インドの友人、ソナルの家族は彼女の婚約者、前夫との長女、ミャンマーから養子に迎えられた次女、叔母さんの4人家族。そこに住み込みの若いメイドさんふたりとシッターの中年女性、心優しいけれどやや天然なドライバーが加わると8人家族。今回はソナルの叔母さん、ディディのことをお話しよう。
ディディ(インドで年長の女性を慕って呼ぶときの「お姉さん」という意味合いの言葉)は、陽気で優しく、60代とは到底思えないような体力の持ち主。仕事の忙しいソナルに代わり、3歳になったばかりの泣いたり笑ったり忙しい次女のそばを離れることがない。もともと英語教師として働いていたディディは躾に対して時に厳しい。そして、彼女が話すヒンドゥー語は不思議なことに私の祖母たちが話す秋田弁にとてもよく似ている。ディディが次女を叱ったりする時なんかの声はとても懐かしく聞き入ってしまうほどだ。今年の夏が2度目のソナル家滞在だったけれど、私は初回からディディに秋田の親戚の姿を重ねてすっかり親しみを感じていた。
ディディは買い物が好きだ。私も大好き。ディディは前回も今回も私の「こういうものが欲しい」に付き合ってあちこちのマーケットを一緒に回ってくれた。ディディは値切るのも大得意。私が欲しいかどうか決める前に値段交渉にはいってしまうこともあるくらい。でもディディが満足な値段まで下がったことを嬉しそうに私に教えてくれるとき、すごく欲しかったものでなかったとしても私も嬉しくなって思わず買ってしまう。一般的に買い物好きな人は一緒に買い物に来ている人が楽しそうに買い物をするのを見るのも好きだと思うけれど、それはディディも同じなようだった。
私とディディの買い物の仕方の違いはただひとつ。買うか買わないか決めるまでの時間だけ。私は決めるのが早いほうだと思うけど、ディディはとことん悩む。一度お店に入ったらしばらくでてこない。しばらく出てこない上に一旦買わないで出てきたとしても、しばらくして「やっぱり」と言ってスタスタ舞い戻ってしまう。そうしてまた少しのあいだ出てこない。そんな姿が面白くて、買い物好きとしては気持ちがわかる気もして、愛おしい。
ディディは鼻歌をよく歌う。ディディは映画館でケータイの電源を(ソナルに事前に忠告されたにも関わらず)切り忘れて鳴らしてしまう。ディディは正しいインド人らしくお喋りが好きで、たまに何度も同じ話を聞かせてくれる類の忘れっぽさがあるけれど、私も何度でも初耳のような相槌をいれながら聞いていたい気がしてしまう。まるで彼女の姪っ子であるかのような気持ちになって。
ある晩、ソナルと話をしている時にディディが一緒に暮らすことになった経緯をはじめて聞いた。ディディは自分で独身でいることを決めたのだ、ということは前回訪れたときに聞いていたけれど、若かりし時に結婚したいと思った相手がいたそうだ。だけれど相手が精神的な病を抱えていたという理由で家族に結婚を猛反対され、破談になってしまった。それ以降、ディディは結婚を選ばない生き方を望んだのだと言う。
インドにおいて、女性が結婚しないという生き方を選択することや離婚する自由(インドの離婚率は1%と言われる)はまだまだないに等しい。独身宣言をしたあと、必ずしも居心地がいい時ばかりではなかった実家で自分の部屋を持つことも叶わず、ディディは毎日を泣き明かした。
「例え結婚しなくても、あなたをひとりにはしないよ」と言ってディディを自分のもとに引き寄せたのは20歳ほど年下のソナルだった。ソナルは幸せとは何かを自身の内面に問い正した先に離婚を選択し実現しただけではなく、クリスチャンの養子を迎え、現在の婚約者とも事実婚のような形を望む現代インド社会においてとても先進的な女性だけれど、その意志の強さはディディとソナルの双方に備わった資質なのかもしれない。
最初は断固反対したらしい、クリスチャンの養子である次女について「この子が居なかったらと思うと、怖いくらい。居なくては生きていかれない」と表情を緩めながら話すディディの過去の悲しみに思いを馳せた。それぞれの体験はその人だけのもの。馳せることしかできない代わりに彼女の今がより良い瞬間であることを願った。
買うべきか、止めておくべきか。ディディにあの服はよく似合っていたよ。じゃあ戻って買うべきかしら。このご飯を食べたらもう一度あのお店に戻ろうか。早く行かないと、なくなっちゃったら大変!
すぐ買い物に夢中になるディディとの他愛のない時間さえも、ソナルの器の大きさとディディの心の強さと優しさが織りなす贈り物のように私には感じられる。
人生を決める、というのは本当にできることなんだろうかと、ふと考えることがある。決めるというのではなく、他者から選択肢を与えられたり、人生側からいずれかを選びとるように仕向けられたりしているような気持ちになることが私には少なからずあるから。ただ、自分の意志を確かにもつ人には新たな展開が訪れるものなのだな、とは思う。
新たな展開でそれ以前と違う幸せを感じながら、鼻歌を歌いながら、生きるディディは美しい。ディディ、と彼女を呼ぶたび、私の心のなかにじわっと温かさが滲む。彼女の物語が私の人生にも入り込んで、やわらかい染みを残した気がした。