遠里小野

長期滞在者

わけあって週二回、和泉市の光明池(地名)まで通ってるのだが、どうせ行くならと自転車で行くことにした。
電車を使えば往復で1800円かかるところを、自転車なら行き帰りの飲料と塩飴で500円以下。
お金に換算するのは真夏に自転車を長距離乗ることの自他への言い訳なのであるが(要するに乗りたいというだけの話)。

自宅の尼崎から光明池地区まで、選ぶルートによるがだいたい40km前後である。
十三から阿波座、芦原橋、岸里へと走って松虫通りを経て府道30号線を南下、遠里小野橋から堺に入り、父鬼街道(府道36号)で光明池、というのがいまのところの道順。

往復で80kmというのは、ゴールの光明池あたりが小高い丘になっているのをのぞけばほぼ平地であることだし、そんなに大層な距離ではないが、なんせ最高気温が35度36度37度と日に日に上がっていく時期である。日中に走ると大変なことになりそうだ。
趣味としての自転車に大変も何もないのだが、今回の光明池通いは「趣味」の話ではなく、どうしても行かねばならぬ用事に無理やり趣味の方を乗っけているのであるから、暑いので倒れましたアチャー、ではすまない。
なので慎重を期し、朝9時までに着けば気温的に問題なかろうということで早朝6時に家を出る。
最初は道順の試行錯誤もあって3時間ちかくかかってしまったが、ある程度道順が確定すれば後ろの荷台に大荷物を載せた自転車でも2時間半以内で走れる。
帰りは日が暮れてから戻れば問題ない。

道順が確定するまではけっこう大変だった。
光明池を含む「泉北ニュータウン」地域は、いくつかの小高い丘陵地を切り均して作られたようで、堺中央部から泉北ニュータウンへ至るいくつかのルートのうち、もとの丘陵の山裾に沿う道は、こまかいアップダウンの波状攻撃である。車が走る道は切り均された平面上に通っているのだが、途中からその道は自転車通行不可になり、均されていない側道を走らされるのである。登っては下り、登っては下り、ちょっとしたトライヤル感。何の朝練なんだか。

泉北ニュータウン中心部を迂回して父鬼(ちちおに)街道から光明池へ入る道を選べば、ほとんど平地で済むということが判明して、今はその道を通っている。
最初からちゃんと調べて行けよ、と言われそうだが、しかし試行錯誤の段階でそのトライヤル的アップダウン道を通らなければ、泉北ニュータウンの地形的な成り立ちに思い至らなかったかもしれない。何も最短で一番楽な道を行けばそれでいいという話ではない。
自転車というのは自動車よりも徒歩よりも、地形の上下に敏感になる移動手段である。詩的なことをいうならば地形との対話のようなものである。別に詩的じゃないか。

地形との対話であると同時に、地名との対話でもある。
さきほど、道順の説明をするときに、わざわざ「遠里小野橋から堺に入り」と書いた。
堺に乗り入れる道は府道30号と府道26号、順路的にどちらでもいいのだが(むしろ26号から入るほうが距離的には短い)、あえて30号から入るのは、市境にまたがる遠里小野(おりおの)を通りたいからだ。
今さらっと書いてみたが「市境にまたがる遠里小野」というのは、不思議な文章である。普通地名は市境にまたがらない。
ところが遠里小野は市をまたいで存在する。大阪市住吉区遠里小野と堺市堺区遠里小野町。二つの遠里小野の間を大和川が流れ、そこに遠里小野橋が架かっている。
もとは同じ遠里小野だったのが、18世紀初頭の大和川の流路変更で二つに分断されたのである。新しい大和川が遠里小野を南北二つに裂いた。摂津国と和泉国の国境が大和川であることから遠里小野も両国に分離され、そのまま明治期の市制に引き継がれて大阪市住吉区遠里小野と堺市遠里小野町になった。ちなみに住吉区の方には「町」がつかない。

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(↑ 住吉区遠里小野から遠里小野橋を通って堺市遠里小野町へ)

遠里小野と書いて「おりおの」と読む。その語感がなんとも素敵。
どうせ頻繁に通うなら素敵な地名を通過したい。
地名には呪力とまでは言うまいが、何らか引きつける重力のようなものがある。その土地に結びついた、名前の発する力。おりおの、と口に出してみれば、口慣れた日本語の語感とは少し乖離した響きに聞こえもし、本来の仮名遣いである「をりをの」と書けば大和言葉らしくも見える。不思議な地名である。

不思議なので調べてみた。なんと万葉集にも登場する古地名である。

住吉之 遠里小野之 真榛以 須礼流衣乃 盛過去
(住吉の遠里小野の真榛もち摺れる衣の盛り過ぎゆく)万葉集1156
すみのえの とほさとをのの まはりもち すれるころもの さかりすぎゆく

「住吉の遠里小野のハシバミで染めた衣も擦れて色が褪せてきてしまった(=あの頃の思い出も褪せてきてしまったよ)」
遠里小野は古くは「とほさとをの」の訓をあてたようである。ハシバミの産地で油や染料をとり、のちに菜種にきりかえて精油で栄えたと史料にある。また瓜の産地でもあり、瓜生野(うりうの)と呼ばれた時代もあり、遠里小野の字面と瓜生野の音がややこしく混じって現在の遠里小野=おりおの、になったのだろうか。

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ところで遠里小野(住吉区側)には「オりオノ病院」という病院がある。地下鉄御堂筋線の駅広告にも大きく出てるので遠里小野という地名に興味を持つ以前から不思議には思っていたのだが、「オリオノ」ではなく「オりオノ」なのである。わかりますかね。「り」だけ平仮名。
病院のホームページを探っても由来的なことは書かれていないので、噂話的なことでも何か出てないかとネット検索したら、病院ができた頃、看板屋さんが間違えて書いたのを、院長が「面白いからそのままでいいや」と正式院名にしてしまったとのこと。いい話である。

遠里小野、とほさとをの、瓜生野、うりうの、をりをの、おりおの、オりオノ。
変幻うつろう不思議な地名なのである。
遠里小野橋から眺めるオリオン座とか。詩的やん。

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(↑ 遠里小野橋から大和川)