Gâteau:ガトー。お菓子。男性名詞。
《La princesse Néfertiabet devant son repas》,2590−2565 BC.
焼き菓子に手を伸ばすNéfertiabet王女。
古代エジプトでは、埋葬用の壁画に、死者の食事風景が描かれた。
こんなにも昔から、甘いものは人々の心を掴んでやまない。
この世で最も儚げなお菓子は、六花亭の「六花のつゆ」だと思う。
蓋を開けた瞬間目に入るのは、ボードゲームの駒のように整然と並んだ
六つの色だ。
透き通るような美しさ。2月の湖氷のように薄い、今にも割れそうな宝石たち。
表面がしゃりっとする膜がその内に抱いているのは、
ハスカップ、ワイン、ウィスキー、梅酒、コワントロー、ブランデー。
香り豊かなリキュール類。
口に含むと、ぱりん、と音なき音を立てて、一瞬のうちに消えてしまう。
喉を滑り落ちるかすかな余韻が、
今が総て、という刹那的人生観に、私を誘うのだ。
Les gâteaux à la française.
フランスのお菓子たちは、もっとたっぷりで、大胆だ。
Eclair:エクレア。男性名詞。éclairとは、稲妻の意。
あっという間に食べてしまうから、この名がついたとか。
パリ、マドレーヌ広場にあるFauchon本店は、毎年秋にあるエクレア週間に、モナリザ、北斎など、様々に賑やかなエクレアを出す。秋、ショーケース内はお祭のようになる。
お菓子の姿と名前は、案外素直に結びついている。
長方形のフィナンシェは、その姿が金塊に似ていることから、financier(=金融資本家)と名付けられた。
リング型のパリブレストは、1981年に自転車レース《Paris・Brest・Paris》の開催を記念して考案された。リングは、自転車の車輪の形だ。
王妃マリーアントワネットに関しては、例の台詞ばかりが有名になってしまった。
「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃないの」
この「お菓子」の正体は、ブリオッシュ。
言わずもがな、「パン」は小麦をこねた食事パン/バゲット。
しかしブリオッシュといえば、パンはパンでも、バターをふんだんに使ったパン。
勿論、平民たちが口にできる類のものではない。
日本に伝えるには、確かに「お菓子」と訳すのが妥当だったのかもしれない、それ程に、甘くて贅沢なパン。中の生地はバターと卵の黄色みが強く、外側はさらにバターを塗って艶を出すので、黄金色。
幼馴染みのお父さん秘伝のレシピは、そんなブリオッシュを使ったフレンチトースト。普通のフランスパンで作っても充分美味しいけれど、ブリオッシュを使うと、ほろほろと口の中でとろけるよう。朝から、たっぷりと栄養を摂った気持ちになる。
フレンチトーストは、フランス語でPain perdu。意味は「迷子のパン、失われたパン」ひたひたの牛乳&卵の中で、見えなくなるほどにしっとり浸かったパンを指して。
もとは、古くてカチカチになってしまったパンを有効活用するために考案されたレシピ。
(フェルメール「牛乳を注ぐ女」1657。牛乳と、卵と、硬くなったパンと。フレンチトーストを作っているに違いない。)
Chocolat:ショコラ。
カカオの実は、その発見時、真っ赤なことからcerise(読み:すりーず、意味:サクランボ)と呼ばれていた。遠い異国の香りのするもの。
毎年ヴェルサイユで行われるショコラの祭典《Salon du Chocolat》では、ショコラホリックとも呼べる、Club des Croqueurs de Chocolat−通称CCC、世界中のショコラを齧る人々—が集う。彼らが選ぶベストショコラの多くに、エキゾチズム感じさせるスパイスが使われている。カルダモンであったり、ワサビであったり。
これも、脈々と受け継がれるフランス人の異国趣味の現れかもしれない。
Jean-Auguste-Dominique Ingres 《La Grande Odalisque》, 1814.
Henri Matisse 《Odalisque au fauteuil noir》,1941.
森茉莉が「三つの嗜好品」のひとつに挙げるショコラ(彼女流にいえば、チョコレエト)。
生命を保持するための食物以外の、嗜好品。お酒や煙草と同じく、大人が嗜むものだ。
美しく苦い、贅沢なかたまり。味わう束の間、つい、人生を好きになってしまう。
ショコラは主役にも脇役にもなれる名役者。
まるで時を重ねた琥珀のように、カカオの風位を幾重にも凝縮させたショコラの粒は、食後酒のふくよかな香りを引き立てる。
日本コニャック協会会員、古屋敷幸孝さんは、「美の壺」で「ブランデーやウィスキーは長期間樽(たる)で熟成して作る芳醇な香りが特徴です。チョコレートの持つ苦みがお酒の香りを上手に引き立ててくれます。」と言っていた。
ショコラと言えば、Saint Valentin.バレンタイン。
フランスでは男性から女性へ贈り物をする日。
初めてもらったのは、小学校の低学年で、ゲランの香水。まさかの。笑
今思うと、8歳児チョイスにしては老けすぎているし、お母さんの化粧台から勝手に拝借してきたのでは...という気がしてならないのだけれど。
まだフランス語もろくに話せず、相手の意図も汲み取れなくて、
ひとまずもらうだけもらい、母に報告した。
「...あなたそれ、バレンタインじゃないの?」
指摘され、初めて、ぼうっと気がついた。
どうしようもなくあっけない、私の初バレンタイン@フランス。
逆に、初めてチョコレートをあげたのは、焼き芋屋さんだった。
帰国後、初めての2月14日。
寒さにひるみ、ベッドにうずくまっていたら、遠くから馴染みの声。
いてもたってもいられず、お財布とキッチンにあったキットカットを引っ掴んで、焼き芋を買いに走ったのだった。焼き芋屋のおじさんはキットカットにいたく感激したようで、
おまけにお芋を4本もくれた。まるまると太った、美味しいお芋だった。
その場でホワイトデー。
これが、お手軽すぎた私の初バレンタイン@日本。
Marc Chagall 《Anniversaire》,1915.
