妻に草間彌生展に誘われました。
草間彌生展なんて、ミーハーなやつらがデートするか美術かじった難しい顔してるやつらでどうせ溢れてて、パシャパシャ写真撮りまくってるだけなんだろ!
自分は集中力も無いし、興味もないし、とうんたらかんたら言ってたら、
心が荒んでいると心が狭くなるらしいよ、と妻に諭され首を掴まれた犬状態で六本木へ。
さて、芸術やアートの事は歴史も鑑賞方法も全く分からないし、そもそも草間彌生さんは名前しか知らないレベルなので、村上隆さんの芸術企業論で言えば日本的な感動しか出来ない典型的な日本的な人=僕なのです。
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村上隆さん、「芸術企業論」より
欧米では、芸術にいわゆる日本的な曖昧な「色が綺麗」的感動は求められていません。
知的な「しかけ」や「ゲーム」をたのしむというのが、芸術にたいする基本的な姿勢なのです。
欧米で芸術作品を制作する上での不文律は、「作品を通して、世界芸術史での文脈をつくること」です。
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そんな僕が先制パンチされたのが草間彌生さんからのメッセージ。
入口付近の壁に掛けられたメッセージボードの最後の方に「魂が尽きるまで絵を描き続ける」と添えられていました。
魂が尽きるまで。
使われがちな表現なのに見過ごせない凄みを感じたのです。
首を後ろからチョップされて目が見開いた感覚です。
いよいよ展覧場で作品を見た時、何か迫ってくるものがあり、始まったのは自分との対話。
とにかく自分の心の底を見よう見ようと思って潜って行く感覚を味わったのです。
目の前の絵と心を通じあわせたくなったのです。
大きな空間にたくさんの人、だけど一瞬何も聞こえないしひとりぼっちになった静寂の感覚。
不思議な体験でした。
結局作品の事や芸術の事は良く分からず、日本的な感動はしっかり感じつつ帰って来たのですが、あの一瞬のおかけげで、(冒頭の)心が荒んでいた感覚が無くなったような気持ちになったのです。
芸術やアートが好きなそう人が余裕ありそうに見えるのはこういうことだったのか・・・
と、また1つ自分の底の浅さに気が付きつつ、
妻に諭されて行った割には十分楽しんで帰ってきたのでした。