たった一度だけ会った人と、フェイスブックでつながれる時代。
だけどほんの2時間ともにした人のことを琥珀みたいに止まった時間のまま覚えている。覚えているだけでたぶん、もう連絡を取ることはないような気がしている。あまりに素敵な時間を過ごしたので、再び偶然が重ならないならこのままにしておきたい。そんな風に思うのも、「古風だね」と言われるようにそのうちなってしまうのだろうか。
その人と出会ったのはスウェーデンのガラスの王国と呼ばれる街、ヴェクショーの湖畔だった。その日は、お昼前の特急列車で首都ストックホルムに向かうはずだった。だけど列車の予約を取っていなかった私は土曜日がそんなに込み合うとは知らず、駅員さんに夜の便まで空席がないと告げられ、丸一日を持て余していた。
ヴェクショーはスウェーデン最古のガラス工房「コスタボダ」へのバスも出ている玄関口のような都市だけど、とても小さな静かな街。観光向けの施設はほとんどなく、お店もまばらだった。それでも秋晴れの気持ちいい美しい日だったので、教会でこの土地らしい、ガラスでつくられた色鮮やかな灯台を色鉛筆でスケッチしたり、公園のベンチでキオスクで買った雑誌を読んでみたり、それでも時間を持て余していた私はぼおっと駅から近い湖の階段に腰を下ろしていたのだった。
「ここで何をしているの?」と尋ねられたのが最初の会話だったと思う。だけど、私は彼が纏っていたイスラム教の正装がとても綺麗だったことに目を奪われていて、実際のところの会話をあまり覚えていない。その代わり、アイスブルーの艶やかな生地に控えめに刺繍がされていたことはよく覚えている。(後になって知ったことによると、彼はパキスタン出身で当時はヴェクショー大学に留学中であり、その日はイスラムの祭日だったそうだ。)
「暇なら大学見学する?」という提案はありがたかった。秋口とはいえ、スウェーデンの9月末の気温は夕方にも差し掛かるとだいぶ肌寒い。彼は私が対面したはじめてのイスラムの人だった。正装に身を包んだその姿も神秘的で、美しかった。いい人そうに見える。私が腰をあげるのには、それで十分だった。
大学は15分ほど歩いたところにあって、私たちは授業の終わった人のまばらな大学内の小教室・大教室・ラボラトリー・図書館……と本当に順繰り見て回った。なぜ今自分がここにいるんだろうというちぐはぐ感が面白くて、私はとてもはしゃいだ。音楽室に差し掛かったときには、「ピアノ弾けるなら弾きなよ」と無邪気に言われて、唯一楽譜がなくても弾ける「アラベスク1番」をちょっとだけ弾いたらブラボーって喜んでくれた。
そうやってしばらくの間大学をざくざくと見て回ったところで、列車の時間も気になるしそろそろ駅の方面に戻ることにした。大学から駅までは湖のフチに沿うように歩く。少し湿った小道をふたりでゆっくりゆっくり歩いた。彼は旅人である私に好きな女の子の話をしてくれた。うまくいったり、いかなかったりしているらしかった。でもその子のこと大好きみたい。
パキスタンにいる家族の話もしてくれた。けれどなかなか金銭面で帰国することが叶わない彼は、家族については懐かしさが胸につかえるのか、言葉少なだった。家族に会いたいってしみじみと言葉にしていた。
私も自分が一人きりでの北欧旅行を通して考え続けていた、別れ目前の恋人についての話をした。そのときにはほとんど整理がついていた気持ちのはずだったけれど、彼に話すとなんだか煮えきれない話になってしまって困った。彼が急に振り向き言い放った、「You know? Life goes on, keep going」。これは旅の途中にいる私とたぶん、彼自身にも投げた言葉だったのだろう。
秋の空気に柔らかく射す夕陽があぜ道に満ちて、「映画みたいに美しい」って思った。今この瞬間は完璧。そういう風に思うとき、これは贈りものだ、と直感する。いろいろあるけれど、それでもその瞬間は素晴らしいのだから、つい人生を諦められなくなってしまう。ご褒美のような一瞬に気を良くして、歩き続けてしまうんだろう。
ラストシーンのような夕焼けのなか、足元に感じる夜の冷気をかき混ぜるように、ことさら大きな歩幅で歩いた。
駅の手前のスーパーマーケットに立ち寄ろうという彼がスーパーのカゴを手渡してくれながら、「車内でお腹空くかもしれないから好きなものを選んで」と言ってくれたときには、受け取りきれない親切に泣き出したいほどだった。彼は親戚でもない、古い友人でもない、さっき出会った異国の人で、それは彼にとっての私だって同じなのに。
いいよいいよ、と辞退してもいいんだいいんだ、と返されてしまうので結局私はスウェーデンならではのパッケージが可愛い飲むヨーグルト「Yoggi」となぜか彼に手渡されたコーラとサンドイッチを買ってもらった。彼は一生懸命ヴェクショーのマクドナルドで働いていると言っていたから、その大切な稼ぎから気前よくご馳走してくれたのだ。
駅のホームまで見送ってくれた彼へのお別れの挨拶に、私からハグをした。両手を広げたんだけどなかなか彼から来てもらえなかったからだ。善良なのは最初から最後まで、ずっと。彼の非日常の着物のせいもあって、なんだか精霊みたいだ、と思った。
「じゃあ、気をつけて!」と大きな笑顔と大きな手の温度だけくっきりと残して精霊は帰っていった。列車は間もなくホームに乗り入れた。無事に席に着いて、さっそくYoggiを飲んだ。さっき起こったことは夢みたいだけど、ここに飲みかけのYoggiとコーラとサンドイッチがある。夢よりもいい、素敵な現実だ。
「人生は続くのだから歩みを止めないで」。この言葉はゴタゴタの多い私の人生に本当によく効く。人生のグラフ上では彼との2時間は小さな「点」でしかない。けどそこを起点に魔法じみたこの思い出が今日の私までつながっていることをただ、温かく思う。