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毛糸売り場のミセス・リバティ

それをエンジェルと呼んだ、彼女たち。

「まずはひたすら真っ直ぐ、平たく、均等にできるようになるところから。間違えたら丁寧に解いて、そこからまたはじめましょう」。ロンドンの唯一無二な老舗百貨店「リバティ」の手芸フロアの店員さんはそう私に念を押した。確かに基礎はどんなことをはじめるにしても肝心に違いない。でも、ピアノならハノンの練習より楽曲の練習をしたかったし、編み物なら単調なスヌードよりティーコゼーがつくりたかった。私の飽き性や堪え性のないところを知ってか知らずか、平らなものからはじめなさい、と彼女は言う。

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私は去年の秋に仕事で1週間ほどロンドンを訪れていて、立ち直れないほど落ち込んでいた。取材先を怒らせたり、上司とうまくコミュニケーションが取れなかったり、いろんなことが短い期間に起こっていた。単独で海外取材に行かせてもらったこと自体は恵まれたチャンスだったと思う。けれど同時に試練でもあって、体力も精神力もぎりぎりだった。

現実逃避の末にたどり着いたのが、リバティだ。ちょうどクリスマスに向けた商戦がはじまった頃で華やかなデコレーションの百貨店。どの階も魅力的なクリスマスギフトのラインナップが充実していたけれど、足が向いたのは暖かそうな毛糸がぎっしりと天井まである棚に並べられて美しいグラデーションを描いていた手芸フロアだった。建物の歴史を感じる大きな窓からロンドンらしい曇天が見えて、外では小雨が降っていて寒々しい日だったこともあったかもしれない。「編み物をやってみたい」と思った。小学生のときに少しだけ鍵編みをして以来、そんな気持ちになったことはなかったのに。

暖房のよく効かない部屋に住んでいるので、ティーポットに淹れた紅茶はこの時期すぐに冷めた。だからティーコゼをつくりたかったのだけど、ミセス・リバティは首を振った。やったことがないなら、まずは平らなマフラーやスヌードから。そう言ってパラパラと教本をめくり、本当にシンプルな何の柄もないスヌードを指差した。図がわかりにくければ今はYouTubeで動画のレッスンをやってますよ、大丈夫。

結構がっかりしたけれど、ミセス・リバティに勧められるまま毛糸2玉と編み棒を買った。そこで買った毛糸は中間色の美しい、思い返せばいかにも外国のものらしい、上質な毛糸だった。チクチクしないようにベイビーアルパカが入っていたのでとても柔らかく、ふわふわだった。「平らに均等に編むのは意外と大変なのだから、根気よく、ですよ」とレジから見送ってくれたミセス・リバティの言葉は、ささくれ上がっていた私の心にしばらくの間とどまっていた。

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帰国後は作業に追われてすぐに取りかかることができないまま、気持ちの整理もできないまま、1ヶ月は過ぎた。とうとう冬が来てしまう頃にやっとシンプルな教本を1冊買って、ミセス・リバティの教えを守り、ごくシンプルなスヌードを編みはじめた。初心者には最初から難しかった。動画を見ては止め、進めては戻し、気を抜くとすぐに間違って解いてを繰り返した。何度か嫌になって、早々に飽きそうになった。技はいらなくても長さが必要なスヌードは、まさに根気よくやらなければ終わりそうもなかった。

それでも、半分以上を編み終えた頃から、手がよく動くようになってきて毛糸を引っ張るつよさも加減できるようになってきたような気がした。ずっと集中しているわけではないけど、編む作業だけに没頭できる瞬間がときどき訪れるようになって、この感覚は久しぶりだなと思った。心が一瞬、見渡しのいい平野に浮かぶ感じ。ふわふわの毛糸に触れているのも心地よかった。

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編み物は、何かを「達成しよう」何かに「なろう」と身を固くして向き合っていたものからの逃走のつもりだった。犠牲にした自分の時間や気持ちを取り戻すための、療法だと思っていた。だけど真っ直ぐ、平たく、均等に編むということは思いの外むずかしい。気晴らしになるものというよりは、物事に丁寧に取り組む練習のように私には思えた。「真っ直ぐ、平たく、均等に編む。根気よくね」。これは仕事で自分が人の文章と向かい合った時にも大切にしなければいけないことかもしれない。

ひとつスヌードをつくった後は、もう少しだけ複雑なネックウォーマーを母に教えてもらいながらなんとかつくって、今はまた同じネックウォーマーを色違いで編んでいる。冬のあいだにベレー帽もやってみたい。本当は次こそ春・夏用の糸でリーフ柄のストールをと思っているけれど、小さな面積で練習してから決めることにした。

やり直しはなるべく避けたいけれど、やり直せると知っていることはすごくいい。根気よく根気よく。間違ったときには丁寧に解いて、また、はじめましょう。
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松渕さいこ

松渕さいこ

interiors 店主 / 編集・企画 東京在住
お年玉で水色のテーブルを買うような幼少期を過ごし、そのまま大人になりました。2019年よりヴィンテージを扱うショップの店主。アパートメントでは旅や出会った人たちとの記憶を起点に思考し、記します。「インテリア(内面)」が永遠のテーマ。

Reviewed by
ぬかづき

「スヌード」ってなんだろうと思って画像検索してみたら、首のまわりにもこっとしてふかふかして落ち着いている、あれのことだとわかった。両端がつながって輪っかになっているし、マフラーと言っていいのかわからなかったけれど、さりとて名称は知らなかったのだった。モノの名前を新たに知るのは、『ゲド戦記』みたいでなんだか愉快だ。

それにしても、スヌードみたいなやわらかい毛糸で首のまわりを覆うと、特に寒い冬には、暖かさはもちろんのこと、なにかに守られているような安心を感じるものである。ましてそのスヌードが、自分が選んだ糸を使って、自分の手で編まれたものだったとしたら。きっと、ふかふかして良い気持ちになるだろうな。

つい先日、友人たちと、心と体のつながりについて話した。体が疲れ切っていると、心もネガティブになり、ものの見方が悪いほうへと転落していく。体が不健康だと心も不健康になるし、体が元気だと心も元気になる。単純な動きを繰り返していると心が落ち着いたりもする。

このフレームにそって考えたとき、さいこさんがここで書いていることは、どう解釈できるだろう。さいこさんにとって編み物は、心の平穏を得るためだけのものではなかった。根気よくすこしずつ進めていき、間違ったときにはやけになったりしないで、きれいにほどいてやりなおす。そうした丁寧な手作業を通して、物事と向き合ったときに、根気よくその「編み目」をのぞきこんで、最後までやりとげる心構えを練成するようなものだった。

……そうして丁寧に編み込まれた心は、きっと、スヌードのようにふかふかと体を包みこんで、たがいに良い影響を及ぼしあうことと思う。

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