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3F/長期滞在者&more

うさぎ島

長期滞在者

瀬戸内海にあるうさぎの島に、また行ってきた。
別にうさぎを飼ったことがあるわけでもないし、数ある動物の中でとくにうさぎが好きというわけでもない。なのにもう三回目の上陸である。

何年か前に行ったときは島内にうさぎ300匹とか言ってたのに、今年のインフォメーションでは700匹だという。たしかに以前はあまり出会わなかった山の上の方でもひょこひょこ餌をねだりに出てくるから、増えてるのは確かなようだ。増減の激しそうな動物だから管理が大変そう。

「野生」とは言うけれど、国民休暇村の施設で全島のうさぎに給餌しているみたいなので、実際は半分飼いうさぎみたいなものである。
休暇村施設周囲に居着いているうさぎたちは押し寄せる観光客たちから餌をもらえる。
一応「餌をやるな」ということで施設でも今は餌を売っていないが、この島に向かう船着き場では餌が売られているし、休暇村の職員も度を超えない限りは黙認している(前回来たときには固形餌を売っていたから、うさぎが700匹に増えたことでいろいろ問題が出てきたのだろう)。
山の上の方にいるうさぎたちも、各所に置かれた給餌場で葉っぱや固形餌をカリカリコリコリ食べている。
種類としてはアナウサギなのであちこち樹木の根元を果敢に掘って、全島にわたって穴ぼこだらけ。今回の滞在で穴に足を取られて一回コケた。

見たところ休暇村に宿泊している人数の倍ほどの数が、数時間うさぎを愛でて夕方の船で帰っていく。泊まるほどではないがちょっとうさぎの島を見てみたい、という観光客が以前よりもどっと増えている感じだ。

この島は第二次世界大戦中、日本軍の毒ガス工場があって、今でも島中に工場や貯蔵倉庫などの遺構がある。大きな元発電所の建物は廃墟好きにも人気が高い。
軍事機密であるから、戦時中は地図からこの島の存在が消されていた、という話があり、調べたことがあるのだが、上から紙を貼り付けでもしたような消され方で、何か隠しているのがモロバレだった。勘ぐってくれといわんばかりの、なんだかユルイ機密だなぁと思ったものだ。
そういえば吉村昭の名作『戦艦武蔵』は、武蔵を建造した長崎造船所の周囲で大量に棕櫚が買われたというエピソードからはじまる。工場の内部を隠すための幕に大量の棕櫚の繊維が必要だったのだ。
いずれにせよ軍事機密というのはそんなものだったのね。

戦後アメリカ軍に接収されて毒ガス工場は解体され、全島にわたって解毒処理が行われたが、今でも土壌に汚染が残っている場所があるのか、ところどころに立入禁止区域がある。

毒ガス工場で製造や管理に徴用されていた人たちは戦後も中毒の後遺症に苦しんだ。
国際条約に違反した兵器を作っていたため国も逆に責任を認めづらかったのか、補償も難航したらしい。
島内には毒ガス資料館があって、うさぎ大好きな家族連れで賑わう休暇村前広場とは一線を画した静寂を帯びる。

解毒処理の効果を確かめるために大量のうさぎが放たれた、という噂がある。
調べてみたら戦後、それも1970年台になってから放されたもので、毒ガス処理とは全く無関係だという話であるが、現在も土壌に汚染が残る場所があるという以上、いくら違うと言われても、少しは炭鉱のカナリア的な役割をうさぎに背負わせてるんだろう? と勘ぐりたくはなる。

実際、うさぎは可愛い。とくにうさぎ好きでもない僕ですら、山道のあちこちから出没して足元で餌をねだられたらウハウハしてしまう。うさぎ好きには天国だろう。
うさぎのかぶりもの(帽子状)を被った男性とその彼女が、固形餌の大袋を抱えて山のうさぎたちに給餌して回っていた。最初は休暇村の職員かと思ったが、どうやら一般客らしい。会話を聞いてるとかなり個体識別もできている。よほど頻繁に通っているのだろう。

