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2F/当番ノート

タイの地獄めぐり③ ―さまざまな地獄のかたち―

当番ノート 第35期

「地獄寺」―あの世とこの世の境界にある、人間の本音が隠れている場所―

◆地獄めぐり day 7

 地獄めぐりをはじめて1週間が経った。この日はシンブリー県にある地獄寺、ワット・ピクントーンへ。この寺院には比較的珍しい「浮彫」タイプの地獄絵があるという。シンブリー市街地からバイクタクシーで30分、巨大仏の見える寺院に到着した。

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この大仏の台座部分は回廊になっていて、そのまわりをぐるっと地獄極楽の絵が取り巻いている。

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回廊の半分は地獄絵で占められており、その内容は第1地獄~第8地獄、そして五戒となっている。仏教における地獄は8階建てマンションのような構造となっており、下階にいくほど罪が重い者が堕ちるとされる。どの罪を犯すとどの地獄へ堕ちる、ということは以下のように詳細に決まっているのだ。ちなみに「ナロック」はタイ語で地獄の意。もともとはサンスクリット語であり、「奈落」の語源でもある。

第1地獄 サンヤシーワ・ナロック=等活地獄 
  …殺生(生き物を殺す)
第2地獄 カーラスッタ・ナロック=黒縄地獄 
  …上記+偸盗(盗みをする)
第3地獄 サンカータ・ナロック=衆合地獄 
  …上記+邪淫(浮気をする)
第4地獄 ロールワ・ナロック=叫喚地獄 
  …上記+飲酒(酒に溺れる)
第5地獄 マハーロールワ・ナロック=大叫喚地獄 
  …上記+妄語(嘘を吐く)
第6地獄 ターパ・ナロック=焦熱地獄 
  …上記+邪見(仏教の教えに対しよこしまな考えをもつ)
第7地獄 マハーターパ・ナロック=大焦熱地獄 
  …上記+犯持戒人(戒律を守っている尼などを強姦する)
第8地獄 アウェージー・ナロック=阿鼻地獄 
  …上記+五逆罪(両親や僧侶を殺す、仏教教団を破滅させるなど)

このうち、第1地獄~第5地獄に相当する「殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語」を戒めることを「五戒」といい、タイの地獄寺にあるコンクリート像のほとんどが、この五戒をテーマに制作されている。

それはワット・ピクントーンでも例外ではない。たとえば、こちらは五戒のうち3つめの邪淫、つまり浮気や淫らな行為を戒めるものである。

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いかにも修羅場という感じのリアルな表現、そして現実世界の浮気の様子に自然と連続する死後の責め苦の様子が見事であった。

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 午前中に調査を終え、この日はナコーンサワン県の宿に宿泊。部屋に入ってみるとあまりのラブリーさに困惑した。気分はプリンセス。

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長期で日々移動をするとなると、それだけ多くの宿に泊まることになる。基本的には格安の宿に泊まっているので、場所によってはかなりの悪条件であることも多い。そんな中でこういうちょっとした遊び心が垣間見える宿に当たると、旅の疲れもなんだか癒される気がするのである。

◆地獄めぐり day 8

 この日の目的地は昨晩宿泊したナコーンサワン県の隣、ウタイターニー県の地獄寺。1時間ほどかけてウタイターニー県市街地に辿り着き、そこからサムローという三輪タクシーに乗って目的地ワット・タースンに到着した。

 ワット・タースンはあまりにも広く、地獄絵があるというお堂をなかなか見つけることができなかった。サムローのおじさんを連れまわし、やっとのことで地獄絵があるというお堂を見つけられた。が、このお堂は工事中であり、あと1時間以上経たないと開かないよと言われてしまった。内心(ええっ…)と思いながらも、仕方がないので待つことに。こういう時は「地獄のために金をためてはるばる日本からやってきたんじゃ!だから調査するまでは絶対に帰らないぞ!」と自分に言い聞かせてただひたすら耐えるのである。

しばらく経ってドアが開いた。中に入ってみると見たことのない光景が広がっていた。このお堂の壁画はまるで漫画のように区画分けされていて、その筆致も画用紙にクレヨンで描いた手作り感満載のものだったのである。こんな表現をしている壁画は初めて見た。

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壁の一角には地獄絵があり、地獄釜や棘の木などという典型的な地獄表現に加え、その傍らで解説をする僧侶が描かれていた。

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古来、地獄絵は寺院の壁画に描かれ、それを利用して僧侶は絵解きを行っていた。つまり、寺院に訪れた人々に対して、壁に描かれた地獄絵を指しながら「悪いことをすると、こうやって地獄へ堕ちるぞ」と説いていたのである。ワット・タースンの地獄絵に描かれた僧侶の存在は、こういった絵解きの性格を色濃くあらわしているものであった。

◆地獄めぐり day 9

 ナコーンサワン県滞在最終日、この日の目的地は市内にあるサムナックソン・ワチラカンヤー。お気づきの方もいるかもしれないが、この日の目的地は「ワット」、つまり寺院ではない。「サムナックソン」は日本でいう修道院のようなものである。したがって正確には「地獄寺」とは言い難いが、とりあえず向かってみることにした。

