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水平線のアメリカンガール、雪だるまのロシアンガール

それをエンジェルと呼んだ、彼女たち。

ジェニーは褐色の肌が美しいアメリカ人。私の一番最初のホームステイ先の女の子だった。中学2年生の夏、2週間弱のプログラムでアメリカ・テキサス州のガルヴェストン島を訪れた。地図で見ても大陸に比べてあまりに小さい、田舎に思えたその島が、私にとっての最初の外国だった。

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外国への熱意だけで参加した当時、私は「言葉が通じなくても大丈夫」という自信に満ちていた。なんとなく、「心で通じあう」ことはこちらの熱意次第で叶うような気がしていたのだ。だけどこのホームステイで恐らく、ただの一度もジェニーと心が通い合うことはなかったと今は思う。

彼女は当時高校生で、日本の高校生よりもずっと大人びていて、私は随分年下だったから、いくら背伸びをしても彼女と肩を並べられるような共通項がなかった。彼女にとっては言葉を十分に話せない赤ちゃんみたいな日本人の子をホストしなくてはならなくて随分退屈したと思う。

彼女はそのとき、車もすでに運転できたし、恋人もいたし、部屋には「アバクロ」のセクシーな紙袋が置かれていて、まるで大人のようだったのだから。

それでもステイ中は大学の研究施設に勤める彼女のお母さん(ファミリーはとても裕福な母子家庭だった)と一緒に、おばあちゃんたちに会わせてもらったり、家族ぐるみの付き合いがある男の子たちの家族とも一緒に出掛けたりした時間は楽しかった。海外生活という強烈な体験にすっかり夢中になって、十分なコミュニケーションが取れてなかったのに帰りたいとは一度も思えず、帰国前夜はしくしく泣きながら荷造りしたのだけど、ジェニーはそんな私をとても不思議そうに見ていた。帰国後は10回は手紙や小包を送ったけれど、一度もジェニーから返事がくることはなかった。

それは淋しくて、短期のホストファミリーとはそのくらいのものなのかもしれない、と思うのには随分時間が掛かった。でも、この時の虚しさはしっかりと言葉が話せることの大切さを思い知らせてくれた。ノンバーバルコミュニケーションで心が通じ合うことはもちろんあるだろう。だけど、それに頼りきることはできないし、言葉はその場で相手に働きかけることができる。その瞬間に物事の方向が大きく変わることはたくさんある。

ジェニーの車で聴いた曲がすごく耳に残っている。曲名の聞き方がわからず残念に思っていたら帰りの飛行機のプレイリストで再び出会って、それ以来洋楽をたくさん聴くようになった。アヴリル・ラヴィーンの「スケーターボーイ」。アヴリルを聴くと、私を見るジェニーの困惑した表情を思い出す。

今だったら仲良くなれるだろうか。(Maybe?)

このときは「英語」だったから、その後英語の勉強と実践の場に困ることはなかった。マイナーな言語の話者が相手の場合にはどうだろう? 言葉以外の技術で「友だちになりたい」ことを伝えなければいけないかもしれない。

遡って、小学生のときだった。真冬の近所の公園で、見慣れない女の子がひとりで雪だるまをつくっているのを見た。近所で見たことのない白人の女の子だった。年は同じくらい。彼女がつくっていた雪だるまはすごくユニークで、胴体があったのを覚えている。大きめの雪玉と雪玉のあいだにやや小さめの雪玉が挟まっているのだ。目や口とかも器用に枝や木の実を使った完成度の高い雪だるまで、格好いい!と思った。それでたぶん、話しかけたのだ。

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彼女は日本語はあまり話せなかったけど、とても笑顔が可愛い利発な女の子で、もじもじすることもなかった。私の家の斜め向かいのアパートに住んでいることを教えてくれて、互いの名前をなんとか教えあった。彼女はモスクワ出身のジャクリーン。ロシア人の友だちは以前にアナスターシャという女の子がいて、ジャクリーンは自分の知るふたりめのロシア人だったけど、ロシア語の名前の優雅さは何度目でも感動してしまう。

