月曜日から東京に来ている。
今年東京に来るのは、2ヶ月ぶりで2度目。
鹿児島に引っ越してからも東京を訪れる機会は多くて、最近の方が頻度と滞在期間が増えている気さえする。
でも、何かしら用があるから行く訳で、打合せやイベント出店、あと結婚式やどこかへ行くときの寄り道か。
大学生の頃も、東京にはよく遊びに行っていた。
建築系やデザイン系の雑誌に「良い」として掲載されたものや、東京の「今」を自分の目で見て確かめるために。
昔の建造物から最近のそれ、美術館などでの展示、イベント、流行や話題の店、様々な場所に足を運んだ。
名古屋で生まれ育ち、名古屋で建築やデザインを学んでいたからこそ、東京に追いつこう追いつこうとしていたんだと思う。
できるだけ多くのものを吸収して、咀嚼して、取り入れて、自分の肥やしにしたかった。
その頃は、「東京の友達」というのはいなかった。
今でこそ、ゲストハウスやホステルに滞在することも多いけれど、
当時は、寝室やトイレ、シャワールームが共同なんて無理でビジネスホテルに泊まり、行きたい場所をただただ巡っていた。
閉館の決まった赤プリに、建築的にも価値があるという理由で1人で泊まったこともあった。(しかも12月に)
大体が一人旅で、「おー、すげー」「やっぱり洒落てるなー」なんて、独り言を言いながらただただ巡る。
当時はSNSもそこまで活発ではなかったし、情報という情報を全て自分の中に取り込むことになるから、名古屋に帰る頃にはもうへとへと。帰ってきたときの印象は決まって「なんて名古屋はダサいんだ」と、自宅に帰る電車の中でいつも肩を落としていた。
ずっと、東京を憧れと羨望の眼差しで見ていた。
そんな風に学生生活を過ごしてきたのだけれど、会社員になると何故か東京への憧れは薄れていて、
遊びに行くことはあっても、学生のときのように「東京ってやっぱりすごい!」みたいな感覚は無くなっていた。
以前の記事にも書いたように、長野、鹿児島、鳥取、香川、金沢、栃木、新潟などに足を運ぶようになり、徐々に地方へと興味が移っていった。
それが、ひょんなことから、東京の友人ができた。
まだ僕がサラリーマンだった頃、出張で東京ビックサイトで行われた展示会に行った際、
設計デザインをしていた大学時代の先輩(といっても違う大学ではあるが)の現場にも遊びに行ったのだ。
その現場が、Backpackers Japanのホステル2号店「Nui. hostel&Barlounge」だった。
同い年の子達が自ら会社を立ち上げて事業を行っているのは衝撃だったし、しかも2店舗目だなんて東京の凄さを見せつけられた気がした。
運営スタッフの中に中学生時代の同級生の友人がいたこともあって、俄然親近感が湧いたのを覚えている。
中でも広報とデザイン部分を担当している石崎くんとは、何だかすぐに打ち解けて仲良くなった。
地方も都会も一緒で、友達や知り合いができると途端に、今までの「一人旅」が「人を訪ねる旅」に変わる。
別の目的でその場所を訪れても「折角ここまで来たんだし会おうよ」てな具合に。
そうしたら、東京が「憧れのある街」ではなく「友達の住む街」になり、一気に距離が縮まった。
1人でも友人ができると、よく利用するお店や泊まるホステル、友人の友人に会うことで交友関係が数珠繋ぎに広がっていく。人口密度の高い東京だからこそ、他では考えられないスピードで知り合いが増えていく。そこからまた、よく会う知人から友人へと変わっていく。
そんな風に20代を過ごし30歳を迎えたタイミングで、改めて東京に出たくなった。
東京でも勝負したくなった、いや、それは体の良い理由で、ただ不安が無くなったのだと思う。
それもこれも、東京でたくさんの友人ができたからだ。
それまでは、学生時代や会社のツテも何も無い東京に一人っきりで出てくる事に対して、臆病になって不安になっていたのだ。安易すぎるかもしれないが、周りに同じように頑張っている友人がいるだけで、なんだか僕もやっていけるような気がする。でも、それってすごく大事なことなんだ。
中学や高校のときは、友達って何だろう、親友って何だろう、君と僕とは親友なの?僕は君の事を親友と思ってるけど、君はどう?なんて、野暮なことを考えたりしたこともあったけれど、そんなのやっぱりどうでもいい。
月に1度、半年に1度、1年に1度、3年に1度、10年に1度。
近くに住んでいたって遠くに住んでいたって、大人になったら会う頻度というか会える頻度も変わってくる。
みんな自分の人生を生きてる。会いたいときに会えないこともある、そりゃそういうこともある。
いいんだ。
僕が君のことを好きならそれでいい。
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写真:4号店のCITANのプレオープンにて