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2F/当番ノート

理想の僧侶像との出会い

当番ノート 第28期

お疲れ様です。
僧侶の鈴木秀彰(すずきひであき)です。

今回で第2回目。
前回は、なぜ「人の一生に関わるお寺」をテーマにして活動をはじめたのかについてお話させていただきました。簡単におさらいすると、これまでの葬式仏教のあり方に疑問を持ち、人が集い、学び、癒される場としてのお寺本来の役割に出会ったことがきっかけでした。

今回は、そんなお寺本来の役割を取り戻すべく活動を開始した僕が、なぜ「人の一生に寄り添う僧侶」というテーマに出会ったのかについて、お話を進めさせていただきます。

以前から僕は現在の葬式仏教に疑問を抱いていましたが、それが確信に変わり、次の行動につながったのは、ホスピス病棟で僧侶として働いた経験からでした。

僕はそれまで、僧侶と理学療法士、二足の草鞋で仕事をしてきました。その中でどちらも一つに交わる点はないかと模索していると、宗教家として医療と関わるホスピス病棟の存在を知ったのです。まだ当時、地元ではその分野における僧侶の活動はあまり着目されておらず、僕の経験が医療と仏道をつなぐ、生と死をつなぐ役割として重要ではないかと提案し、就職させていただくことになりました。

今まで僧侶として、人が亡くなってからの役割しか経験したことがなかった僕が、初めて人の死に往く場に携わることになったのです。

いざその道に進むと、僧侶として最初はほとんどなにもできませんでした。例えば、死に往く場で実際に僧侶として死を迎える人に話せる勇気や知識はなく、また実際に臨終の場でお経を唱えてほしいという人は少なく、僕が感じたものはただ目の前の出来事に流されていくその無力感。僧侶としてなにもできていない危機感やどこか失敗してはいけないという消極的な気持ち。あと初めての体験ばかりで不安と正直怖さもありました。

就職にあたり、臨終の場で僧侶として関わることへのどこか新しい道を開拓していくような気持ちでいっぱいのワクワク感はいざその場になると一歩が出ず、今思えば失敗してはいけない、うまくやらなくてはとの思いばかりで、結果的に何もできず無力感を感じるばかりでした。さらに感じたのは、自分の僧侶としての今の実力。本来は人を導く仕事でもある僧侶としての役割を全うできない今の自分。まさしく葬式仏教に染まっていた自分に気づきました。

そこで僕は、もっとホスピスで過ごしている人の思いにふれようと、行動をはじめました。すでにリハビリを必要としている方はもちろんのこと、医療スタッフが必要ないと判断したため、今まで僕が会っていなかった方の部屋にも積極的に訪れるようにしたのです。

また、僧侶としての実力をつけるべく、今一度真剣に仏教について、お釈迦様が、弘法大師がどんなことを大切にしていたのか、どんなことを伝えようとしていたのかについて学び始めました。

死に往く人の声を聞いてどんな関わり方をしたら良いのか、仏教を必要とする多くの人に正しく仏教を伝えるためにはどうすれば良いか。実践との学びの日々でした。

少しずつ訪問を繰り返していく中で、世間話などの何気ない会話の中から、ホスピスの人たちと関係性を結んでいくことができました。

「あのとき、リハビリをしてもらえてよかった」
「気持ちが落ち込んでいるときに声をかけてもらえて嬉しかった」
「来室して話を聞いてもらえて、いつも楽しみだった」
そんな言葉をかけてもらう経験をしました。

そのように信頼関係を結べた方の死を迎えたとき、最初に抱いた不安や無力感ではなく、「この人と関わることができた」という満足感を感じるようになりました。また、自然とその方になにかをしたい、またその周りにいる家族や友人などにも関わりたいという行動につながっていきました。気づいたら、いつしか僧侶というよりも一スタッフとして自然に関わっている僕がそこにはいました。

そのような経験をしていく中で、自分の存在意義は決して僧侶として関わることのみでなく、ただ何気ない世間話のできる関係をつくり、いつ死ぬかも知れない不安の中でいる方にとっての支えとなることだと知りました。その中で必要とあれば、僧侶として死への不安を取り除き、ときには法話であり読経をする。その実践の中で足りない部分については、仏教を学びなおす。そんな姿勢と行動がとれるようになりました。初めて法話を人の前でしたのもこの時期です。

僕は、人と出会っていろいろな経験をする実践の必要性、またその中で「自分はまだ足りない」と感じ、僧侶としての立ち位置を見つめなおすことの大切さに気付きました。

ではいかにそのような実践と学びを続けていくか。それは生きている方と積極的に関わり続けることのできる僧侶になることだ。

そう考えた僕は、「人の一生に寄り添う僧侶」になろうというテーマを掲げることにしたのです。

そんな僕は現在、週に2,3回、なにかしらのイベントを開催し、人の生と関わる場をつくっています。 内容は座談会、シェア会、ワークショップ、イベント出店そして1対1の対面でお話も聞く場など、さまざまです。

次回はなぜ多くのイベントを企画開催しているのか、そこからお話を進めていきます。

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合掌

鈴木 秀彰

鈴木 秀彰

僧侶。理学療法士。心理カウンセラー。
「人の一生に寄り添う僧侶」をテーマにいろいろやってます
仏教をどこか身近に、どこか面白いなって感じてもらえたら嬉しいです

Reviewed by
唐木 みゆ

鈴木 秀彰上人の「理想の僧侶像との出会い」によせて、


寄り添う、
個が個に寄り添うことは、生きていることの肯定感を増すとおもう。
それはときに恋愛だと手っ取り早く埋められるだろうな、なんて。

僧侶による寄り添う、は世話やきそのものというより
全的な、個ではない、個の輪郭を失った、他者や、無機物とも融けあう、
空気中に漂う、肯定かもしれないなと思う

ところで
愛の実践とはなんでしょう、
わたしは、絵かきなのですが、「絵が好きだから」とか「職業として」といったこと以前に
描く行為が、祈りなのではないかと思いました。
それを通して、食べ、眠り、お茶を注ぐことも描画になりました。
その行為は人によって違いますし、祈るために祈ることもあると思う。

お寺も、僧侶も、それらの日常は、その形は、実践としての顕れなのだと思います。
受け入れ、浸透する、実践についてです。



レビュー:唐木みゆ

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