見知らぬ女の子を家に泊めた、そんなことを最近思い出している。
彼女とはmixiを通じて出会った。どうしてコンタクトを取るようになったのかはすっかり思い出すことができない。大学2年生の頃だったように思う。彼女はひとつほど年下の京都の美大生だった。
思い出せる最初のやりとりはこうだ。
彼女が東京に遊びにくるという時に、mixiで知り合った見知らぬおじさんの家に泊めてもらうという話を聞いて「ちょっと待って、それは危ない」と私の部屋に泊まるように、ほとんど懇願した。それが私たちのはじまりだった。
考えてみれば、私も女であるというだけで見知らぬ人物であることはおじさんと変わりなく、彼女にとっては依然として危険の可能性があったかもしれない。私を信用して泊りにきてくれて、よかった。あの頃、私自身、誰を信じるか、どこで冒険するかの判断がつかないことが多かったことを思い出す。
待ち合わせ場所のことはよく覚えていて、新宿西口だった。シンボルになるような時計のオブジェがあって、彼女とはその前で「出会った」。そして私たちは一緒に東京を観光した。隣には出会ったばかりの友だちがいる。
色白で話し方の柔らかい彼女は、とにかく優しい人だった。道端のキャッチの人だとか、タダでイベントをやるので見て行ってくれないかという勧誘の人だとかに立ち止まって話を聞いてしまう。1年そこそこ東京にいて「全部無視するべし」と警戒していた私を他所に、「少しだけなら…」とあやしげなイベント観覧を了承してしまったことがあった。
ひょろひょろしたお兄さんに真っ暗なビルの古びたエレベーターへと誘導されたときには、正直なところ、さすがにもうダメかもと思った。だけど結局そこでは本当にイベントが開催されていて、私たちは先客である年配の女性たちが席に着いていたのを見て心底ほっとすることになる。
イベントは演歌を歌う歌舞伎役者のようにお化粧した美形の若い男の子のショーで、年配の女性たちはみな、彼のファンだった。その部屋には彼女たちとなぜかそこに居合わせてしまった私たちのような人間が3、4人。
花で彩られた小さなステージの演目にはほんとんど集中できず、ただただ何もないままここを出られますように、と思っていた。
彼女は恐らく、怖いもの知らずであるだけではなくて、勇気と運のある人だった。終了後、「ちょっと怖かったね、でもちょっと面白かったね」というようなことを言い合って、私たちは観光を続行した。
危険はできるだけ避けたほうがいいんだろう。だけど、それをルール化しない人の、誰にも似ていない物語を持っているところが、私は好きだと思う。
彼女が何泊していったのか思い出せないのだけど、部屋はロフトがあって、彼女はそこで眠った。
私たちは夜遅くまでお互いの大学のこととか、友だちの話とか、恋の話をして盛り上がった。彼女の美大の友だちの話はユニークで、ひっそりと美大に憧れのあった私はすっかり羨ましかった。
彼女の周りには変わったあだ名の友だちがたくさんいて、それはほとんど人間以外の「もの」の名詞だったことは印象的だった。名前と何にも関係のない、名詞で呼び合うなんていいなぁ。私もそんなものの名前で呼ばれてみたい、と思った。すごく自由になれる気がする。
恋の話は例えそのときに好きな人や付き合っている人がいなくても、尽きることがない。話にでてくる登場人物や出来事を頼りに彼女の日常の京都をイメージしてみたりした。
ロフトにいる彼女とその下で眠る私の言葉と言葉の感覚がだんだんと間延びしていって、ついにどちらかが眠ってしまう。そんなお泊まり会の醍醐味をネットで知り合った彼女と共有できたことがとても面白かった。
彼女はその滞在から数年のあいだ、東京を訪れるたびに私と会ってくれた。彼女の当時の彼と一緒に会ったこともあった。mixiが当時の熱気をなくして、Facebookになってからは彼女と連絡を取り合うことはほとんどなく、出会った当時にアカウントを教えあったInstagramで彼女の結婚を知った。お祝いのコメントを残すと彼女からの返信があって、私たちあの時やっぱり本当に出会っているんだよね、と思った。
ともすると知り合うはずのない人たちとインターネットを通じて出会うことに魔法のようなときめきを感じていた私も、今はその魔法に慣れてきてしまっている。
あの時、彼女にうちに泊りにきてほしいと懇願するような危ういバランス感覚は今の時代のインターネットにも、私にも、もうないのかもしれない。お互いがお互いの善良さと幸運に賭けた結果、ひととき、つながれた彼女との記憶は、「人生って面白いな」と何度も思い出し笑いさせてくれる。
彼女のこと、きっと忘れないだろう。