私の肩書きはあえてドキュメンタリーフォトグラファーとしている。
以前は肩書きなんて気にした事がなく、どうでもよかった。
しかし、数年前からは今の肩書きにこだわりはじめた。
私は週刊誌等でアサイメントを受けて撮影する事もあるが、基本的に自分のテーマや興味がある事を取材するので紛争地等にも行く事もある。
そうするとここ最近の流行もあり「戦場カメラマン」と呼ばれる事が増えてきた事が、肩書きにこだわるようになった主な理由だ。
そもそも戦争を専門に撮影してるわけでもないし、何より外国では「戦場カメラマン」というジャンルは存在しない。
ベトナム戦争時に多くの日本人写真家が活躍した事も理由と考えられるのだが私はどうしてもその肩書きに抵抗がある。
日本の写真界、主に報道やドキュメンタリーのジャンルにおいて写真家個人の生き方やキャラクターが注目されている節があり、それは写真そのものの評価ではないと感じるからだ。
日本で注目されている写真家の写真を見ると、そういい写真と思えない事が少なくない。
もちろん写真は好みであるので、私の評価だけでは断言できるわけではないと思うが、写真家は結果(写真)がすべてであり、プロセスやキャラクター等はどうでもいいと思う。
極端な話、良い写真を撮る事ができる写真家なら、人間性に問題があっても素晴らしい写真家だと思う。
売れない写真家の嫉妬や愚痴みたいになってしまったが、私個人としてはこう考えている。
今日の写真は、2010年4月11日のタイの首都バンコクで起きた争乱の1場面で、当時の首相アシピットの退陣を求めていたデモ隊と軍の衝突時の写真である。
この日の夜にデモ隊と軍の銃撃戦になり、ロイター通信の村本博之カメラマンを含む数十人が死亡した。
あれから2年。
村本さんが撃たれる1時間ほど前「落ち着いたら飯でも行きましょう」という会話をした事が思い出される。