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2F/当番ノート

留学のすゝめ

当番ノート 第30期

皆様こんにちは。HALです。いかがお過ごしでしょうか。投稿もいよいよ今回を入れて残るところ後二回となりました。いざ始めてみると2ヶ月ってあっという間ですね!あっという間といえば、今日宅配ピザを注文したのですが、あっという間に持ってきてくれました。ここポズナンで何度か色々なピザ屋さんに宅配注文したのですが、どこも結構早いです。そして、宅配代が安いです。お店で注文する値段に加えて日本円で100−150円くらいの配達料で持ってきてくれますからけっこういいですね!僕のオススメの店はここ、Frontiera。とにかく美味しいピザか食べたいならここに行けば長井秀和です!そしてここもおすすめです!メガサイズを注文すると、円卓テーブル並みのサイズでピザが出てきます。店の雰囲気もいかついです。店員は全員墨が入ってます。社員証みたいな感じですね。その中でもボス的な存在の女性店員は、腕全部墨が入ってます。機嫌が悪いとお釣りとレシートを投げ渡してきて少々おっかないですが、もう慣れました。

もうポズナンに住み始めて大体一年半になります。最初は家を探すところから始まって色々大変なこともありましたが、今ではすっかりこの街の生活に慣れました。住めば都とは言いますが、実際にそんな感じです。例えば、電車や飛行機でポズナンから別の街や他の国に旅行して帰ってきて、車窓からポズナンの街並みが見えた時のなんともいえない安堵感というものが感じられるレベルになりました。自分でもびっくりです。

ということで、ポズナン芸術大学で勉強を始めてもう一年と半年が過ぎたということですね。こちらは大学の本館正面です。

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自分の中では客観的にみると結構な時間を過ごしたなと思うわけですが、未だに新鮮な気持ちで大学で勉強することができて満足しています。色々と日本の大学とシステム的な問題であったり考え方の違いであったりと慣れるまでに四苦八苦してしまった点も多くありましたが、それはそれとしても、この大学をとても気に入っています。もしアートの大学に留学を考えている方がいらっしゃいましたら、素直にお勧めできますよ(笑)。こちらも大学の構内です。

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ポズナン芸術大学を入れると私は今まで計4つの大学に関わったわけですが(別に大学マニアではないです、、、)、それだけ色々行っていると大学という機関の色々な側面が見えてきたりします。大学というところにそもそも何を求めることができるのか、どうして行ったほうがいいのかなどなどといったことですね。もちろん、大学に行く理由というのは人それぞれではあるのですが、でもせっかく行くからにはそこで得られる利点を最大限活用したほうがいいと思います。

日本では学部時代に社会科学を専攻し、修士課程では別の大学で社会理工を専攻していました。どちらも「社会」というキーワードがついていますから、何かとても社会問題に興味がある人なんだと思われがちですが(笑)、必ずしもそんなことはありませんでした。社会科学にいるときは最初社会学や哲学の古典に興味を持って勉強していましたし、次第にその興味は芸術理論や芸術哲学といった方面にも広がっていきました。修士課程では、芸術理論と心理学をミックスしながら「何か」(笑)をやろうとしていたのですが、紆余曲折をへて最終的には日本と西洋の彫刻理論の比較研究のようなことをやりました。

よく周りからは興味がコロコロ変わってついていけないよ、なんて言われたりしたのですが、多分、私の興味というものは大学という機関で勉強を始めてから、あるいはその前から今日に至るまでなんら変わっていないのだと思います。ただ長い間色々な知識を増やしたり経験を重ねることによって、「何かを感じるぞ」という興味というものがより立体的に自分の中で具体化していったのだと思います。自分の感覚的なイメージを文章に起こしてみたり、作品化してみたりすることで、自分の中で混沌として煮えたぎっていたものがより明らかになってきたのだと思います。だから、私にとって言葉を獲得すること、知識や技術を得ることは夜の空に星座を作っていくようなそんな感じです。今まで星の海としか見えなかったものが具体的な意味を帯びる瞬間を目撃するようなそんな感じ。そんな過程の中で、作品を作りたい欲求というものが定期的に噴火する活火山のように自分の中で湧き上がってきました。いつか作品と理論を融合して大学という空間で提示できないかなとも思うようになりました。

