藝術草子 France⇆Japon/épisode 1「月」

長期滞在者

Octobre.

秋の月が好きだ.昔から太陽よりも月の存在に惹かれる性分なのだけれど、秋の月は、特別.

夏の生温い空気に倦んだ星空とは違う.秋の夜空には、凛としていて、頭のてっぺんから足の先まで、澄んだ空気が通り抜けていくような清潔感がある.フルートグラスにつがれた冷たくて美しいシャンパンのようだ.

秋の月は、頼もしい.寂しげだけれども、媚びたりしない.真っ白な強い光を放つ、孤高のかっこよさがある.

孤高の月と言えば、恩地孝四郎が友人と共に創刊した同人誌「月映(つくはえ)」だ.

それは、1914年4月に刊行され、翌年の11月号で終刊した、幻の版画誌だ.竹久夢二画集や、白樺(文芸誌)の版元でもあった落陽堂から刊行された.発起人は、恩地孝四郎、田中恭吉、藤森静雄の3人.

なかでも、後に日本の木版画における抽象表現の祖とされる恩地孝四郎にとって、「月映」は自らの作品を世に問う最初の舞台であった.

恩地は東京美術学校時代に竹久夢二に感化され、画家を志した人だ.美術の詩的起源を封じて眼に見える対象と対峙することに専念する一定の時期を除いて、生涯に渡って紡がれる彼の詩的な作風は、夢二が説いていた「詩のような画」と通じるところが大きい.恩地の言葉「版画を産む心持と詩を生む心持とは誠に相似する。そこに共通な芸術発生態が見出される」(「卓上果 詩と版画題名のこと」『詩と版画』7号、1924年9月)からも、彼にとって詩と画が対になっていたことを伺い知ることができる.

月映は、詩と画の響きあいに目覚めたばかりの若い恩地の感性が輝く、格好の舞台だったのだ.

だたよへるもの

《ただよへるもの》1914年

 

《裸形のくるしみⅢ》

《裸形のくるしみⅢ》1914年

 

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抒情《相信ずるこころ》1915年

 

いとなみ

抒情《いとなみ祝福せらる》1915年

 

恩地の作品を前にすると、精神が研ぎすまされ、高揚する.

《裸形のくるしみⅢ》など、肺結核と診断された田中恭吉のために彫った作品は、身体を走る苦しみを暗示する線に強調された剝き出しの苦悩がにじみ出ているし、

一人のアーティストとして木版画の可能性を追求し、自己と他者との対峙の中で新たな視覚表現の模索をしながら、薄く淡い色を重ねていく1910年年代の《抒情》シリーズは、静かな祈りが感じられる.恩地は《抒情》を通して憤懣や絶望、不安、希望などの内なる感情を、抽象的形態と色彩で表現しようとした.苦しみの先にある、ひたむきな祈り.

若者固有の、苦しく切実な、張り裂けんばかりのもがきと、静かに進んでいこうという覚悟がかいま見られる、この時期の作品群が、私はとても好き.そして、この青青とした感情を受け止められるのは、月だけだと思う.

太陽では駄目なのだ.太陽は、強過ぎて、まっとうすぎて、まっすぐ過ぎて、容赦がないから.総てを焼きつくすほどに、迷いがない.というよりも、迷える者に差し伸べられる手を持たない.一方、月は優しくもあり残酷でもあり、つまりは観る側にその表情の解釈が委ねられている.月は、人にとって「余白」を持った存在なのだ.

距離感がよいのかもしれない.遠すぎず、近すぎず.月は、いつも少し離れた場所から私たちを見守っていてくれる.

恩地孝四郎の版画は、ストイックさの中に遊び心がある.度が過ぎていないのに、鋭利なナイフのようにスッと心にメスを入れていく.揺るぎない真面目さの中に、美しさの扉を開ける強さがある.正しさの強要や声高な主張とは違う、外の現実と内の心情に向き合い続けるまっすぐな多面性.日々刻々と形と表情を変える月にこそ、相応しいと思う.

 

ちなみに、月映の数年後、恩地孝四郎は萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の装丁も手がけている.機会があれば、是非初版を手に取ってほしい.現在は朔太郎の詩のみが飛び抜けて有名だけれども、初版では北原白秋の序があり、室生犀星の奥書があり、田中恭吉(完成を待たず病に倒れる)と恩地孝四郎の挿絵があり、当時制作に関わった作家同士の友情が色濃く反映されていて、かなり胸がアツくなる.

 

月の字形引手

月は昔から、人々の視線の対象となってきた.

長年の夢として、いつかゆっくり歩いてみたいと思っている桂離宮は17世紀、月を観るために建てられたものだ.書物で読む限り、「月見台」、「浮月の手水鉢」、「月見橋」、「月波楼」、月の字をかたどったふすまの引き手(上記画像)など、月にまつわる造作や装飾が沢山あるらしい.書院は、一刻でも早く月を迎えたいが故に、一般的な造りに比べると高床だそうだ.屋根も、月見の妨げにならないようにと軒が短く切り詰められている.

きっとそこに広がるのは、月夜が生み出す幽玄の世界.柔らかで凛とした光.月光に照らしだされた空間そのものが完結した芸術作品であるに違いないのだ.八条宮智仁親王が愛した月の光は、現代の私の心をも惹きつけてやまない.

 

手の中に収まる月も、ある.

お気に入りの和菓子屋さん、ヒガシヤギンザにて、気がついたら買ってしまっていた白磁の五寸皿2枚.職人さんの手造りは、虚しく流通するモノたちに反旗を翻す.

ああ、まるで満月のようだ.手の内に満ちる美しさに対して、少しも欠くことのない確信を抱ける幸せ.
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月の存在は、視覚に留まらない.野村仁の《Moon’score》は、月の運行を音符に見立てて、音楽に起こした作品.

5.0.2 JP

jan.1,1979〜jun.14,1979 (1975-1979) 国際国立美術館

野村仁は1945年兵庫県の生まれの人で、60年代末から写真に取り組んだ作家だ.巨大な段ボール箱やドライアイスなどの固体物がゆっくりと形を変えていく様を写真で記録し、時間や重力を可視化する試みを続けた.

太陽や月の運行の軌跡が織りなす美しい曲線に魅了された野村は、写真に留まらず映像や音、さまざまな媒体を使って表現していくようになる.その中の一つが《Moon’score》だ.

通勤途上で空を見上げていたとき、電線と電線の間に月が入っているのを見て、「月は音符だ」と感じたことが、この作品の始まり.35mmフィルムに五線譜を描き込み、夜空の月を撮り続ける.何日も、何ヶ月もかけて、新月から満月へ、満月から新月へと移ろいゆく過程を追う.月の規則的な動きをとらえ音楽的表現にトレースした.

《Moon’score》は、目線を宇宙に向けることで、人間が 万物を統合する大きな力の中に存在していることを思い出させてくれる作品だ.それは、切実に目の前の日々を生きていかなければならない私たちにとって、つい忘れてしまいがちなこと.

この作品は、現在大阪の国際国立美術館常設コレクション展で観る&聴くことができる.六本木の森美術館で開催中の「宇宙と芸術展」でも、最新の作品が公開中だとか.会場に響く弦楽器の重低音に、うっかり心の底を掬われそうだ.

 

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いつの世も人々の心に寄り添い続ける月に想いを馳せながら、今宵も私は満月という名のお茶を飲む.マリアージュフレールの、《Pleine Lune》(=Full Moon).ふわんとアーモンドが薫って、最後喉の奥でスパイスが広がる.ごく単純に、世界と1対1になる.幸せを燻らせる夜.