「すごい」
これを禁じ手としてます。
なんとなくバカになってきたような気がしたからです。
NBAの2011年ファイナルが殺人的に面白かった時、
「すごかったぁ!」
東京モーターショーでRX8の最後のモデルに座った時、
「すごいわぁ!」
子供の幼稚園のリレーで1位を取った時に、
「すごかったでしょ!」
このままだと、ジャイアント馬場だろうが、
村上春樹だろうが、マイケル・サンデルだろうが、
ボクはただ「すごい」という感想だけを連呼し続け、
人生の最後に「いやぁ、すごい人生だった…」と
つぶやいて昇天してしまいそうなので、
このたび禁じ手となりました。
ボクは単語の禁じ手をたまにやります。
と言っても自分だけの決まりなので、
ペナルティーなしのプライドだけがルールです。
ちょっと前は「あれ」が禁じ手。
「あのー、あれってさ、あれだよね」
とか平気で言ってました。
もはや会話が虫食い問題です。
このコラムをスペインへの旅路で書いると、
だんだん耳に入る外国の言葉が増えてきて、
ボクの頭の中からも普段使ってない
英単語がモゾモゾ出てき始めます。
ボクが英語を覚えたのは、大学卒業後でした。
渡米したて頃は、ほとんど英単語を知らないので、
日本語みたいに複雑な表現ができなくなり、
全ての表現が禁じ手になりました。
「好き」か「嫌い」
「行く」か「行かない」
「食べる」か「食べない」
という単純明快なことを伝えるので精一杯です。
当時は聞いても分かんないし、話しても通じない状態で、
たまに本気で頭が痛くなり吐きそうにもなりました。
会社で昼飯に誘われても、
「ファーストフードは栄養素という観点において、
若干の懸念点がありますが、昼食の約束に関しては
前向きに検討したいと思います」
なんて言えません。
自分では「うん、行く」と言ったつもりなのに
おいて行かれたり、「こーらー」頼んでも、
「うぉーたー」出てきたりするのが普通でした。
だから、毎日が自分の言いたいことを
単純明快に話す訓練でした。
今考えると、貴重な経験です。
そんな経験をしたのに日本語になると傲慢にも
「あれって、すごいよねぇ~」
ですわ。
自分にがっかり。
単純明快になろうと、ときどき禁じ手。
これがボクの「話をする時の顔」です。
今日のことば:
「単純こそ究極の洗練である」
レオナルド・ダ・ヴィンチ