ただもちろんこれは問題ですね(笑)。日本で様々な大学に在籍していた期間ずうううううっと感じでいたフラストレーションがあって、それは自分の中で見えてくる様々なアイディアを大学内で学問としてやりたかったのですが、その持って行き場がどこにもなかったのです。例えばいつもこんなやり取りにがっかりさせられることがおおかった。芸術理論や哲学のアイディアをまとめてアートの現場大学に持っていくと、「君、ちょっと何言ってんのかよくわかんないけど、理屈はいいからとにかく作品を見せなさい」と言われる。それならばアート理論を扱う大学で、自分のコンセプトに沿って制作した作品を見せるともっと話しが通じるのかと思えば、「作品に関してはよくわからんが、まあそういうコンセプトは面白いんじゃないか」という結果になるのです。もちろん大学にはそれぞれの専門性というものがあるのでそこに文句は言えないのですが、自分のアイディアが様々な領域にまたがる複合的なものになってしまうと、特に、論文単品ではなく作品と論文というバリューセットになってしまうとそのアウトプットを結局どこに持っていけばいいのかわからなくなってしまうのです。これは長年の真剣な悩みでした。

一般的な大学においても芸術大学においても同様に、満足とか展望とかが五里霧中なのです。もちろん、大学という研究機関それ自体は膨大な知識の図書館であり、その知識のアクティブな実験場であるはずだと思っていますが、その反面、いつもその空間における自分のポジションについて考えると、何かあまりにも自分自身がミスフィッツ感甚だしく言いようのない不安に苛まれることが多かった。「研究とは、アートとは、孤独なものだ」とか、「学生時代にはあえて孤独を感じて強くなれ」など、いろいろその状況を正当化してくれそうな、なんともあたたかい言葉もありますが、そんな達観した仙人みたいな言葉はあと50年もしないと自分の中で発酵しないでしょう。

だから、つまり端的にいうと今まで過ごしてきた日本の大学機関における学生に対する許容力に満足いった試しがなかったのです。もちろん、大学へは大学が提供する専門性を享受するために行くわけですし、研究方法や論文執筆と発表のテニヲハはしっかりあってそれを学問と呼ぶのかもしれません。全ては既存の規定に沿って行われるべきなのです。ただ、それとは別の+α、あるいは必ずしもそこに収まりきらない人の発想というものをすくい取ってくれるような何かがあってもいいのではないか、とも思うのです。別に研究テーマややりたいことがクレイジーでもいいのです。もしその学生が真面目に何かテーマを考えているのであれば、それを実現へと導くサポートをしてあげる。もし言葉や技術足らずなら言葉を知識として与えてあげる。そんな側面があってもいいのかな、と思います。もちろん、何か学生のアイディアに応えようとする企画もあると思いますしその点を否定しているわけではありません。しかし、それはあんまり学問というカテゴリーの中では真剣に扱ってもらえないわけですね。多分。

この一点において、つまり、いかに自分のアイディアを表現しそれを具体化するか、このことの自由が大きく保証されているという点において私はポズナン芸術大学に来てよかったなぁと思っています。かなり強く。もちろん自分にとってマイナスな面もあると思いますが、とにかく今はこの表現の自由という点に話を絞っておりますのであしからず。前回の投稿でも少しお話ししましたが、学生は、知識的、技術的なレクチャーとは別に、自分のプロジェクトというものを1年生の時期から複数持ち、それを年間の課題として、あるいは学部や修士在籍期間の課題として課されるのです。このようなスタイルに最初は慣れていませんでしたので、授業時間に最初研究室に入って先生が一人座っていて、「さあ、あなたのアイディアを聴かせてください」と突然言われた時には、「????」となりましたが、今では私にとって自分がこの大学で過ごす上で何よりも大事な時間となっております。

