己をより良く知るために、どこから来たのかということを考えます。いつからこうして生きるようになり、どうしてこうしたかったんだろうということを。それを考えることで現在の状況、さらには今後の生活の指針や目的がより鮮明になるのです。
自分個人について記すと、読書に加えて近所や学校の友達、それに飛蝗(ばった)や蝉やだんご虫といった虫たちとの遊びに明け暮れた小学校卒業まではともかく、中学・高校時代はほとんど空っぽでした。
学校や学習塾に行って部活動や学業をするだけで、自ら考えることもすることもなく、人や物事に対して受け身で暮らしていました。そうしていると、行き場のない感情や生命が溢れ狂って渦巻き、どんな存在かも知れない自分がさらに不安定になるのでした。
取り分け高校三年生になって部活動を引退してからは時間と力が有り余って自由でしたが、それらの使い道が分からないという点では極めて不自由でした。その状況下で行動の選択肢は無限に近く潜在するにもかかわらず、余りにも無知かつ無行動であるゆえに選択肢がわずかにしか見えない。生活や世界が乏しく感じられるのはそういった自分にも原因があるのに、それに気付くことすらできず、もっぱら己を取り巻く環境のせいにしていました。
一方で、兄や友達から教わったパンクロックやグランジロックの演奏や歌詞、それをする人たちの姿や生き様に衝撃を受け、どんな考えをもってどんな行動をしてもいいという本当の自由に対する憧れも強くあったので、このままではいけない、と18歳になると関東へ出て来て一人暮らしを始めました。
それから感情や生命を表す、昇華するために文章や絵をかき始めました。それと並行して、人や世界を知るために中学校以降ろくに行っていなかった読書にのめり込みました。
それでも自分の中からこみ上げるもの、渦巻くものが表現しきれなかったのでギターを手にし、昔から大好きだったうたを作り、演奏しながらうたうことを始めました。
しかし、人や外界とほとんど関わりを持たずに一人でそれらを続けていると、世界が自分のなかで完結しているように過信されるようになりました。そんな閉じられた経験を全てであるかのように思いこみ、何もかもを分かりきったように勘違いしていました。
そのころには、何も働きかけなくともすばらしい人や物事がやって来て然るべきだという怠惰で浅はかな理想があり、自らそうしようと行動しないにもかかわらず良くならない、美しくならない世界に絶望していました。そして、生きようが死のうがどうなっても構わないという虚無主義に傾倒し、むしろ死こそが完璧に穢(けが)れのない美しさを実現するものであるとさえ信じていました。実際には自分でもみっともなく思えるほど生きることに執着してもがいているからこそ、そう信じたかったんでしょう。
そのように、身勝手にも死に惹かれていた19歳のとき、どうにか事態を好転させようと「幸福な人々」という長編小説を書きはじめました。朝も昼も夜も執筆に没頭し、眠りのなかにあっても物語の進行や修正点が浮かんできては、すぐさま目を覚まして原稿に手を加えるということも度々でした。そういった濃密な2、3か月を経て、総文字数13万以上にわたる「幸福な人々」が完成しました。
そこに登場する主人公の一人が死に至ることで、彼に似た自分の一部も死にました。それから約2年間、その物語の推敲を幾度となく重ねて彼の、ひいては自分自身の死が心身に染みわたって実感されることで、ようやく己の意思でより良く生きようとする姿勢が保てるようになったのです。
それから現在に至るまでは、主に音楽と文筆、それに人や外界との交流によって自分とそれの知覚する世界を広げながら生かすことをずっと行ってきました。そして、それはあるところまでは成功しているように思われます。
しかし、最近はそれを他の人に伝えられているかというと、必ずしもそうであるとは言えないことに気が付き始めました。本当に伝えたいことがあるんだから、主観と客観の両方をもって正しく伝えられるよう努めたいのです。
18歳以前に気付けなかった、人生において主体的な行動をとることのすばらしさを。19歳のときに分からなかった、自分以外の人や世界が自分と同じく、あるいはそれよりもずっと豊かであり、行動を起こしてそれらと関わり合うことでより良く生きられるということを。そして、自分を加えたそれらの豊かさや良さはどこまでも広げられるし、それを伝え合う、受けとり合うこともまた可能だということを。
そのために、人や世界に敬意を払い、それらと真摯に直面して接し、閃きを大切にしつつも思考と行動を丹念に構築する、そしてそれを継続することが必要であると思われるのです。感覚が自分に近しい人やこちらに歩み寄ってくれる人だけにではなく、そうでない人にも働きかけて伝えられるように。
そのために知るべきこと、考えるべきこと、行うべきことはまだまだ尽きません。しかし、これからもこの状況に身を置いて一つずつ一つずつ行っていくのみです。