彼女はロシア人の礼儀正しくて優しいお母さんと再婚相手の日本人のお父さんと暮らしていたようで、それから数ヶ月のあいだ、私たちは一緒に遊んだ。彼女は踊るのが本当に好きで、クラブミュージックっぽい音楽を電気を消した部屋で流しながら思うままに踊った。3月には一緒にひな祭りをお祝いして、やっぱりいつも通り踊って遊んだ。

このとき、ほとんど彼女と言葉で通じあった記憶はなくて、ただ同じテンションで同じ空間を楽しんでいることを「お互いが理解していた」感覚ばかり覚えている。

しばらくして、ジャクリーンはモスクワに帰ってしまった。最後まで別れを惜しみながらさようならをした。彼女と今、言葉でのコミュニケーションがスムーズに取れるとしたら、これまで以上に仲良くなれただろうか。きっと、イエス。だけど私たち、再会したらきっと話すよりも先に一緒に踊るのかもしれない。

さようならを言えないまま別れた人たちはどうだろう。再会することがあるとして、私は彼・彼女たちにかける正しい重さと正しい温度の言葉を今、持ち合わせているだろうか。日本語でもそれは難しい。言葉が明らかな壁で仲良くなりそびれた人たち、言葉がなくても楽しく過ごすことができた人たち、言葉以外で通じ合うのにはどうしてか躊躇するネット上の友だち、それぞれの切なさと面白さがあると思う。

言葉が閉じる理由も、体が開く理由も、その時々にある。どちらもを「言語」として自分のなかに備えていけたらいい。何かしらの手段で少しの時間でもお互いが「お互いを理解した」と勘違いできる瞬間がほしいと思う。出会った人を好きになりたいだけでなく、つながりたいと思うのは強欲なのだろうか。なんて主観的で危うい勘違い。

そんな瞬間の感覚ばかりが、自分の不安定な記憶のなかできらきらと楽しげに輝いている。

松渕さいこ

松渕さいこ

interiors 店主 / 編集・企画 東京在住
お年玉で水色のテーブルを買うような幼少期を過ごし、そのまま大人になりました。2019年よりヴィンテージを扱うショップの店主。アパートメントでは旅や出会った人たちとの記憶を起点に思考し、記します。「インテリア(内面)」が永遠のテーマ。

Reviewed by
ぬかづき

他者を理解するというのはどういうことなのだろう? という恐ろしい疑問を、今回のさいこさんの文章は提示しているように私は思った。

私たちは通常、言葉が通じさえすれば、相手を理解したような気になってしまう。でも考えてみてほしいのだけれど、その共通言語で話し合っている話題はどのようなことか。天気のこと、ニュースのこと、身の回りのあたりさわりのない共通項のこと。日常的な多くのケースにおいて、言葉は円滑なコミュニケーションのための手段であって、自分が傷つく危険をおかしながらも相手に深く切りこんでいくためのようなものではない。こうした点において、言葉というのはむしろ、一面においては、真に相手を理解するための気の遠くなるような危険や面倒を、ていよく回避するために用いられているとも言えるかもしれない。

しかし、言葉でなければ得られないものもある。さいこさんとジャクリーンが踊って遊んでいたとき、ふたりは言葉を介さずにおたがいを理解していたといえると私も思う。だけれど、おとなになったふたりがまた出会って、そのときのことを思い出したりしながら会話をすることができれば、きっと、すてきな体験の鮮やかさはより深まり、また違った色彩も帯びることだろう。

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海外でフィールドワークをしたり研究したりしていて特に肌で感じるのが、真の意味でその土地の人びとに受け容れられていくためには、どうしてもその土地の言葉を使わなければならない (あるいは習得する努力をしなければならない) ということである。実際にそうしたことを現地の人が言っているのを耳にしたこともある一方で、あるいはしかし、これは単に、受け容れてもらう側の心構えや覚悟や、もしかしたら勝手なうぬぼれの問題なのかもしれないけれど。

他者を理解するということと、受け容れるということは、違うことではあるのだけれど、どこかでつながっている。ジェニーは、おそらく、さいこさんを受け容れなかった。けれど、彼女なりのやりかたでさいこさんを「理解」していたのではないかと思う。その「理解」をたがいにすりあわせて心が通じあう状態にまでもっていくためには、やっぱりなんらかの共通言語が必要で、そういう観点で考えると、言葉ほど便利なものはない、とも言えるのかもしれない。

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