365日の365日ぶんの息からどうしても通り抜けることができなかった、わたしがいる。
ゆっくり閉じこもっている場所、そこが、私と本をつないでいるところ。
小学校の時、父に「シートン動物記」を買ってもらった。
とにかく動物が好きだった。
りす、ハムスター、文鳥、セキセインコ、十姉妹。
にわとりとうさぎと柴犬。
ケガしたカラスや雀。
巣から落ちたひなを拾ってきて大きくなってそれがメジロだとわかった。
和菓子のような甘い黄緑色、目の周りがくっきり白い。
私が何か拾ってくると、そのたび父は小屋を作った。
ノコギリで木を切り、釘を打ち、網をはめ込む。
家の裏には木製の住居がずらりと並んだ。
せっかく作った家なのに、網を力任せに寄せてうさぎは逃げてしまった。
こういうの、人間の都合良さ。
おたまじゃくしを瓶にいっぱい詰めて持って帰ると、いきものが苦手な母に「捨ててきなさい」と怒られたっけ。
夏になる前には、木材置き場にカブトムシの幼虫を取りに行った。
幼虫がいるかどうかはそこにある木材の匂いでわかった。
今はもうわからないだろうな。
さなぎになり羽化したときのまだ柔らかい白い羽。
生きようとすれば避けて通れない危険な羽化という時間。
見たあとも、見たという思いがあんまり頼りないから、また見たくて次の夏も幼虫を探しに行く。
昆虫や動物が弱々しく思えたのは、私が言葉を知らなかったからだろうか。
虫や動物が言葉を話さなかったからだろうか。
子供の私は自分がすべてを支配できると思っていたかもしれない。
自分以外のものは小さく弱いものだと思っていたかもしれない。
大きくなると、自然に生きる過酷さや厳しさを知る。
便利な社会に生きている人間のほうが、なんて弱々しいんだろうと思う。
弱々しさとかひとりという言葉は、おなじところから生まれたみたいに思える。
人間の赤ちゃんはひとりでは何もできないと考えると、弱い存在。
そのことが、ひとり、という言葉と重なって、温度の同じ言葉として私の中にある。
生まれたばかりの赤ちゃんはみんなに守られなくちゃいけない。
でも、赤ちゃんはただ弱いだけではない。
泣くことで誰かを呼ぶことができる。
誰かの気持ちを揺さぶることもできる。
ひとり、というのは、生れる前にさかのぼって行く気持ちの流れのような気もする。
何もかもを知らなかった場所に戻る感じ。
きゅんと胸が締まるような気持ち。
世界はまだ、自分が今思ってるようにはなってなくて
弱々しくって、ひとりで、でも、さみしくはない。
光も影もそこには差していて、つめたいとあたたかいがそっと椅子に座っている。
私と本が出会うのは、そんな場所です。