一人で山道を歩いていると、カラスが1羽、夢中になって何かをついばんでいる。
まだ目の輝きも失っていない、おそらく死にたてほやほやのうさぎが、つやつやの内臓を露出させてカラスの下に組み敷かれていた。
生体を襲ったのか、何らかの理由で死んだ直後のうさぎに食いついたのかはわからない。
食事中のカラスの邪魔をしてしまったので申し訳なく、急いで写真だけ撮って(見せないので安心してください)山へ上がった。30分後同じ道を降りてきたら、さっきピンク色で生々しかった内蔵が半ば失われ、眼球もなくなっていた。
カラスは傷みやすい部分をよく知ってるんだなぁ、そこから食べるのか。そういえば長いものをぶら〜んとぶら下げて飛んでいるカラスを見て、下見たら腹を食い破られた猫がいた、という衝撃的な場面を目撃したことあったなぁ、と思い出しながらまた写真を撮っていたが、はっと、さっき山上で見かけた餌撒きかぶりものカップルが同じ道を降りてくるんじゃないかと心配になり、しばらくウサギの屍体の脇で見張っていた。
まぁ、別に、見つかってもいいんだけれども。
なんとなく予想されるうさぎ好きカップルの悲鳴と愁嘆、阿鼻叫喚を見たくないというか・・・いや、多少意地悪く、見たらどう反応するんだろうとか。
いろいろ考えてしばらくそこにいたが、どうやら別の道を降りたようなので、ほっとして(多少の残念もあり)僕も坂を下へ降りた。

この島でのうさぎの寿命はざっと4〜5年だという。
飼いうさぎの半分くらいだが、野生だともっと短いだろうから(飼猫は十数年生きるが、野良猫の「平均寿命」は3年だと聞いたことがある)、施設の保護を受けて寿命も野生と飼育下の真ん中くらいということか。
施設の職員がうさぎの寿命について説明しているとき、「やっぱりうさぎ、死ぬんですか」と質問したおばさんがいてズッコケたが(何かもっと複雑な意味合いで聞いたのだと信じたい。いくら「うさぎの楽園」とはいえ)、うさぎの走り回る楽園的風景と、うさぎを愛でる人々、毒ガス関連廃墟の同居する複雑な成り立ち、そしてちゃんと生々しく裏山で繰り広げられるカラスとの戦い、そういった複雑ないろいろが絡まり合って、やっぱり何だか興味の尽きぬ島なのである。
三回来たけど飽きない。
次はいつ来ようかな。
来年かな(すっかり虜)。

ookuno
(大久野島)

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

わたしは20年ほどの間上陸していない「うさぎ島」のこと。
両親の出身が、この島のすぐ隣島であり、わたしには子供の頃から馴染みのある島だ。

このうさぎ島はもともと観光地であったのだけれど、それでもどんどんという勢いでこのところ観光地化が進んだ感じがする。
フェリーに乗れば同乗のお客さんは対岸の病院へ行く地元の人や帰省のひとばかりであったのに、今や半数以上が見るからに観光客で、外国からのお客さんも徐々に徐々に増えている。

いつからか、(失礼ながらも)どう見ても英語なんかは話せそうにないおばちゃんが当然のように英語をペラペラと話しながら切符を売っていたり、切符売り場の小屋のような場所が増設され、うさぎグッズが並んだり、フェリー内で島へ渡る人への注意書きとして貼られているポスターに当然のように英語表記があったり、わりとそのまわりをウロウロしている人間にとっては肌身に感じられる変化がこの数年ものすごかった。

過疎化が進む中、観光で盛り上がってくれるのは非常に嬉しい。
けれど、馴染み親しんだ風景は失われていくようで寂しくもある。
それでもやっぱり、瀬戸内いいとこ、もっとおいでと言いたい。
大好きな地域なので、こうして自分の友達が知ってくれていたり旅行に来てくれたりするととても嬉しかったりもする。

でも、観光地の更なる観光地化についてはやっぱりちょっと複雑な気持ちなのだ。
(この気持ちは、多くの観光地を故郷にもつ者に共通の気持ちだと思うけれど、どうだろう。)

さて、本文中に出てくる「毒ガス」の話も、今や90代半ばのうちのじいちゃんはそれに関わっている。
この島で使わなくなった毒ガスの後処理をしてたというのだ。

しかしながら、「あすこでじいさんは戦争の後、毒ガスの始末しょったんぞ」と、子供の頃耳にタコができるほど聞かされていたが、それ以上のことは聞いた記憶がないのが実情。

わたしも資料館を含め、島をもう一度ゆっくり見てみたい気持ちは大人になってからも持ち続けていた。
特にこの数年、再上陸をはやくはやくと思っていたところ。

カマウチさんはまた来年だそうですが、わたしは今年こそ行きたいなあ。

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