あたしが星を見ることが好きになったのは、叔父である忠おじちゃんの影響だ。
母子家庭で、まだ小学生になったばかりのあたしは忠おじちゃんによく預かってもらっていた。あたしとママが住むアパートから歩いて10分くらいの距離に忠おじちゃんの家があり、仕事で遅くなるので、学校からそのまま寄るように言われていた。
最初は、ママが帰ってくるまで一人でお留守番する、と言って泣きわめきながら家中を走り回ったものだ。よっぽど嫌だったのか、突然図工用のはさみで前髪を眉毛の10cm上でばっさりと切ったこともあった。もちろんその時は、ママにこっぴどく叱られ、押入れの隅っこで丸くなって泣いていることもあった。ただ、しくしくとした泣き声がやみ、ふすまを開けるとすーすーと眠ってしまっていたそうだ。
ママは一人娘のあたしをとても可愛がってくれていると思っていた。
あたしが学校から帰ると、遠く、家の前で忠おじちゃんが立ち、胸元のあたりで手を振ってくれていた。横開きの扉を雑に開け、ガラガラガラっと強く音を立たせ家に入った。
玄関で靴をいたずらに脱ぎ捨て、台所兼食事をする部屋を出て、居間に入るなりランドセルを放り、マフラーをしたままこたつに直行した。テーブルにおいてあるみかんを思いっきりテレビに向かって投げ、なんだっていいじゃん!と叫んだ。
そんなあたしを見ても忠おじちゃんは何も言わず優しく、ご飯にしよっか、とだけいつも言ってくれた。
「今日学校でね、男の子ふたりになんで女なのにジーパン穿いてるんだよってからかわれたの。もうほんとにむかつく」
と、食卓に並んでいる鮭の塩焼きにいらいらをあてつけるように、箸でぐりぐりとしながらあたしは言った。背の高い椅子の下では、床に届かぬ足を強くぶらぶらとしていた。
あまり耳のよくない忠おじちゃんは、聞こえてるのかはわからないが、そうかいそうかい、と言ってきんぴらゴボウを一本ずつ口に運んでいた。
「学校なんてそんなやつばっかだからあたし嫌いなの」
「でも美術の時間はすき、特に絵を描く時間はとっても好き、あたしにしかわからない、あたしだけのあたしをそこにこっそりと描くのは楽しいの」
忠おじちゃんはあいづちの代わりにあたしを見てゆっくりと微笑んだ。たくさん皺の入った顔はくしゃっとなり、いらいらしていたことも忘れてしまう。
最近ママは忙しいらしく、もうしばらく迎えに来てくれていない、そういう日は忠おじちゃんの家に泊まることになっている。だんだんその回数が増えてきた頃、夜中何時頃かわからないが忠おじちゃんは必ずこっそりとどこかへ行ってしまう。はじめはトイレかなと思っていたのだが、にしては長い。確認したいと思ったこともあったが、真っ暗の中、外に出るのは怖かったのではばかられた。
香ばしいトーストの匂いで目が覚めた。マーガリンと苺ジャムで焼き上げたであろうそれはまさに朝食にふさわしいと思った。冷蔵庫から取り出した牛乳をあたためて一緒に飲み込み、歯を磨きながら教科書類をランドセルに詰め込んだ。真っ赤なランドセルをジャンプで背負い、ガラガラガラの音をあとに学校へ向かった。
その日学校へ電話があった。今日は夕方頃には家に帰れるからそのまま家に帰ってきて平気よ、と。その声を聞いたのは一ヶ月ぶりだった。懐かしくって優しい声。
あたしは嬉しくなり学校が終わるとかけだし、肩で息をしながら家のドアの前で座ってママを待った。いい子だね、と褒められたくて、寒さでかじかんだ指先を一生懸命動かし宿題を終わらせた。
しかし、23時を回ってもママは現れなかった。それどころか、寒さで体の震えが止まらなくなり、とてつもない倦怠感に襲われた。もうこのままどうなってもいいや、と思った。
遠のいていく意識の中、誰かに名前を呼ばれていたが、限界だったあたしは眠ってしまった。
次に目を覚ましたとき、あたしは忠おじちゃんの背中にいた。なんだか暖かいと思うと、厚手の上着とシャカシャカと音のするズボンを穿いていた。虚ろまなこであたりを見回すと広々とした草地があり、その周りをたくさんの木に囲まれた、森の奥というかんじがした。空には一つ一つはっきりと見えるくらいきれいな星が散りばめられ、初めて流れ星を見た。
そして、そこにぽつんとあるお墓におじちゃんがお酒をかけながら、訥々と何かを話していたが、再び眠ってしまった。
香ばしいトーストの匂いで目が覚めたとき、あたしは忠おじちゃんの家にいた。
体のだるさは抜けていて、急いで学校の身支度をした。家を出るとき
「今日の夜、星を見に行きたい」と言うと、忠おじちゃんはゆっくりと、笑顔で頷いた。
【おわり】
【 雨子の話 2 】
*本編の”あたしは帰路につく”とは関係のない雨子の話