当番ノート 第53期
タンポポの綿毛のようだ、と言われたことがある。 と言っても、ふわふわで可愛らしいという意味合いではなく、いつどこに飛んでいくともしれない、ひとところに根を張ることがなさそう、というイメージらしく、似たようなことは何度も言われたことがあった。要するに、根無し草だ。 しかし実際の私はさほど引っ越しの経験はない。22歳で親元を離れるまではずっと同じ家で暮らしていたし、35歳で帰郷してからも、同じ地域で暮…
長期滞在者
活気のある商店街を歩いていて、そこにお肉屋さんがあると、ついそこのご主人の姿が気になる。お肉屋さんのご主人というのは、こちらの勝手な思い込みで申し訳ないが、いかにも美味しいものを知っていると思わせる雰囲気を全身で表現しており、あぁ、この人の作ったコロッケは間違いなく美味しいよね~と思わせるような何かを身に纏っているように見える。 物心ついた昭和の頃から平成~令和に至るまで、時代が変わり人々の価値観…
当番ノート 第53期
突然だが、数年前に買った真鍮(しんちゅう)のボールペンが臭い。おまけに色もちょっと汚い。購入したとき、店員さんは「経年変化(エイジング)」で味が出るからと言ったので、自分が老けるたびにこのボールペンも老けていくのだなあと感傷的な気持ちになって買った。それが今、ちょっと汚くてサビ臭いのを我慢しながら使っている。何年かすると色もにおいも馴染んでくるのか。そして、これを味わいというのか。というか、味わい…
当番ノート 第53期
昔、きみを産んだとき。どういう話の流れだったか「へその緒を切る時は母体も赤ちゃんも痛くないんだよ」と誰かから言われ、その後に続いた言葉が「髪の毛と同じで」だった。 へその緒と髪の毛が医学的に同じとは思えないけど、その時は「そっか、それならば反対に、”髪の毛切っても痛くない”ってことの方が不思議だな」と感じたのを覚えている。 髪の毛は体の一部なのだけど神経が通っていない。神経…
Mais ou Menos
まちゃんへ 急に寒くなったね。うちらが作っているブランケットやカーディガンが活躍してくれる季節になってきた。ここ数日、メンタルはずいぶん落ち着いていると思う。 自分の好きなことを積極的にやりたいという気持ちが起きて、それを実行できて嬉しいです。 編み物の練習も少しずつやって、もっと上達して色んなものが作れるようになりたい。いつも教えてくれてありがとう。 展示会、楽しみなやなぁ。家も整とんしつつ、気…
鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
人と一緒に仕事をするのが苦手だ。自分の想定を崩すタイミングで指示が来たり、自分が立てたはずの企画や進行プランがディスカッションを重ねるうちまったく違うものに成り代わっていったり、まして仕事の内容と関係のない人間関係のことで労力をとられたりすると、急に意欲がなくなったり、ときにわーっとパニックになったりしてしまう。 しょぼい喫茶店で働かせてもらっていたときのワンオペレーションは、ほとんど理想の働き方…
当番ノート 第53期
僕が大学生のとき、祖父が米寿を迎えたので、親戚一堂でお祝いをした。僕は大学に入ってから声楽を習っていたのだが、母に「二度と聞かせられる機会もないかも知れないんだから」と押されて、祝いの席で歌を披露することになった。 気恥ずかしいのはもちろん、我が家とはなんの縁もないイタリア歌曲を歌うのはなんとなくためらわれたが、兄に指揮をしてもらうことで寄るべを得て歌いきったのだった。 親戚は皆、僕が声楽をやって…
当番ノート 第53期
写真は2018年2月に気仙沼市の中心市街地で撮影したものです。この頃は東日本大震災からは約7年近く経っていますが、大規模な復興工事が町のあちこちで行われている時期でした。ちなみに2020年の今も進行中の土木工事が多く残っている状態。もっと言うと、写真の風景は復興工事というよりも「復旧」工事の意味合いが強いです。区画整理して土地をかさ上げし道路の幅員や街路照明などを一新し災害に強い新たな町を作るので…
スケッチブック
今、踊るということ(9月1日) 気づけば夜通し 踊りの動画を見ていたいま踊ることを 考えていた色々と探して結局 街のジムに通い始めた いま踊ることを 体が求めている内に籠るものの 発露を求めている 何が籠もっているんだろう とも考える 言葉で縁取る前の 前の もっと前のものそれはどろっとしていて ぐるぐるしているもの 言葉にする必要もないものそこから言葉をとりだすには、 たぶん 川の水が泥を洗って…
当番ノート
重厚なパイプオルガンの音色は、澄み切った余寒の空気と相まって、礼拝堂の荘厳さをより引き立てるように鳴り響いていた。呼ばれてそこにいるはずの自分が、どうにも場違いに思えてならない。仲春の陽射しを柔らかく透かすステンドグラスを見上げ、ひとり呆然と立ち尽くしていたのは、26歳の私である。 「キリスト教のお式は初めてですか?」 振り返ると、こちらに微笑みを向ける、白髪頭をきれいに整えた男性・Mさんの姿があ…
長期滞在者
束の間の休暇は、久しぶりに海へ。 神奈川県には10年以上住んでいたのに不思議と愛着がわかず、東海道線に乗りながら「本当はもっと遠くに行きたい」と思っていた。けれど江ノ島や鎌倉を歩いていたら、いつの間にか「このへんで良い物件はないかな」と考えはじめている自分がいる。 海に近い土地から離れて8年経つ。いつかまた海を身近に感じられる場所でと思っていたのが、急に芽吹いたようだった。 ただ広い、大きな海があ…
当番ノート 第53期
10年前の夏休み。20歳になった私は、年の近い弟とともに、祖父の家を訪れた。 帰省するたびに祖父は「勉強は頑張っているのか」と問うのだけれど、こちらが答える前に、いかに不眠不休で勉強を頑張って要職に就いたかという長い話が始まる。これが本当に長くて、しかも、同じ話を繰り返ししゃべっている。私と弟は、いつ終わるのだろうか、なんて考えながらただひたすらに待っていると、やがて、スピーチが終わる。 長かった…