この連載のはじまりで、私が東京で最初に暮らしたアパートでの不思議な出会いに少し触れた。東京の外れの女子大に通う5人の女の子と、ひとりの初老の外国人の共同生活の話。最初このお話は「あっさりと語るべきだ」と思った。あまりに強烈な愛情と衝撃が渦巻いた、この時期を経て私は完全に違う生き物になってしまったと言わざるを得ないような時期の出来事だったから、その場にいなかった人も耳を傾けてくれるように「できるだけ客観的に」書くのがいいと考えたのだ。
でも今、それは必ずしも私の体験を共有するのに正しいやり方ではない気がしている。だって10年が経とうとしている今思い返して見ても、どうしても可笑しくて衝撃的な、頭を揺さぶられるような思いをするのだ。取り出すだけでドキドキするこの記憶を、今度はできるだけ私の目と心を通して、伝えてみたいと思う。
外国人と同棲していた綺麗な先輩は、部屋に散らばるサンキャッチャーの光を指差して私に「エンジェルの見つけ方」を教えてくれただけではなかった。「笑顔がどれだけの扉を開くか」ということも教えてくれた。初老の外国人とふたりがかりで、頼んだわけでもなかったのに、それは熱心に。
この間ふと思い出そうしたのだけど、私はかつて笑顔の少ない子だった。心を開くとよく笑ったけれど、常に人間関係や環境に緊張していたからか、表情は硬かったと思う。そして何事にも悲観的だった。上京したての私と出会った先輩は本気で私の笑顔のぎこちなさを心配した。まず、その様子ではせっかく大学生になったのに恋もできないと思ったに違いない。
直接的にもっと笑ったほうがいい、と言われたことはほとんどなかった。ただ、彼女の日常を文字通り壁や窓越しに感じているだけで彼女の機嫌の良さが伝播してくるようだった。家事のパートで「洗濯物を干す」のが大好きだった彼女は隣の隣だった私の部屋まで聞こえるくらいの音量で鼻歌を歌いながらベランダに出ていた。声が聞こえると、ときどき私もベランダに出て彼女の名前を呼んだ。すると歌う調子で「今なにしてんのー」と返されて、私の部屋で合流することもあった。
「お天気がいいだけであんなに歌うほど喜ぶなんて!」とほとんど不可解だったけれど、彼女はそういう人だった。不思議に思う人を好きになるのは楽しい、と初めての感情を彼女のそばにいて感じていた。
周りにいる人にまでその明るさが勝手に伝播した先輩とは違った種類に強烈だったのが外国人の彼だ。彼の場合はとにかく「マイペースを貫く姿」を見せることで常識という常識を色褪せた何かに変える力があった。彼にとっては異国であるはずのここでの暮らしで、彼がいちばん、我がもの顔でふるまっていた。
身勝手なエピソードに事欠かない彼だけれど、印象的だったのは大家さんに禁止されようが罵倒されようが、大好きなお香を焚くのを止めなかったこと。シャワーは1日5回ほども浴びたこと。何事でも金色のものが大好きで、自分が使うのは必ず「金のカトラリー(残念ながらメッキ)」と決めていたこと。意にそぐわないと初老であるにも関わらず当然のように拗ねてみせたこと。突然「ベランダを浜辺にする!」と言って先輩と大量の砂を千葉かどこかの浜辺から持ち帰って敷き詰めたこともあった。
ある年のクリスマスには「サンタになる!」と宣言。先輩とふたりサンタの格好をして公園に行き、出会った人々にプレゼントを配って歩いた。やると言ったらやりたい人だ。あるときは「隣の部屋の可愛い先輩の形をしたキャンドルをつくる」といって可愛い先輩を思い切り引かせた(けれどそれでも彼はつくったと記憶している)。
彼が変わっているのも、多少ハレンチであるのも、はた迷惑な住人であることも事実だった。アパートのみんなはそれぞれの距離感で彼を受け入れていた。
私はといえば、かなり距離感を見失いながら外国人と先輩にのめり込んだ。その情熱がどこから立ち現れたのか当時もわかっていなかったけど、このふたりといたら新たな自分になれる気がしたのだと思う。自分のそれまでの経験からは彼らを形容する言葉が見つからなかった。そして計り知れない魅力や自分らしく生きるエネルギーをもった人たちが私に向き合ってくれるのが嬉しかった。彼女たちをわかりたい、と願うことが私を内側から世界に連れ出してくれる契機になった。
先輩が卒業する頃、すでに外国人は母国に送り返されたあとで、彼のへんてこな思いつきで日々目まぐるしかった時期を過ぎ、アパートの女の子たちはそれぞれ別々の時間が増えていた。お互いの生活に知らない友だちが増え、外出先が増え、いつも聞こえていた鼻歌もドアを叩く回数も途切れ途切れになっていった。
でも私は彼女や彼に真正面から惹かれた時期を境に、格段によく笑うようになった。前に比べ、マイペースにもなった。自分の人生や自分を押し込める概念に対して、克服できないまでも意識的になった。そういう変化は頻繁に一緒に過ごすことがなくなっても自分のなかで起こり続けたのだ。
最後、彼女が社会人としての生活を目の前にアパートを引っ越した日が忘れられないでいる。
片付けが苦手な彼女は明日には引っ越すというのに何の準備も終わっておらず、私はお掃除隊に駆り出された。彼女と離れがたい一心で、自ら志願した。部屋に行ってみると外国人が集めた「ゴールドコレクション(金のシャチホコなど)」や窓辺のサンキャッチャーや本、洋服、お化粧品などがそのままだ。(片付けがめっぽう苦手だったけど、彼女は学業面でも仕事でもとても優秀だった。へんてこりんなのに、機嫌よく、真面目なひとなのだ。)ただそれは序の口で、バスルームの掃除をしてほしいと言われて向かうともっと驚く景色がそこにあった。筆記体の単語がびっしりと壁面に書かれていたのだ。
Happiness, Laxually, Beautiful, Desire, Adorable, Gorgeous……。冗談みたいかもしれないけど、ユニットバスの壁面中に彼・彼女の思うポジティブで美しく、官能的な単語が綴られていた。しかも真っ赤なルージュで。簡単には消えてくれない。
唖然としながら化粧落としでこすり落としつつも、これを彼女がひとりで消すんじゃなくてよかったと思った。あるいは消さないで退去し大家さんにめちゃくちゃ怒られるという結末でなくてよかった、とも。
最後の朝、掃除を終えてカップ麺を用意してくれたとき、すこしだけ清々しそうに感じた彼女と、「あなたはよく笑うようになったね」て泣き顔で話してくれたその前の日の夜の彼女と、鼻歌を歌う破天候なかつての彼女。それぞれを私が知る彼女の姿として今も留めている。
この期間にこのアパートで何を得て、何を失ったかなんて私にも彼女にも、どこかへ行ってしまった彼にも言い当てられないだろう。確かなのは、私たちは人との出会いや感情のやりとりのなかで全く別の人間にだってなれるということだ。その羽化するような体験はお風呂場のルージュの伝言のように簡単には色褪せない。
何度も自らを変えていく過程を手助けしてくれる記憶なのだと、思っている。