金庫は家の奥深くにしまう秘密の存在で、玄関先に飾るものではない。金庫は秘密を隠す存在で、空のままで持っておくものではない。しかし、われらが祖先においては、その限りではなかった。
一面ガラス張りの祖父邸の玄関、光に満ちた世界の中心に、金庫はあった。祖父を訪れる客人の誰も、シクラメンの鉢とレースをのせた風変わりな台座が金庫だとは気がつかなかった。
世界の安定をつかさどる礎のように燦然と金庫はそこにあり、その姿は教会におけるキリストの石膏像を思わせた。不自然を極めた末、すべてに調和していた。祖父の子である母ですら、その台座が一族の遺産だと知ったのは、遺言状をひもといてからであった。
金庫を手放してはならない。壊してもならない。これが祖父の遺言だった。
金庫の中身はなにか、なぜ手放してはならないのか、どういういわれのものなのか。詳しいことは何ひとつ書かれていなかった。鍵を開ける暗号すら、子孫に知らせるつもりはないようだった。いかにも実業家らしい祖父らしく、遺言状は細やかな配慮と理知に満ちあふれていたが、金庫の記述だけは、とおりすがりの野蛮人が石のナイフで刻みつけたものかと思うほどの出来であった。
この金庫はテルコから受け継がれたものだから、と残された者の誰かがつぶやいた。テルコならしかたあるまい、と誰もがうなずいた。
テルコはわたしの曾祖母、神経こまやかな祖父の野蛮なる母で、すべての季節を、樹上と囲炉裏のそばで過ごした。旧正月にちらし寿司をつくること、季節ごとにいちど水浴びをすること、庭の木になる果物を鉈で狩り落とすこと以外は、いっさいの人間らしい日常生活を拒んだ。
わしはもう駄目じゃ、息子を殺してわしも死ぬうーうぅ。気温が上下するたび、テルコは世界の終末を予言して、縦横無尽に包丁をふりまわしては、黙示録と復活の魔法陣を虚空に刻みつけた。火の魂を持つ祖母は、ドン・キホーテのごとく破れ鍋にまな板で武装して、風車のごとく回る姑に立ち向かったが、ほどなく夫をさしむける指揮官へと変貌した。
あなたの母親でしょ、わたしの母親ではありません、あなたがどうにかしなさいと、祖母は一心不乱に玉ねぎを刻みながら、扉を指差す。祖父はまんじゅうを小脇に抱え、細長い体を揺らしながら、離れにあるテルコの棲家へ向かう。非日常はそうして日常となった。おばあちゃんと呼ぶには、テルコはあまりにも妖怪じみていた。
テルコの獣らしさは数多くあれど、水への嫌悪ほど、すさまじいものはなかっただろう。その傾向は年をとるごとに強まり、八十を過ぎてからは三年に一回の風呂ですら我慢できないようだった。線香をたけば、すべての雑菌は死滅する。手拭いがあるからいらんのじゃ、水など、風呂など。いらん、いらん。テルコが住まう居間には、いつでも地蔵の香りがただよっていた。
彼女をくるむ汗と綿の十二単は、ついに祖母の猛襲によってはがされた。米寿の誕生日に柿の木にのぼって実を落としていた折、うっかり足をひねったテルコが病院に連れていけとわめいた時、風呂にはいらなければ絶対に医者は診てくれないと、祖母がつっぱねたのだ。叫ぶ曾祖母に叫ぶ祖母、粛々とデッキブラシを取り出す叔母により、清めの儀式がおこわれた。沐浴は、日が昇ってから沈むまで続いた。風呂の水を五回いれかえたが、水が透明になることはついぞなかった。
祖父とその母テルコには、一見して共通するものがない。祖父は世界を飛び回る実業家で、テルコは社会という概念から解き放たれた野生の人であったが、両者のあいだには、どこか奇妙な信頼関係があった。テルコが食事の用意を放棄したせいで、幼少のころ栄養失調で死にかけたことがあるにもかかわらず、祖父は自分の母を淑女として扱った。妻が烈火のごとく怒っても、近所から苦情を申し立てられても、まあまあ、という笑顔の取りなしで、すべての抗議を無効にした。
