長期滞在者
「サラリーマンなんて割りに合わないよなあ」 電車のドアが開いてすぐ、そんな声が聞こえてきた。目の前にいる若い男の子が、連れに愚痴をこぼしながら電車を降りた。男の子は新卒くらいの年頃で、スーツとピカピカした靴を身につけていた。仕事でなにか嫌なことがあったのかもしれない。 仕事は嫌なことが多いし、割りに合わないよね…って、頭の中からそんな声が聞こえてくると思った。だって、これまでのわたしだったら、絶対…
長期滞在者
ブラック企業や自殺未遂、生活保護。こうした話は、多くの人の関心を引く。でも、それをきちんと伝えることも、きちんと受け取ることも、とても難しいと感じる。その要因の一つは、語る方も聞く方も、少なからず興奮してしまうことだ。 語り手が興奮すれば感情は鮮烈に伝わるかもしれないけれど、できごとが歪んでしまうことがある。一方、聞き手はどうしても強烈なエピソードにゴシップ的な興味を抱きがちだ。無意識のうちに私た…
当番ノート 第36期
自分自身の変化に対して、人は鈍感である。 屁をしながら、最近そのような事に気付いた。 と言うより、屁をしたから気付いたのだった。 なぜなら、自分の屁にただならぬ違和感を感じたからである。つまり、屁が臭くないのである。 今年の冬は屁が臭くない。毎年何故か、冬になるときまって屁が臭かったのである。「冬の屁」とかなんとか、自分の中での季語にしてもいいくらいのものであった。 それは衝撃の変化であったのだ。…
当番ノート 第36期
1997年の2月。 帆船での初めての航海は、一週間ほどかけて大阪から鹿児島まで太平洋を越えていくものでした。 それまで海や船に興味があったわけではありませんでした。 ほんの数回フェリーに乗ったくらいが、これまでの航海経験の全てでした。 そんなぼくが自分たちで船を動かすことを目的としたセイルトレーニングというプログラムを受けて感じたこと。 船という完全に外部に閉じられた環境。 初めて知り合った、年齢…
当番ノート 第36期
一片の詩の中に、数学は、たぶん存在しないけれど、数学の中に、詩が見え隠れすることがある。 おとなの五教科、最終回のお題は[命題:逆裏対遇/真と偽]です。 ——— 命題 「p ならば q」 この命題の逆は 「q ならば p」 この命題の裏は 「pでない ならば qでない」 この命題の対遇は 「qでない ならば pではい」 * 命題が、真(正しい)…
当番ノート 第36期
Film by Takahiko Watanabe 昨年の5月に、東京で催し物をした。 ムリウイという特別な場所があった。 その空間で作りたいことにしっくり来るものを探りながら、その日その時間の外枠として必要なことと、骨組みと、衣装を用意する。 「塔」という曲のミュージックビデオのために衣装を作って以来、よく歌を聴いているSatomimagaeさん(htt…
当番ノート 第36期
搭乗時間まで珈琲を飲むためにカフェに入ろうとした時。 ナオミ!と私の名前を呼ぶ声が後ろからする。振り返ると、ちょうど四年前に大雪のJFK国際空港で乗り継ぎのシャトルバスのことを尋ねたフランス人の女性に再会!ええービックリ!どうしたの?日本にいるの?私のことを覚えていてくれてたの?と立て続けに質問をする私に、遠くからでもあの時の子だってすぐに分かったわ!と。 とても賢くて優しい心の持ち主の彼女は、こ…
当番ノート 第36期
「あなたは神を信じますか?」 一昔前、そのようにいきなり路上でガイジンさんに聞かれたものだった。 ガイジンさんと言うことで、何故かたじろいでしまう由緒正しい日本人な私である。 ちゃんと日本語で話しかけてくれているにも関わらず、 「アナタハカミヲシンジマスカ?」という音の連なりにしか聞こえてこず、意味を解すことが出来なかった。 たぶんガイジンさんに対する怯みもあるけれど、 信仰、宗教というものを自動…
当番ノート 第36期
1997年の2月、初めて帆船で航海しました。 大阪から鹿児島まで、四国の南側、太平洋を超える一週間ほどの航海でした。 全部で25人ほどの乗船客がいました。 6,7人の3チームに分かれて、チームごとに様々な作業をして船を動かしていきます。 ぼくのチーム(船ではワッチと呼ばれていました)は、 高校生男子、大学生女子、20代男子(ぼく)、30代女子、40代男子、60代男女各ひとり、とものすごく年齢のバラ…
当番ノート 第36期
photo by rika minoda 2015/9 in domeki-river mashiko-cho tochigi pref. 私が生まれ育った家の玄関の小上がりに、サンタクロースが抱えていそうな白い大きな袋が二つ三つ置かれるのは、 毎年決まって元旦の朝だった。 父が郵便局で働いていたので、 地域の家々に年賀状を届けに行く配達の人たちの拠点になっていたのだ。 配達の人たちは、「失礼しま…
長期滞在者
見慣れた光景が普段と違う表情になるのを見るのが好きだ。たとえば年末年始の東京の都心部はきわめて無表情になり、わたしはその数日間だけ、無条件に東京のことが大好きだと言えるようになる。 12月も29日くらいになると、街や電車には目立って人が少なくなり、いつもはたくさんの人の波にもまれて辟易する通勤なんかも、すいすいと楽にこなせるようになる。日々の東京を染める殺伐とした空気がふっとゆるみ、妙に手持ちぶさ…
長期滞在者
瀬戸内海にあるうさぎの島に、また行ってきた。 別にうさぎを飼ったことがあるわけでもないし、数ある動物の中でとくにうさぎが好きというわけでもない。なのにもう三回目の上陸である。 何年か前に行ったときは島内にうさぎ300匹とか言ってたのに、今年のインフォメーションでは700匹だという。たしかに以前はあまり出会わなかった山の上の方でもひょこひょこ餌をねだりに出てくるから、増えてるのは確かなようだ。増減の…