「地獄寺」―あの世とこの世の境界にある、人間の本音が隠れている場所―
◆地獄めぐり day 3
地獄めぐり3日目は、昨晩宿泊したチャチューンサオ県にある寺院へ。寺院の名前はワット・チョムポートヤーラームといい、市内からバイクタクシーで5分ほどの近場にある寺院だ。前情報によるとここには朽ちかけの地獄があるとのことだが、いくら歩き回っても一向に見つからない。仕方がないので近くにいた僧侶に「この寺院に地獄はありますか?」と写真を見せながら尋ねた。すると「数年前になくなったよ」という答えが返ってきた。
地獄めぐりをしているとこういうことがたまにある。地獄をつくったはいいが、屋外にあるので雨風による劣化は避けられない。観光客が訪れないような寺院ではお布施が満足に集まらず、修復などがされず地獄はそのまま朽ちていってしまうのだ。残念だがこれはどうしようもない。
落胆していると、住職が「絵ならあるよ」と教えてくれた。住職に案内され別のお堂に入ると、目の前に祭壇のようなものが見え、その基壇部分に何やら絵が描いてある。近づいてみると、何とも味のある地獄絵が描かれていた。
この骨とも肉ともいえない愛らしい亡者。オレンジ色の背景や血飛沫の表現も素晴らしい。
数あるタイの寺院の中には、コンクリート像を用いて地獄をあらわしている「地獄寺」が存在することは前回綴った。そもそも、この「立体地獄」が出現しはじめたのは、約50年前のことである。それから全国的に流行を見せ、ここ40年間のうちにそのほとんどがつくられた。つまり、比較的新しい表現なのである。
また、地獄が立体表現としてあらわされる以前は、寺院の壁画などに描かれていた。こんな感じである。
なので今回訪れたワット・チョムポートヤーラームのように、平面に地獄を描くことはタイの寺院ではさほど珍しいものではない。
ただ、描かれている場所に驚いた。
先に祭壇のような場所といった場所をよく見てみると、何やら四角い穴が開いている。横には温度を調節する機械やハンドルなどが取り付けられている。
そう、ここは火葬場だったのである。
これは貴重な機会だと思い、僧侶に許可をとった上で中を見せてもらう。遺体がここで焼かれるのだと思うと、何とも言えない気持ちになった。最後は念入りに手を合わせ、その場をあとにした。
◆地獄めぐり day 4
舞台は少し北上し、バンコクから3時間ほどの場所にあるスパンブリー県へ。この県には多くの地獄寺があるが、この日の目的地は県のはずれにあるワット・ガープブアという寺院だ。
トゥクトゥクに揺られること約2時間、ワット・ガープブアに辿り着く。少し歩くと、何やら怪しげなドームを発見した。
真ん中の像を見る限り、どうやらここはヤマ王宮であるらしい。ヤマ王とは前回綴った通り「閻魔さま」のことである。左右には入り口のようなものが見え、入り口には中を指さす骸骨がいた。脇には「おめでとう」と書いてある。全くおめでたくない。
穴あらば入らんと入ってみると、廃墟のように荒れ果てた、真っ暗な空間が現れた。壁にはつくりかけなのか壊れたのかわからないが、コンクリート像の土台のようなものが幾体も立てかけられている。
少し進んでみると、入り口の付近に何やら髪の毛の塊のようなものが浮いている。さすがに怖いと感じたが、地獄研究家の名に懸けておそるおそる近づいてみた。
(ギョッ……!!!!!)
内臓がむき出しの亡者が現れた。これではまるでオバケ屋敷である。
地獄寺ではこのように、いわゆる「オバケ」を見かけることがある。タイは仏教国であるが、土着の精霊信仰も併存して深く根付いているという現状がその要因である。タイの精霊は「ピー」と呼ばれ、先祖の霊から守護霊、悪霊、幽霊、妖怪のようなものまで幅広くカバーしている言葉である。タイ人はこのピーが大好きで、何かとピーの話を振ってくることが多い。現代では、このピーはホラー漫画や映画などで時に恐ろしく、時に笑いを誘う存在として機能している。地獄寺がテーマパークと呼ばれる由縁も、このピーによるところが大きいだろう。
◆地獄めぐり day 5
この日は、鉄道で有名な観光地カンチャナブリー県へ。県のはずれに地獄があると聞き、またもトゥクトゥクで2時間ほど揺られながら、目的地のワット・スラロンルアに到着した。
ワット・スラロンルアの「ルア」は船という意味で、その名の通り寺院には大きな船型の建物があった。
中に入ってみると、壁一面に奇妙な絵が描いてある。どうやらタイのことわざをあらわしたものらしい。
別のお堂にも、一風変わった壁画が描かれていた。
(これは前回紹介した眼人間!!!!!)
