さて、「私はなぜ、タダでこの執筆依頼を受けたのか?」という問いについては、すでに結構はっきりした答えが出ている。それは「断れない相手に頼まれたから」。
「アパートメント」を代表して最初にコンタクトを取ってきたのは鈴木悠平くんだった。最初に知り合ったのは津田大介さんの紹介で、昨年ニューヨークを旅行した際は、まだコロンビア大学に通う学生だった彼にあちこち案内してもらった。教わったハンバーガー屋がとても美味しかったこともあり、無下に断るわけにはいかない。
パークスロープの道端で、まだ固まる前のセメントが囲われた道路工事現場に器用に片足を突っ込み、作業員のおじさんに大激怒されていた(のに事の重大さにまったく気づかずスニーカーの底についたセメントをズリズリ地面になすりつけていた)鈴木悠平くんの、ものものしい学歴からは想像もつかないあのドンくささを知らない人には、私がいくら「なんか頼まれて、つい受けてあげちゃったんだよねー」と言ったところで、そのニュアンスは伝わらないだろうけれど。
もう一人の重要人物は、「アパートメント」の運営者であるアマヤドリこと朝弘佳央理さん。彼女と私の関係性を他人に説明するのはとても難しい。一度も会ったことがないが、共通の知人がたくさんいる。直接連絡を取ったことはないが、なんとなく互いの動向を掴んでいる。私はたまに無性に彼女のことが気になって、読める限りの活動記録を読みあさったりする。私たちはTwitterが今のように大きなSNSになるずっと以前からの「知り合い」である。2007年当時、Twitterにはまだ「日本語でつぶやく」ユーザー自体が極めて少なく、英語圏の隅っこに独特のこぢんまりしたコミュニティを形成していた。フォロワーが200人もいれば「アルファ(人気者)」と呼ばれた時代だ。どこに住んでどんな仕事をする何歳の人かまったく知らぬまま、我々はただ「日本語でつぶやく」ことだけで連帯していた。アマヤドリさんはその中でも、私が一度は何かでご一緒したいと想い続けていた相手である。
「アパートメント」ではタダ働きしたのだから、僕や私のためにも無償で原稿を書いてくれよ!……ゆくゆく、そんなふうに声を掛けてくるであろう人たちに対しては、まず、連載第二回にこんなパーソナルな思い出を記すことで、牽制しておきたい。
あと一つ、ここに文章を書いてみようと思ったきっかけが、「note」( http://note.mu/ )というサービスだ。クリエイターが自分の投稿に好きな価格設定で課金できる、という特徴を持ったコンテンツプラットフォームである。2014年4月のリリース以降、私はこの場所が気に入って、現在に至るまであれこれ実験を繰り返している。それは「本来ならばきっと値段がつくはずもないコンテンツに、新しく、金銭的な価値をつけてみる」という試みだ。
「制約のある表現」は面白い。「あらかじめ限られた枠組み」の中で何ができるか考えるのは楽しい。私はたとえ「自由に表現していいですよ」と言われたって、自分で自分に勝手なルールを課して、そのルール内で表現してみることが、とても好きだ。そんな私にとって「note」は格好の遊び場だし、「アパートメント」もまた、真逆の意味で遊べる場なのではないかと思ったのだった。
すなわち、「本来ならばきっと値段がつくはずのコンテンツを、新しく、金銭的に無価値のものとしてみる」という試みである。
(つづく)