また昆虫の話(今度はナナフシ)

長期滞在者

bom03
とくに昆虫好きというわけではないのだが、カマドウマ、マイマイカブリにつづいて、今回も昆虫に登場してもらう。
上の写真は、僕の暗室の壁に架かっている巨大なナナフシの標本である。エスニック雑貨店で買ったもので、あまりの神々しさと不気味さに最初は購入の決心にいたらず、しかしその後数ヶ月煩悶して、やっぱりどうしても欲しくなって買った。写真ではわからないだろうが実は体長30cm近くあって、その巨人ぶりもまた神秘である。南米の産なのだそう。
これが暗室内でセーフライトの赤い光に浮かび上がるさまはなかなかよろしいものである。最初は自分で架けておきながら思わず小便ちびりそうになったものだ。僕の暗室は三畳しかないので、三畳の狭さに対する30cmのナナフシの空間占有率を想像していただきたい。けっこうなホラー感なのである。
写真の神様が降りてくる憑代に、というわけでもないのだが、これにじっと見られているとプリントするのにも精神が引き締まる感じがする。引き伸ばし機の真横の壁にかけてあるので、露光中はぼんやり左から視線を感じる。目を合わすのはまだ怖い。

ナナフシというのは実は不思議な繁殖をする昆虫で、普通にオスとメスが交尾して増えるほかに、実はメスのみ単独でも増えることも出来る。メスだけで生んだ場合は、オスの染色体情報が入らないわけだから、母子が同じ遺伝情報を持つ(単為生殖というそうだ)。
中には、ほとんどオスが見つからない種類すらあるらしい。単為生殖のみで増えると遺伝的多様性の点で弱くなってしまうのでオスは必ず必要だと思うのだが、そんな人間の常識を嗤うかのように、ナナフシはナナフシの道を進んでいる。ナナフシのオスがついにいなくなる日というのが来るんだろうか?
人間の場合、オスメスの問題は、大方の人にとって一生の懊悩のうちの大きな割合を占める案件であろうと思う。それをあろうことか「オスはいてもいなくても良い」という方向へ進化の舵を切った生物がいるわけだ。たじろぐなと言われてもね。

ついでに書いてしまうと、先月書いたマイマイカブリ、に食べられる方のカタツムリ。彼らももっと不思議な繁殖をする。雌雄同体(両性具有)で、一匹の体に両性の生殖器官を持ち、二匹がお互いの異性部分の生殖器を連結してダブル交尾をする。ああ、なんか書いてるだけでエログロい気分になってきたぞ。
さらに驚くべきことには、カタツムリは交尾の相手がいない場合、自分の中にあるオスメスで自家生殖も可能なのだという。オスメスどころか交尾の概念も土台からひっくり返りそうな存在なのだ。

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暗室のナナフシが「怖い」(畏怖、に近い)のは、木枝に擬態し、見ようによっては人間的にも見える姿形もさることながら、メスだけでクローン的繁殖が可能、などという圧倒的な非共感性のためだと思う。そもそも生きていく仕組みが違うわけで、それなのに同じ「生物」というカテゴリーに我々人間も閉じ込められているという不安。命というのは僕らの想像力が及ぶ範囲よりはるかに広範に多義的でアナーキーである。
つい勘違いしそうになるけれど、メスだけで繁殖できるナナフシや両性具有でダブル交尾するカタツムリが人間の繁殖方法と比べて「変」だとかいう話をしても、あまり意味はない。もちろん逆に、メスだけで増えることができるからナナフシの方が進んでる、という話法も無意味だ。それぞれの生物が環境を生き抜くためにそれぞれの繁殖戦術を持っている。この話はこれ以上でも以下でもない。
人間として当たり前と信じている「生」の様式が、無限にある生物のバリエーションの、たまたまの一つでしかない、ということを時々思い出したほうがいいと思う。生の形に当たり前なんていうものはなさそうだ。
人間が生きているこの生だって十分に深遠で不可解だというのに、この生の外側に、無限に無尽に、膨大な生のバリエーションがうごめいているのだ。うにょにょにょと。

ほんとにねぇ。
悠久のうにょうにょ。
世界が広すぎて深すぎて不可解すぎて、めまいがしそうだよ。