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2F/当番ノート

けいこく。

当番ノート 第24期

ベッドから起きないと止められない位置にアラームを置いたのは昨日の僕だ。
三枚の衣服を重ね寝巻きにし、さらに羽毛布団二枚に包まれても十二月の八王子はとても寒く、もう一度目を瞑ればしばらく帰ってこれない。
AM8:00と表示されたスマートフォンを止め、我慢できずに暖房をつけた。
一人暮らしの朝に食べるものがあるほど、きっちりとした生活を送っていない僕はコップ一杯の水だけを飲んだ。東京のあまり美味しくない水道水にはもうすっかり慣れてしまった。

何もない平日は八王子よりも西へ行くことのほうが多く、今日は鳩ノ巣渓谷に行くことに決めていた。顔を洗い、歯を磨きながら、いつも同じような話をしている政治家をテレビ越で眺め、かばんには一眼レフカメラ(バッテリーとSDカードだけは三回確認し)と望遠と短焦点のレンズ、それと少し大きめの三脚を担いで。そして、上着のポケットにウォークマンを入れ、家を出た。風は強く、つめたいが、よく晴れた空だった。

平日の昼間の青梅線はお年寄りの方がちらほらいるくらいで若そうな乗客は僕くらいだった。車窓から見える奥多摩の自然と、向かいの窓からさす優しい光、それに加えてイヤホンから流れるPill-Ohは贅沢だなと思った。

最寄駅についてもやはり人はあまりいない。古い改札をくぐりながら地元の改札に似ていることを懐かしくおもい、思わず小声でいいなーこの感じ、と言った。それが駅員さんには聞こえたのか、目が合うと優しく微笑み、お気をつけて、と言ってくれた。
しばらく歩くと真っ赤なつり橋があり、そこから眺める渓谷はとてもゆったりとし、そこだけが別の時間を生きているように思えた。紅葉や新緑もなく、自分以外の人は誰もいない、ただ素のままの渓谷が鎮座している。それがなによりも良く、僕を幸福で満たした。

しかし、よく見ると川に近い側の大きな岩の端いっぱいのところに三脚を立て、遠くからでもわかるくらい大きなプロ使用のカメラで、何かを撮っているおじさんらしき人がいた。
なんだか執拗に気になり、そこへ行こうと、つり橋だけを慎重に渡り、足場の悪くなった土道をきちんと降りて行った。ごつごつした岩場は、内側に星のついたスニーカーではいくぶん痛かった。

驚いたことに、先ほどの場所に行ってみたがおじさんの姿はなかった。辺りに人影はなく、この数分間で山道の見えない部分まで行ったとは考えにくい。しばらく考えたけれど、見間違いということにし、おじさんのいた位置でなんとなく三脚を立て、カメラを覗いてみた。
すると、心底ぞくっとするくらい渓谷の良いカットが含まれた最高の構図だった。
そのままシャッターを切るためカメラを覗こうとすると、いやな感じがした。ふと、先ほどのつり橋を見やると、ここにいたはずのおじさんがこちらを見ていた。よく見ると何かを言っているようで、口をぱくぱくしていた。
気味が悪く思ったが気にせず、無我夢中でシャッターを切り、色んな設定で目の前の渓谷をめいいっぱいに感じていた。と、ちょうどその瞬間、つり橋の下から突き抜けるような強風に突然襲われ、岩場から5mはある川底に投げ出されそうになった。紙一重だった。その一瞬だけかばんから望遠のレンズを取り出そうと体を少し後ろに傾けていたことで避けられた。生きた心地がしなかった。

なんだか怖くなり、前だけを見て駅まで走った。つり橋がどんなに揺れようが、靴紐がほどけようがひたすら走った。駅までつき、振り返ってみるとおじさんの姿はなかったが、お気をつけて、といってくれた駅員さんの姿もなぜかなかった。

帰り、イヤホンはせず外の景色だけを見ていた。
八王子へ向かう電車が、やけに長く感じた。

cover
【おわり】

管理人の朝弘 佳央理さんからお誘いの連絡をいただいたとき、とても嬉しかった。
けれど同時に、ひどく不安になった。
「私はここで何を表現できるのだろうか」
自分の中でこれだというものが見つからなかった。
そんな時、朝弘さんの「もう木村さんの自由な部屋、ということになりますので、してみたいことを何でもしてみてください」という言葉は複雑に絡まっていた糸をすっと紐解いてくれた。

私の自由な部屋か、、、と思い今いる自分の部屋を見渡すと、CDや雑誌、もう着ないであろう古着の山、上手く弾けずいつも切れてしまう一弦のないままのギター、上を見れば天井から垂れ下がっている控えめな五本のドライフラワー、お世辞にもきれいとはいえない自分の部屋がそこにはあった。

「そっか、これでいいんだ」と思った。
何かに固執するのではなく私の嗜好で埋めてしまおう。
ものが少しくらい多くても、まったく違ったものが同じ部屋にあっても、何もないきれい過ぎる部屋より、外から覗いたとき面白いのかなって。写真があって、映像があって、ちょっとした文章があって、それらを無理にこじつけて交わらせなくてもいいんじゃないかなって思った。好きなものだけを乱雑に置いた部屋。
良くも悪くも、そんな気儘な部屋にしようと思います。

二ヶ月間の入居ですが、思い出したときにでも、ふらっと遊びにいらしてください。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
【 雨子の話 1 】

*本編の”けいこく。”とは関係のない雨子の話

Yuya Kimura

Yuya Kimura

1993年群馬県出身。少し濃い目の珈琲と文庫本。それと、写真。

Reviewed by
森 勇馬

いつも誰かの影を追いかけているような、または追いかけられている。
そんな気持ちになった時に僕のことを見ているのはまだ子供の頃の自分自身だった。
何か不安なことがあった時や心細い時、今でもあの頃と同じざわつきが心に満ちる。
いつもと変わらない景色の中に彼を見つけてしまった。
まるで世界が別物になってしまったのかのような瞬間がある。

真夏の夜の夢は儚いけれど初冬の白昼夢はなにを連れてくるのだろうか。

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