最愛の妻ベラと結婚した年の誕生日を描いた絵。恋の浮遊感たっぷり。
大学に入ってからのバレンタインは、もっと真面目に取り組んだけれども、私があまりにフランスナイズされたマインドで生きているので、性別問わず好きな人に好きなだけマカロンやチョコレートを贈り、また贈られる日となった。
丁寧にお茶を淹れて、二人で美味しくいただく日。
ショコラの艶やかさや、マカロンの愛らしい佇まいにも心奪われるけれども、
和菓子の細やかさからも目が離せない。
日本のお菓子は、季感と響き合っているところが素晴らしい。
フランスのショコラやマカロンは年中無休だけれども(あえていうなら、クリスマスにはクローヴやカルダモン、シナモンなどの香りを漂わせる)、
日本のお菓子は繊細に素早く、季節の風を先取りして、器に乗せる。
各々の季節の気配を、ひとつのお菓子にぎゅっと込めて。
恵比寿の山種美術館では、企画展の度に、内容&季節に合った和菓子をカフェ「椿」で出してくれる。目で楽しみ、香りを味わい、音を想像して、最後に舌でうっとりする、一大エンターテイメントだ。
前田青邨の《蓮台寺の松陰》(昭和42年)は、明治維新の精神的指導者・理論者、吉田松陰が行灯の下、本を机に置き日本の行く末を思索している姿を描いたもの。
この夏のカフェ椿では、「こころざし」という練り菓子を出していた。
「こころざし」は松陰が読んでいた書物を模した形で、シナモンの香りとほんのりとした甘みが口の中に広がった。お抹茶の渋みにもぴったり。
他にも速水御舟筆《炎舞》をイメージした「ほの穂」や、横山大観筆《作右衛門の家》を題材にした「青葉」など、いつも趣向をこらした和菓子が並ぶ。
お菓子は食べることもさることながら、作ることでも心が癒される。
家でつくるお菓子。
フランスにいたとき、学校から帰ると家には甘い香りが立ちこめていて。
毎日、母が焼いてくれたアップルケーキ、紅茶のシフォン、オレンジのクリームチーズクラフティ、レモンケーキ。
お客様の日は、栗のムース。マロンペースを生クリーム、ほんの少しのラム酒と合わせる。(ボウルに残ったクリームを指ですくって舐めるのが大好きだった。)
仕上げに板チョコレートをリボンのようにくるくると削って上にまぶすのが、私の仕事だった。
母がよく作っていたパンナコッタは、見よう見まねで私の十八番となり、パリの大学にいた頃は、キッチンに生クリームとバニラビーンズを常備していた。いつお客様が来ても大丈夫なように。
ソースは、季節のフルーツとお砂糖を軽く煮詰めて作る。苺が一番鮮やかで、透き通った赤がルビーのようで、評判がよかった。
フランスは乳製品がリーズナブルで、生クリームが500mlで1.8€(200円ちょっと)くらい。感動する安さ。バターも身近で、お菓子作りを愛する人種には、とても優しい国だ。
考えることをやめられないとき、無心になれる時間は大切。
立ち行かなくなったときに、友人と作った白鳥のシュークリーム。
材料を計って、手順に集中して、生地やクリームの色や香りの変化に細心の注意を払って、
雑念の一切を頭から追い出す。
自分の中の秩序を取り戻すための、時間。
私にとっての漫画の神様、大島弓子の作品に出てくるお菓子たちは、絶望の縁の女の子たちに、あたたかな光を示してくれる。
(心友宅の神棚。)
「あしたになったら、いままでにつくれなかったバナナブレッドのプディングをつくって教授達と食べよう。
いったいどんな味がすると思う?
甘い味
苦い味
とろけるような味
ウェップの味
複雑怪奇な味
完全の味
不完全の味
イタリアの味
フランスの味
アメリカの味
天国の味
地獄の味
死んだ国の味
生きた国の味
そうだわ
生きた国の味がいいわ」
(「バナナブレッドのプディング」より)
お菓子の時間は、
ため息ひとつ漏らすゆとりと、
迷いなく生きる勇気を、
取り戻させてくれるのだ。