夜散歩することが本当に好き。
ざわざわと黒い大きな木が揺れるのに、すこし怖い思いをしたりすることも含めて。
昼間の散歩では埋めることのできない楽しさが、夜の散歩にはあると思う。
とりわけ都会の夜の散歩は楽しい。
私が特に好きなのは住宅街の散歩で、これは住宅の密集している都会ならではの面白さだと思っている。ねずみの気分で静まり返った住宅街を速足で歩く。時々感知センサーのスポットライトが反応してパッと光る。
私が夜型の人間だからかもしれないけど、住宅街を歩いていると灯りの消える時間の速さに驚く。12時を越えるとみんな寝てしまうのだろうか。その人たちの1日が終わったことを灯りの消えた窓から感じ取る。
そうしてまだじぶんの1日が終わっていないことに嬉しくなってしまう。だから夜は好きなんだ。
環七にかかる歩道橋の上でしばらく立ち止まることも止められない。
夜に流れる車はなんであんなにつやつやして見えるのだろう。水族館の水槽を眺めている時のように、うっとりしてしまう。
信号にせき止められて、再び流れ出す光を見飽きるまで見て登ったぶんだけ階段を下りていく。
散歩だけでは飽き足らない時、薄暗いバーのような場所でもなく、ファミレスのようにカラ明るい場所でもないとなると東京でもまだまだ探すのは簡単じゃない。とくに2時以降には、苦戦する。そんななかでも朝方までやっている雰囲気の健全な老舗のカフェがある。ここは昼でも夜中でも同じメニューが頼めるし、美味しい。私はここで注文する深夜のババロアが大好き。
ここでは珍しいことに店員さんが積極的にお客さんに話しかけてくる。
私はひとりで深夜に行くことが多いからだいたい本とかノートとかを持って居座るのだけど、本のタイトルや内容を聞かれることも数回あって、それが山田詠美の短編集だったりするとちょっと説明に困ってしまう。
ええっと、主人公が電信柱で、その電信柱の足元に咲くさくら草に恋をする話なんですけど…
という具合になかなかどうして、言葉にするとややこしい。
それでも深夜に誰かとお話できるのは素敵だから、なんとなく言いにくいところだけ端折って教えてあげたりする。
深夜、薄暗いところか蛍光灯の支配する空間しか選べないことこそ不健全で、こんなちょうどいいお店で朝まで過ごせたら夜更かしさえ心身にいいに違いない。
私みたいな夜の徘徊屋とふたり暮らしする彼は、やむを得なく私を放っておいてくれる。
止めてほしい、とか控えてほしい、なんて一度も言われていないのに私は何度でもふたり暮らしに向いていないのではと勝手に不安になる。もとい、一人に戻ることを想像して楽になりたがってしまう。
わたしは夜を取り上げられたくない。誰も奪おうなんて思ってもいないのに。それに、夜は逃げこむような場所じゃない。
結婚していたってひとりひとりとして生きていけるよ、出来るところまでやってみようよ、と繰り返し話してくれる彼の言葉が夜空に散らばって、その下をぐるぐると散歩する私がいる。どこの空の下にいてもその言葉は一番明るい星のように確認できる。それだのに、その言葉がどこか諦めに近いような乾きをもっているとして、私は安心するべきなのか淋しがるべきなのかを迷ってしまう。
支えることも支えられることも、考え出すとなんて難しいんだろう。干渉することも放っておくのもパワーがいることなんだろう。私はまだ想像上のものとしてしか結婚生活を掴まえられていない。
駄々をこねてあれは嫌だ、これも嫌だと夜を渡り歩くのは夜の暗さに甘えすぎているようで心許ない。夜の散歩はそんな私にも優しく1日のピリオドを打ってくれるけれど、地続きの明日のことまではもちろん面倒を見てくれない。
それならせめて、後ろめたくない夜の歩き方をしよう。
どちらにしたって私は後悔なんか、できっこないんだ。
*
夜。
周りの暗さを吸い込むみたいに光って見える公園通りの外灯や、走っている車がタクシーばかリなこと。
何度か言葉を交わしたカフェの女の子だけが見知った人で、あとはみんな影のように名のない人に見えること。きっと私もそう見えていると考えることのまっ白さ。
それは昼間には微細すぎて零れ落ちてしまいそうな一瞬の感傷と本音がそろそろと言葉をもつ時間。
実際の私はとても歪で、いろんな都合やタイミングと心境で「本音」が玉虫色に変わってしまう。誠実でいなくちゃ続けられない関係のもつ緊張感と、好きな人には好きと言わなくちゃ爆発してしまいそうな切迫感とで細胞分裂を起こしかける私を、なんとかひとつの姿に押し込んでいる。
ただ、あなたも私も、自分以外のものにはなれない。
なあんにもブルーなことなんてないのだ、本当は。
形ばかりに気を取られているのは私のほうだと知っている。私は、わたし自身の夢に従って生きているから、結婚生活を中心に何かを決めることや止めることはできない。それでも一緒に居られるかどうかを今すぐに諦めることだって、ない。
失うものがあるとしたらそれも含めて私の引き受けるものでしょう。譲れないと思うことを押し通すからには相手の心の琴線に触れるものをいつかは手渡せるように、凛とじぶんの人生の仕事していかなくちゃ。許されるためにでは、きっとないよ。
「ほんとうに、夜型ですね」と女の子の爽やかな声がする。いつもの深夜のババロアと、今夜は誰も傷つかないお話を携えて過ごす。
いつか昼も夜もない交ぜになる日がくるなら、その時をよく生きるための夜を今は歩きたい。
ぐるぐる、ぐるぐる
ひとりでも、ふたりだとしても。