すごく面白いポイントは、学生のアイディアがどんなに突拍子ないものでも、あるいは馬鹿げてさえ聞こえるものであったとしても、先生たちは否定から話を始めないということです。それどころか、「そんなの聞いたこともない話じゃないか、面白い」と返すのです。それから「じゃあ実現のためにどんなヴィジョンをお持ちかな?」と話が進むのです。一週間の半分はこのような問答の繰り返しですので、次第に慣れてくると、そもそもプロジェクトを設定してそのプロセスとゴールを組み立てて行くことがどういうことなのか感覚的にわかってきます。そして何よりも素晴らしいことは、それぞれの先生が単にアーティスト教員であるだけではなく、様々な分野に関する造詣が大変深く、自分が期待した以上のリアクションをくれることです。これによって自分のイメージはより活性化するのです。そして、一つのプロジェクトは、単に一人の先生との間でのみ実行されるのではなく、様々な先生のそれぞれの強みに関わりながら進めて行くことができるので、全体像、そして使える知識やツールはより複合的に豊かになります。

もちろん、自由に表現するということは、自分が作るもの、自分のプロジェクトに責任を持つということでもあります。それはちょっとした気の迷いからなんかかっこいいことを言ってみたというのとは違います。自分の世界観は何よりもまず自分自身によって守られなければなりません。そしてそのための力を身につける必要があるのです。ただそのようにすることで、自分の精神的物理的自由はより拡張されるのです。この一点においてだけでも、私はこのポズナン芸術大学をお勧めできると思います。

別にここで言いたいのは、日本での大学生活とポズナンでの大学生活を比較しながら前者について悪く言いたいということではありません。もちろん、日本の大学にも素晴らしい側面は多くあると思います。ただ、大学に行って、いろんな講義に刺激を受け、多くの本やワークショップにインスピレーションを感じ、様々な経験を積み重ねる中で、自分の学問的ビジョンはある意味で、一般的な学問領域という形からはみ出してしまうことは多々あるのではないでしょうか。少なくとも私の周りで、何をしたらいいのかわからないというのではなく、アイディアはあるがどうしたらいいのかわからないという学生が何人もいました。そして、そのような学生であってもできるだけ、方向性を見出せるような、そんな機会が大学内に多くあるほうがいいと思うのです。ここで、「そんな話はアートの大学だからこそ好き勝手にできることであって、一般の大学と一緒くたにするな!」と反論が飛んできそうですが、確かにそうかもしれません。しかし、どんな大学であっても、アートの社会的有用性はまことしやかに論じるでしょう。それは誰しもが認めるところです。しかし、そのアートという意味、そしてその活動それ自体のコアはなんでしょうか?そしてそのコアは単に外観されるためだけに存在するのでしょうか。もしそうであればそれは大変窮屈ですね。

あくまで私の理想ですが、大学機関には、様々な基礎的あるいは発展的知識や技術を提供してほしい。そして、それらの複合的なツールを持っていかに自分の自由なプロジェクトを作り上げるかということをしっかりとサポートしてほしいと思います。学生は濡れた粘土みたいなものだと思います。しっかりした型にはめてあげるとそのあと固まっていいツールになると思います。ただ、もっとユニークなあるいはわけのわからない形にもなる可能性がありますね。ただ、そのぶん弱い存在でありますので、どうか、型からはみ出した可能性を大学の外部へと叩き出さないでほしいなとも思うわけです。そのような大学があるのかどうかは知りませんが、こう言うと、多分多くの大学が、うちでは多様性を重視し学生の自由な活動を、、、と、断言されると思います。

「ええええぇぇ?まじかよ?納得できねぇぇえ!!!」

と感じる方がいらっしゃいましたら、ぜひどこか別の大学に留学してみることをお勧めします。国や地域が変わると、そもそもそこの研究機関で保持されている研究機関自体のヴィジョンがまるで違うと思いました。ということはカリキュラムも違ってきますし、教員自体のもつ発想も違ってきます。学生の意識のベクトルも当然ながら違ってくるのです。本当に違うんです。今日は、大学について色々考えていることについてお話ししました、それでは次回が最終回となりますがよろしくお願いいたします。

HAL

HAL

HAL

アーティスト
ポーランド、ポズナン在住
現在は映像作品を中心に作品制作を行っています。
2015年からポズナン芸術大学に籍を置いています。

Reviewed by
美奈子

HALさんの連載も残り2回となりました。今回は、アートという文脈の中の大学についてのお話ですが、学生の方だけでなく、創造的な学びの有り様について考えたい全ての方に読んでいただきたいです。何かを生み出していく際の、参考になると思います。

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