金庫は、生命力のほかは何も持たない曾祖母が、肉体のほかに子孫に残した、数少ない財産のひとつだった。彼女の持ち物といえるものは、春夏秋冬、昼夜とわずはおっていたバターのかおりがする褞袍(どてら)、平氏の末裔として受け継いできた日本刀という名の鉄くず、一枚のモノクローム写真と瓶にためた桃の種、そしてさびれた金庫であった。桃の種と日本刀は、いつのまにか消失していた。どてらは、棺桶と一緒に燃やされた。そうして、金庫と写真だけが残された。
ふたつの大戦のあいまに撮られたと思われるこの写真には、制服を着た男が写っている。彼は、かすむ海と半島を背にして笑っている。船の甲板で撮影したせいだろう、その顔は逆光のなかに押しこめられてぼんやりとしており、たくましい体躯の黒い輪郭と、白い歯だけがしらじらとこちらを見すえている。
祖父の写真すら持たなかった曾祖母が、ただ一枚、そして生涯、手元においた写真だ。もはやこの世の住人ではないこの肖像は、彼女が愛した恋人であり、墓まで持っていかれた秘密の存在、つまり祖父の父親なのではないか。男は並はずれて体格がよく、日本人離れしていたから、大陸の向こうからやってきた亡命者か、兵士なのかもしれなかった。このすらりと高い鼻はおじいちゃんにそっくりだよ、と誰かがつぶやいた。
戦前の世で、大陸男の子をうむ女、父なし子の母親が、どのような苦痛を味わったのかは知るよしもない。他者からの理解をあきらめ、世と慣習を憎み、動物のように牙をむくかもしれない。そんなわけはない。これはただのブロマイドで、気まぐれに残していただけ。そんなわけはない。おじいちゃんはかなりのところまで秘密を調べていた。なのに、黙って逝った。この写真は手掛かりなのよ。そんなわけはない? そうかもしれない。そうでないかもしれない。写真はなにも語らない。
秘密は、金庫の中に隠されているのだろうか?
遺言により新たな持ち主となった祖母は、金庫をX線の解析にかけた。中にはなにが? なにも。金庫の中は空だった。よくわからない光線に頼った自分が愚かだった、やはりこの目で確かめなくてはと、祖母は電話帳をひらき、鍵開け師の番号を探した。
お話をうかがう限りではできると思いましたが、これはわたしには無理です、と鍵開け師は言った。じつは金庫は、昔のものほど開けにくいんですよ。今の金庫は、複雑そうに見えて洗練されているから、作法に従えば、だいたいのものは開けられます。でも、昔のものはだめですね。特に、戦前のものは最悪です。砂がね、つまっているんですよ。砂が、外箱と内箱のあいだに。へたにこじ開けようとすると、砂がなだれこんできて、鍵が埋もれてしまうんです。解体せずに開けることはできません。申しわけございません、奥さん。
わたしたちは、大きな砂時計のなかに閉じこめられていた。さらさらざらざらと、天上からは時という名の砂が降り続いて、放っておけば、記憶も人間も、砂に埋もれていくことはわかっていた。しかし、へたにこじ開けようとすれば、なだれこんでくる。わたしたちに、なすすべはなかった。
黄砂を運んでくる突風のように、金庫は大陸の血と伝説を、海の向こうから運んできた。焼き切るという提言は、祖母によって丁重に葬られた。それでは、祖父の願いにもとるからと。もっともなことだった。
いつか、歴史の天使を吹き飛ばす突風が、遺言も記憶もかき消せば、金庫は開かれるだろう。秘密を守りつづけた砂は、黄砂と遺骨となって、風に巻きあげられ、海の向こうへ跡形もなく消えていくだろう。