不可能なこと。その両方を同時に獲得することはできず、どちらの可能性も他方の不可能性に苛まされることになる。こんなことでよいのだろうか、だって母国/異国では……と感じてしまう。重病に陥った人が見舞いにきた健康な友人と談笑する時のように、世界と私のつながりはどこまでも中途半端なまま。

私にできることの大半は、私が制御できないものによって予め規定されていることを痛感させられる。その圧倒的に不自由な感触を、しかし私は怖れながら愛しているようです。馴染みのある大地に安住すること、新奇な大地に飛びこむこと、その両方から遠ざけられ、両者を支える地層の狭間に押しつぶされていく。身体は軋み、心は過敏に、注意は散漫になってどこにもいけない。でも、そうした不自由さの中でだけ、蠢く地層のエネルギーを感じることができる。その凶暴な声をつかのま聴くことができる。脆弱な私の手足が少しだけ地層にめり込み、四肢がバラバラに緩んでいく。発熱し振動する身体を抱えて私は思います。あぁ、俺いま生きてるって感じるぜぇ。

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