 バイクタクシーに乗ること15分、サムナックソン・ワチラカンヤーに到着した。ここには3体ほどコンクリート像があるということで探してみるが、なかなか見つからない。もしかして撤去されてしまったのか…と思いはじめた頃、草木の茂った空間へと続く階段のそばに何かが見えた。

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(いた……ホッ……)
草木に埋もれて色褪せながらも、ちゃんと生き残っている亡者たちを見つけて安堵した。

よろこんで近づき写真を撮りはじめると、しばらくして耳元でプ~ンという嫌な音が鳴り響く。こういった茂みには信じられないほどたくさんの蚊がいるのである。まるで虫よけCMの実験のように、数十匹の蚊が身体に寄ってたかってくる。いい写真を撮るためには、これもまた耐えなければならない。地獄めぐりを遂行するには強い精神力が必要なのである。

 蚊の攻撃を耐え抜き、この日の調査は無事終了。修道院とはいえ僧侶はいるので、その機能は寺院とほぼ変わらないという印象を受けた。とはいえ正式な寺院だけではない、また新しいかたちの地獄であることは確かである。

◆地獄めぐり day 10

 昨晩、ナコーンサワン県からターク県へ移動した。この日は有名観光地スコータイ県にある寺院へ向かう。2時間ほど移動し、目的地のワット・タウェットグラーンへ辿り着く。

 寺院の境内には様々なコンクリート像が並んでいたが、その中でもひと際白く輝く像たちが見えた。みんな整列して死後の裁判を受けているようだ。

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ワット・タウェットグラーンの亡者たちは真っ白な身体をしていたが、ところどころにパステルピンクの色彩が施されていた。地獄の恐ろしさもどこかマイルドになっている。

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 先のサムナックソン・ワチラカンヤーでもそうだが、地獄寺ではコンクリート像が数体のみつくられている場合や、ある一場面のみがつくられている場合など、その表現形態は一様ではない。すべての寺院がテーマパークのように大規模な地獄を持ちあわせているわけでは決してないのである。

◆地獄めぐり day 11

 この日はターク県内の寺院、ワット・タープイへ。県内とはいえ、ターク県は広く、また寺院も県のはずれにあるため、結局2時間ほどトゥクトゥクに揺られることとなった。お尻が潰れそうである。

 目的地ワット・タープイがある場所はかなりの田舎である。寺院に着いてあたりを見渡したが、地獄らしきものはどこにもない。トゥクトゥクの運転手に「地獄ないんだけど…(泣)」と嘆くと、近くの売店のおばさんに尋ねてくれた。すると、寺院のはずれの階段を下りた茂みの中に色褪せた地獄があると教えてくれた。

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 これまで紹介した地獄寺を見る限りでも、その表現形態が一様でないでないことはお分かりいただけるであろうが、このワット・タープイの地獄もこれまでとはまた違うものであった。この地獄は茂みの中にあって、そこにいる亡者たちはまるで森の住人のようである。

茂みの中は鬱蒼とし、かなりジメジメしていた。わけのわからない虫もたくさんいる。私はこのようなタイプの地獄を「ジャングル系地獄」と勝手に呼んでいる。そして数ある地獄寺の中でも、私はこのジャングル系地獄が最も好きなのである。なので一目見て、その興奮を抑えることができなかった。

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なかなか珍しい首の長い亡者や、おなじみの鳥人間や亀人間もいた。

 地獄寺でよく見られるこの「獣頭人身」の亡者たちは、生前その頭部や身体の一部になっている生き物を虐げた罪により、このような姿になって罰を受けている。たとえば、豚を殺した者は豚人間となり台上で斬り刻まれたり、魚を殺した者は魚人間となり釣り針で釣られたりする。責め苦の方法は生前の罪をそのまま反映しているのである。

 調査の後、この日はさらに北上しランパーン県で友人と会うこととなっていた。2時間ほどかけランパーン県に到着、友人と会い大好きなソムタムカイケム(塩漬け卵入り青パパイヤのサラダ)とカオニャオ(もち米)を食べた。

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普段はひとりなので、こういった量の多い料理はなかなか食べられないのである。久々におなかいっぱいになるまで食事をした、大満足の夜であった。

 地獄めぐりも次回からはいよいよ北部編へと入る。これまでに紹介した地獄寺は13か所にのぼるが、いずれも同じような場所や表現はひとつもなかった。大々的に地獄をつくっている寺院もあれば、ひっそりと地獄をつくっている寺院もある。また、その表現形態はコンクリート像に限らず、壁画や浮彫も存在し、そしてそれぞれ全く異なる個性を持っているのである。

タイの地獄めぐり④ ―しんせつ地獄、ランパーン― へ続く。

椋橋 彩香

椋橋 彩香

地獄研究家です。
タイの地獄寺について専門的に研究しています。

Reviewed by
美奈子

クレヨンやコンクリートで表現される地獄の世界は、もちろん歴史的にしっかりしたものなのですが、どこか愛らしく日常を感じます。死ぬのも悪くないのかもしれません。

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