空のダンボールはまだ5つ程残っている。大体の荷物は詰め終わったものの、細々としたものが残っている。ここからが長いのだ。
長い夜を前に、トムネコゴに挨拶にいった。日常からこの喫茶店がなくなったらどうなってしまうんだろう…と感傷にひたる私に、「メキシコにも『メキシコゴ」があるかもしれませんよ』とマスターは言った。唯一無二のものにしておきたい私の心とは裏腹に、マスターの方がさばさばしている。
「実はこのカフェは最初、神奈川の方に出したんですが、それを移転しようと思った時に、移転先をデンマークか三鷹にしようと考えていたんですよ。それでひょんなことから三鷹になったんですよ」
その「ひょんなこと」がなければ、私のこの町での日々はなかった。つくづく自分でコントロールできるものなんて、何もない。私が日常と呼んでいたものは、この町に暮らすと決めた人たちの背後にあった選択肢の掛け合わせでもある。
次は夫が良く通っていたバル。賑やかなテーブルの間を縫ってカウンターに辿りつくと、調理中のシェフが「今日はとっておき用意していますので、ちょっと待っていてくださいね」と言って、隣からバーテンダーさんがグラスを7つも出してきた。「これお店からです」。目の前に置かれたのは、スパークリングワインのボトルだった。
フロアもキッチンも忙しかったのにシェフは店員さん全員を集めて、グラスを配ってくれた。
「門出に乾杯!」
その瞬間、お店とお客さんの境界線がすっと消えた。ああ、この人たちも、この町の時間を一緒に過ごしてきた仲間なんだ。
からん、行ってらっしゃい、からん、待ってるから、からんからん。グラスの音と言葉が倍音みたいに響く。
みんなはそれをさっと飲むと、すぐにフロアやキッチンに戻っていく。今日も満席だ。そしていつものサラダが出てくる。今日はでたらめなくらいに大盛りで。
原稿の終わりが見えなくて青くなっていた夜も、アフリカへの長期出張でお肉しか食べるものがなくて口内炎をつくって帰国した時も、ビールを片手に幸せそうな彼の隣で、この野菜たちを食べて元気になってきた。
帰り道。いつもの橋の上で急にこみ上げてきた。最初にこの町に引っ越してきたとき、私たちは彼の一人暮らしの部屋にふたりで住んでいて「部屋は小さくても、公園が庭だから広くて最高に気持ちいいよね」と言い合っていた。
毎日、夜になると池にきちんと並んで眠る白鳥のボートたちを見て安心した。
夏は窓を開けて、虫や蛙の声に包まれて眠った。
庭だったから、色んなお気に入りのスポットがある。
あのベンチは橋を見たいときのベストスポット。蚊が多いけどね。
あのベンチは言葉が出てこないときに座った。背もたれに刻まれたプレートの言葉に背中を押されたんだ。
あのベンチは木陰の感じが抜群に素敵だけど、いまにも恋が始まりそうなカップルがだいたい座っている。
広い宇宙を感じたいときは、高くそびえる木々の中を。
隠れて泣きたいときは、雨を受けてきらめく葉の間を。
そうそう、あの木の枝。
隣の蔦が絡まって、ちょっとセクシーなところがいいんだ。
そんなことも知っているんだよ。
私は黒々と揺れる夜の森に向かって呟く。
この公園に戻ってくることはあるだろう。でも、暮らしている人と、訪ねてきた人の立ち位置は違う。こちらがどんなに「違わない」と思いたくても、場所と心の距離が変わってしまう。恋人であれば触れられるのに、別れてしまったら触れられないものがあるように。
さよなら。
今夜の私は、雨露に濡れる葉のひとつだ。