前回突如として現れ脳裏に焼き付いた眼人間が別の寺院でも見られた。しかも耳人間もセットだ。本当に何なんだこいつらは…
本堂へ向かうと、入り口にはチェーンのカーテンが懸けられていた。中をのぞいてみると真っ青な空間が現れ、右側にはおなじみの巨大餓鬼が立っている。
真っ青な壁には、リアルな猛獣が描かれていた。これは地獄なのだろうか。
地下へと続く階段を降りると、先の真っ青な空間とは対照的な、真っ赤な照明に照らされた空間に出た。
この空間には壁一面に地獄絵が描かれていたが、中には西洋の死神のようなものや中華風の人物も描かれていた。地獄でも異文化交流が行われているらしい。
本堂を出ると、待ってもらっていたトゥクトゥクの運転手が「あっちにも地獄があるよ!」と言うので言われるがまま向かった。すると、前情報ではキャッチできなかった真新しい地獄が目に入った。
至るところに筋骨隆々のイケメン獄卒が立ち並んでいる…暑さのせいもありギラギラと眩しく見えた。ちなみに獄卒とは、地獄で亡者に責め苦を与える者のことである。
中にはまだ色が塗られていない像もあった。これはこれで趣きがあるが、完成が楽しみである。
しかし、近くの木のそばには朽ちて撤去された地獄の亡者も見受けられた。地獄にも諸行無常の響きあり、である。
◆地獄めぐり day 6
この日はスパンブリー県にある地獄を2か所訪問。1か所目は、ワット・グラジョームという寺院だ。バイクタクシーの後ろにまたがること30分、目的地に到着した。
この寺院にあるのは巨大餓鬼2体という小規模な地獄寺だが、いつものように念入りに写真を撮る。
すると、突然頭上からボトッと何かが落ちてきた。びっくりして落ちてきたものを見てみると、鳥のヒナであった。どうやら巨大餓鬼の上に巣をつくっていたらしい。地獄に巣をつくるとは、鳥も怖いもの知らずである。
それより、このヒナはまだ息をしている。助けたいと思い抱き上げたが、頭上の巣ははるかに高く、到底届きそうにない。どうすればいいかわからず、バイクタクシーの運転手に相談した。彼は真剣に考えてくれたが、やはり巣へ帰すのは無理だということになり、なす術もなく落ちた場所にヒナを戻すこととなった。自然の掟は厳しく、時には人間には介入できないものであると実感した。
ワット・グラジョームでの調査を終え、次の目的地ワット・ムアンへ向かう。ここには地獄の壁画があると聞いていた。到着すると、お堂の入り口上部にすぐに見つけることができた。
壁画にみられる地獄表現は寺院によってさまざまであるが、ワット・ムアンの壁画は比較的古いもので、タイに伝統的な表現様式を残していた。例えば、キョロキョロとした表情の人頭が敷き詰められた地獄釜や、大きな蛆虫に喰われている亡者などがそれにあたる。
近くにいた僧侶に研究の旨を伝えると、閉まっていたお堂の中に特別に入れてくれた。久々に日の目に見たような少しカビ臭いお堂に入ると、なんとここにも地獄が描かれていた。
日に当たっていないせいか、保存状態もなかなかよかった。これまで朽ちていく地獄をいくつか紹介したが、中には残り続けている地獄もあるのだ。
朽ちていく地獄と生まれゆく地獄、そして残り続けている地獄。仏教が今もなお生き続けているタイだからこそ、その現状もめまぐるしく変わっていく。同じ地獄がいつまでもそこにあるとは限らないのである。
タイの地獄めぐり③ ―さまざまな地獄のかたち― へ続く。